<2014年12月28日>2014年を振り返って
国内では、広島の暴雨災害・斜面災害、御嶽山噴火など、多くの自然災害がありました。蔵王、吾妻山、阿蘇山などでも火山性の微動が観測されています.海外では、4月1日チリ北部地震津波、米チリ北部の太平洋沖でマグニチュード8.2の地震がありました.一方、今年は、中越地震)10月23日)、スマトラ沖地震・インド洋大津波(12月26日)から10周年を迎え、復興に関する現状や課題などが議論されました.研究・社会活動としては、減災教育事業と減災学習ツールの開発、ハワイ等での小学校出前授業も行いました。2月には、宮城県教育委員会から副読本「未来へのきずな」、3月には、多賀城市から「みんなの防災手帳」が配布されました。4月、初代平川新所長の後任として2代目の所長を仰せつかり、6月にバンコクでのアジア防災閣僚会議に出席、9月災害科学国際研究所が完成、11月に落成式を行いました.その他、新しい形の防災訓練SENDAI CAMPの実施や、震災に関する書籍の出版、スーパー・コンピュータを活用しての津波予測の高精度化などが挙げられます。来年は、阪神淡路大震災から20年となる1月に、国際防災リスク軽減に関する国際会議、3月には、いよいよ仙台で国連防災世界会議が開催されます。

<2014年12月21日>インド洋大津波から10周年~復興について~
インド洋大津波から10年が経ち、被災各地では復興がほぼ終わったと言われていますが、復興できなかった地域や将来の地震や津波などの災害への備えという点では課題が多くあります。住宅喪失者に対する住宅供給について、当初は、長期的防災の観点からの土地利用計画を組み入れた復興計画が検討されていたものの、被災者のニーズに早期に応えるとの緊急性を優先させたため、住宅の供給数や質の格差を生じさせたりという課題が指摘されています。被災コミュニティの集団移転では、コミュニティ空間の均質化や、供給住宅の画一化など住民生活への影響もあります。一方、大きく前進できたのは、インド洋での津波警報システムの運用開始です。日本の気象庁や環太平洋津波警報センターなどが協力し、ユネスコ政府間海洋学委員会の下に、インド洋津波警戒・減災システムのための政府間調整グループが設立され、インド洋における津波警報体制構築の取り組みが進められてきました。2011年10月12日に、インド洋における津波警報体制が正式に運用を開始しました。同時に、情報伝達の最終確認とインド洋各国の国内訓練が実施されています。先月11月には、各国の防災専門家らが参加してインドネシアで会議が開かれ、津波の教訓を今後にどう生かすべきか意見が交わされました。インド洋大津波で最大の被害を受けたインドネシア・アチェ州の復興にあたったクントロ元復興庁長官が講演し、現地の生活状況などを把握した上で支援を行うことが重要だと訴えました。私からは、東日本大震災の際、海岸沿いに植えられた防災林が津波の威力を弱めた例を紹介し、「津波はいつ来るか分からず、津波に強い街作りが重要だ」と指摘しました。タイやスリランカでは、数少ないマングローブの森が津波のエネルギーを吸収し、後ろ側の陸地は大きな波に襲われずに済んだとの報告がありますが、熱帯雨林が広がるところで、周囲の環境を調節するためマングローブが減っていることが問題になっていました。

<2014年12月14日>インド洋大津波から10周年~地震と津波メカニズム、被害について~
10年前の2004年12月26日現地時間で午前7時58分に発生しました。この地震は、M9.2の超巨大地震で、震源域も1000kmを超える広範囲でした。過去M9を超えたのは、1960年チリ、1952年カムチャッカ、1957年アリューシャン、1964年アラスカの4回のみで、M9の地震がどのようにして起きるのか?その発生間隔は?日本でも起きないのか?などという課題がありました。21世紀に入り、2004年スマトラ島沖地震以降、2010年チリ中部、2011年東北地方太平洋沖地震など巨大地震が続いています。さらに、巨大地震以降のスマトラ周辺での余震活動にも注目すべきです。2005ニアス(M8.7),2007スマトラ中部(8.4),2009パダン(7.1)、2010ムンタワイ(7.7)、2012 スマトラ沖(8.6)などで余震が発生しています。一方、津波に関しては、23万人以上の犠牲者を出した大災害でしたので、その原因をきちんと解明し、今後の防災対策に活かすことが大きなテーマです。当時は津波警報システムがなかったこと、津波の被災経験のなかった地域が多かったこと、災害対策も十分ではなかったことが多くの犠牲者を出すことにつながりました。以下は、主な国での被害です。
インドネシア:州都バンダ・アチェや西アチェ県のムラボなどはほぼ壊滅。死者131,029人、行方不明者37,603人。政府は「国家災害」を宣言した。
タイ:リゾート地として知られるプーケット島など、タイ南部6県のアンダマン海に面する地域に大きな被害が出た。死者5,305人、負傷者8,457人。
スリランカ:死者35,322人。列車が津波に流されて転覆、乗客の他地元住民なども含め1,000人が死亡した。

