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鈴木共子さんの手記

『0(ゼロ)からの風』一般市民による初めての法改正となる「危険運転致死鈴木共子さんより、Datefm飲酒運転根絶キャンペーン『STAND』に、手記と「車が凶器に」という詩を寄せていただきました。

「振り返って 今・・・」鈴木共子

「共子さん 餃子作っておいたよ。俺、これからIと会うんだよ。遅くなるからIが泊まるかも」と、息子『零』から仕事先に連絡が入ったのは夕方。
「いくら遅くなるからって 迎えに来い、なんて言わないでよ。私だって仕事で疲れているんだからね。歩いて帰れない距離じゃないんだし、あなたはもう大学生なんだからね。いつまでも甘えないでよ」と、少しきつく言った私。
「はい、はい。解った、解った。迎えに来てなんて言わないよ、じゃあね」と、うんざりしたように答えた息子。
  日常のいつも交わされる何気ない会話。それが息子と私の最後の会話になろうとは・・・。
  息子は親友のI君と夜中過ぎ我が家に向かう途中で、背後からパトカーの追跡を振り切った飲酒・無免許・無保険・無車検・スピート違反の暴走車に突っ込まれて、二人とも「命」を奪われた。ちょうど事故現場が橋の上で、息子は飛ばされて19メートル下のグラウンドのコンクリートの土手に叩き付けられたのだ。
  迎えにさえ行っていれば、こんなことにならなかったと、私は自分を責め続けた。あの時の息子との会話が頭をよぎり、自分の発した言葉がまるで刃のように私の心に突き刺さる。それだけではなかった。息子が飲酒運転の犠牲者になったということで、私はまた自分を責めたのだ。なぜなら私は当時「ちょっとくらいなら大丈夫」と飲酒運転をしていたからだ。幸いそれまで事故を起こすことは無かったけれど、飲酒運転をしていた事実は消せない。「罰が当たった・・・」と、気が狂うばかりだった。
  「こめんね・・ごめんね・・こめんね・・・」と、物言わぬ息子の前で私は震えていた。
  自分を責めて、責めて、責めて、もう耐えきれなくなった時に、私は加害者の裁かれる刑のあまりの軽さを知るのである。何の落ち度もない若い「命」を奪った加害者。絶対に許すことは出来ない。何十年も刑務所に入ることになるだろうと法律に無知な私は信じていた。しかし当時は遊びで運転しても、飲酒運転しても、何人殺しても、「業務上過失致死罪」という法律で裁かれ、最高刑がたった5年だったのだ。その時「命」に関係のない「横領罪」「詐欺罪」が最高刑10年だということを知って私は愕然とした。 「なぜ過失? なぜ業務? なぜ? なぜ?」
  私の中に「怒り」が芽生えた。「怒り」は私の中で膨らみ育ち、ひとつの行動につながる。それが「悪質ドライバーに対する量刑見直し」の署名活動である。それまで「交通事故は事故だから仕方がない」と泣き寝入りに等しい状況に置かれていた全国の交通事故の遺族たちが立ち上がったのだ。それぞれの悲しさ、悔しさ、怒りが膨大なエネルギーとなって、全国で署名活動は展開された。その結果「危険運転致死傷罪」が成立された。最高刑が5年から15年~20年になる。市民の勝利のはずであった。しかし私たちが勝ち取ったはずの「危険運転致死傷罪」はなかなか適用されていないのが現実である。立証しにくく不備だという訳だ。再び私たちの仲間は全国各地で法律の不備を正すため、「飲酒運転撲滅」をはじめ悪質な運転を抑止するための署名活動を展開している。私は相変わらず法律には無知であるが、法律の専門家といわれる人たちの「命」に対しての感覚に疑問を覚えている。「命」を語る時は一般論で語ってほしくない。大切な人の「命」のこととして語るのでなければ、「命」が守られる法律を作ることが出来ないはずだと思う。
  私は怒り、行動することで、向き合わねばならない現実から目を逸らしていた。息苦しくなるほどの自責の念を、加害者に怒ることからは始まり、法制度に怒り、他人事としている世間に怒っていた。怒りがかろうじて私を支えていたのかもしれないと思う。
  しかし怒りを持ち続けることは苦しいことだ。怒ることはエネルギーを燃焼させ、疲れる。どこかで安らぎを求めている自分を意識する。そこで生まれたのが「生命(いのち)のメッセージ展」の取り組みである。飲酒運転を始めとする交通事故の犠牲者だけでなく、その死の原因を社会問題として考えていかなければならない犠牲者が主役の展覧会である。犠牲者ひとりひとりの等身大のパネルに事件事故の概要の記されたボードと、故人の写真、そして遺された家族の綴ったメッセージ文が取り付けらえている。足元に生きた証である遺品の靴を置き、悲惨な事件事故は他人事ではないこと、そして「命」はかけがえのないものであることを伝え、訴えようという試みである。もちろん無念さが先立つものではるが、根底にあるのは犠牲になったものたちへの愛、そして遺されたものたちへの愛である。私たちは犠牲者を「メッセンジャー」と呼ぶ。「生命」とかいて「いのち」と読ませる「生命のメッセージ展」。「命」が生まれる、「命」を生かす、「命」を生きるという意味。犠牲者が新たな「命」を生きる、犠牲者の「命」を無駄にしない、犠牲者の分まで生きる・・・そんな誓いが込められているのだ。
「生」と「死」は「光」と「影」だと思う。「光」は「影」がなければ「光」は「光」として輝かない。その意味で生きたくても生きることの出来なかった犠牲者たちの存在を通して、生きていることの奇蹟、「命」の輝きを感じ取ってほしいと願う。ひとりひとりが
生きることに誠実であれば、飲酒運転のような交通事故も様々な犯罪もいじめも起こらないと私は信じている。「生命のメッセージ展」は全国で巡回展をして、大きな反響を得ているのだ。現在私は仲間と共に「生命のメッセージ展」の根拠地であり、また「命」キーワードした様々な取り組みを展開する「いのちのミュージアム」の設立準備を進めている。東京都日野市の廃校になった小学校で第一歩を踏み出すことになった。将来的には「命」の学びの場、気づきの場として修学旅行の見学コースにしたいという願いを持っている。