<2014年12月7日>東南海地震について
東南海地震は、いわゆる紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震です。過去には約100年から200年周期で発生しているもので、規模は毎回M(マグニチュード)8クラスに達します。前回の地震は、1944年(昭和19年)12月7日 に発生しました。発生時刻は、午後1時36分でした。紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約20 km(北緯33度8分、 東経136度6分) を中心とする震源です。破壊の開始は紀伊半島南東沖で、北東側に破壊が進展していったと考えられています。この地震により津波も発生し、遠州灘沿岸(東海道)から紀伊半島(南海道)に渡る一帯で被害が集中しました。この東南海地震には、東海地震と南海地震があり、また、一気に発生する地震が三連動の南海トラフでの巨大地震になります。連動のタイミングも大変短く、一気に発生するものから、数年かけて連動するものがあります。現在、 東南海地震および津波についての被害想定は、南海地震との連動、東海地震との三連動、さらには、平成24年および平成25年に出された南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震などについて推定されています。

<2014年11月30日>「事前復興」について
事前復興(じぜんふっこう)は、東日本大震災の復旧・復興の中で、教訓として得られた考え方です。この事前での復興とは、災害が発生した際のことを想定し、被害の最小化につながる都市計画やまちづくりを推進することになります。現在、市町村などの自治体で減災や防災まちづくりが行われていますが、その一環として行われる取組みになります。東日本大震災の被災地では復旧・復興が実施されていますが、その中で、より安全な場所に住むためのまちづくり、津波に対する防潮堤などの施設のあり方、要支援者への対応、防火対策(耐火性、道路拡張)、防災の拠点づくりなど多くの困難があります。これらの課題を、実際に被災する前に、時間をかけて多くの方々に参加いただき議論することが必要であり、大変重要であると認識しています。今被災地でない地域で、この事前復興の議論を始めると、住民の皆さんは唖然とします。震災が起こったら行政が計画を作って復興してくれるんじゃないのか?地域の細かい復興計画を行政が主導して地元の合意を得て作成するなどと言うことは、東北の被災地でなくてもできはしない。行政が作るとなれば頼ってしまって、一部にはわがままも出てこよう。地域が自分たちで利害の調整も考えながら計画を提案するこのことは大変なことだ。などの意見も出ています。しかし、コミュニティと生活・暮らしの基盤を一日も早く再生して、地域の生活文化を継承するためには事前復興の考えがもっとも合理的なのです。事前に、復興まちづくりとは何か、どのような手順で、どのような方法で、体制で進めるのかを地域で共通理解する必要があり、模擬的にそれを行ってみることが大切です。

<2014年11月23日>災害科学国際研究所での研究動向について
研究所設置から3年半が過ぎました。今月新棟も完成し、いよいよ本格的な研究活動や減災社会構築のための社会貢献を実施していきたいと思います。従来から、地震・津波、土石流・洪水などの発生メカニズムや被害軽減を目指した研究を行っていますが、本日、最近の成果を紹介したいと思います。
1つは、放射能のリアルタイム線量計の開発と、2つめは防災のためのカードゲームの開発です。まず、本研究所・災害放射線医学分野の千田浩一教授らのグループは、医療被曝測定用マルチセンサ型リアルタイム線量計の開発に成功しました。この分野では、原子力災害や治療などを対象にして、「人体・環境に対する放射線影響評価」や「放射線被曝の被曝防護に関する医学的研究」を実施しています。病気をスクリーニングするための健康診断でしばしば撮影されるX線画像が代表的ですが、診断や治療のために放射線にさらされます。従来のものとは違い有害あるいはⅩ線画像の邪魔になるようなセンサやケーブルを使用しません。さらに マルチセンサ型にすることで患者の最大皮膚線量を確実にモニターできることが期待されます。それによって皮膚障害などの急性放射線障害が発生する前に、皮膚面へのX線照射を中断することが可能となります。
次に、災害時対応能力向上を目指したカードゲームの開発についてです。特に子どもが自ら身を守る判断力を養えるようにと、グローバル安全学コースの東北大大学院生が進めています。このゲームは「減災アクションカードゲーム」と名付け、数名で遊ぶゲームです。ルールはかるたに似ていて、災害時の行動や対応のイメージを養い、さらに、言葉を超えた表現方法の開発なども視野に置いています。まず、「海岸で地震があった」「津波から避難中、足の不自由な高齢者と会った」などの状況を記した設問が読み上げられます。これに対して参加者は、行動や対応を示すカードから適切なものを選ぶというものです。それぞれ、なぜそのカードを選んだのか説明しなければなりません。如何にきちんと説明できるかがポイントです。