息子が飲酒運転の犠牲になって10年目を迎える。ただ夢中で生きてきたと思う。ふと振り返ると、一筋の道が出来ていた。しかしひとりで歩んだ道ではなかった。慟哭の旅路だったが、そんな旅路にも喜びがあった、それは人との出会いだ。気がつけば私はたくさんの人に支えられていた。息子を喪った悲しみは癒えることはないが、その悲しみも当時のひりひりした感覚は今はない。悲しみが優しくなったと思える。
しかし私の中でかつて「飲酒運転」をしていた自責は未だ消えることはない。飲酒運転事故はちょっとした心の隙間が引き起こす。その結果かけがえのない命を奪い、すべてを不幸のどん底に突き落としてしまうのだ。息子が犠牲になって初めて飲酒運転の恐ろしさを自覚した私は本当に愚かであった。もしかしたら私の行動のすべては根底に懺悔があるのかもしれない。
「飲酒運転は犯罪。絶対に許さない」ということを当たり前の社会の常識としなければならない。そのために様々な試みを模索することが大事だろう。Datefmの取り組みは人々のモラル意識を覚醒させ、飲酒運転撲滅への大きな成果があるものと私は期待をよせている。

車が凶器に

ほろ酔いかげんの上機嫌
ほんの一瞬の
心の隙間に忍びこむ
悪魔のささやき
「これくらいなら大丈夫」

家路を急ぎアクセル踏み込む
その瞬間
あなたは
凶器を手にした
殺人鬼

街中を
制限速度を遥かに超えて
突っ走る快感に酔いしれる
あなたは
凶器を手にした
殺人鬼

ちょっとハンドル操作を誤れば
この世でたったひとつの
かけがえのない命を
奪い去る

車が
凶器であることに
気づいた時は
遅いのだ

今ここで
高らかに掲げよう

誘惑に負けぬよう
「飲酒運転は絶対にしない」
という誓いを!

命を守るために
「飲酒運転は絶対に許さない」
という決意を!

あなた自身を守るため
あなたの家族を守るため
あなたの仲間を守るため
あなたの愛する人を守るため

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