<2014年11月16日>災害科学国際研究所の新棟完成について
東北での知を国内外に発信する拠点として、災害科学国際研究所の新棟が完成いたしました。今年の8月末には竣工、引っ越しや新設の機械等の設置を終え、11月に完成し落成式を行いました。場所は、仙台市青葉区青葉山の新キャンパスにあります。来年の12月には、地下鉄東西線が開通し、最寄駅が開設されます。
災害研の建物は、防災・減災研究を展開し研究成果を発信する拠点として整備されました。東日本大震災の教訓を基に免震システムや72時間の非常用発電設備を備えるとともに、環境と災害時の両面を考慮し、自然通風、自然採光、開口部バルコニーによる日射遮蔽を備えています。建物の1階、2階 には、情報発信スペースや多目的ホール(150人規模)、セミナー・演習室(50人規模が4部屋)を備え、国内外のシンポジウムの開催や研究成果の発表、防災・減災情報の発信などが行える設備を備えています。2階から5階には研究室が配置され、2階には津波シミュレーション解析や震災データを大容量に記憶できるサーバ室、3階には東北地方の自然災害の資料が集められたライブラリー室などがあります。また、各階の共通スペースには、研究者の交流の場として、インタラクションスペースを設けました。その他に、大型の3次元可視化設備や4Kマルチモニタ設備、多主体行動シミュレーション設備など最先端の実験設備や情報発信設備などを揃えています。

<2014年11月9日>濱口梧陵の偉業について
毎年11月5日を「津波防災の日」と定めています。この日は、1854年11月5日に発生した安政南海地震による津波が和歌山県を襲った際に、稲わらに火をつけて、暗闇の中で逃げ遅れている人たちを高台に避難させて救ったという逸話『稲むらの火』にちなんで制定されました。この『稲むらの火』の主人公が濱口梧陵です。安政元年11月5日夜、安政南海地震の津波が広村(ひろむら)に襲来した後、梧陵は自身の田んぼにあった稲わら山に火をつけて、安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし、速やかに村人を誘導することができました。結果として、村人の9割以上を救うことができました(死者は36 人)。 津波から命を救えるかどうかは、情報の伝達の速さが関わっているという教訓を残しました。これをもとに作られた物語が『稲むらの火』として知られています。しかし、村人の命を救うことはできたものの、復旧や復興がなかなか進まず、村を離れる人が多くなってゆきました。そこで、梧陵は、破損した橋を修理するなど復旧につとめたほか、私財を投じて、当時では最大級の堤防「広村堤防」を4年の歳月をかけて修造しました。この大土木工事は、荒廃した被災地からの住民離散を防ぐ意味を持つとともに、将来再び襲来するであろう津波に備えての防災事業でもありました。大津波により犠牲になった人々の霊をなぐさめ、かつ大防波堤を築いてくれた濱口梧陵らの偉業とその徳をしのび、広村の有志の人々が50回忌を記念して、旧暦の11月5日に堤防へ土盛りを始めたことが、現在も行なわれている「津波祭」の始まりと言われています。堤防完成から88年後の1946年(昭和21年)、広村を昭和南海地震の津波が襲いましたが、この堤防のおかげで被害を減らすことができました。

<2014年11月2日>津波防災の日について
2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震による甚大な津波被害を踏まえて、同年6月に「津波対策の推進に関する法律」が制定されました。この法律では、津波対策に関する観測体制の強化、調査推進、被害予測・連携体制の強化などが規定されています。この法律制定に関連して、津波対策についての理解と関心を広く深めることを目的として、毎年11月5日を「津波防災の日」と定めました。この日は、1854年11月5日に発生した安政南海地震で和歌山県を津波が襲った際に、稲に火を付けて暗闇の中で逃げ遅れている人たちを高台に避難させて救った「稲むらの火」の逸話にちなんだ日です。今年は、来年3月 に国連防災世界会議も開催されること、東日本大震災から3年が経ち、国民の中での風化が懸念されることから、「津波防災の日」に関連した取り組みが強化されています。11月5日は、仙台市において内閣府主催のシンポジウムが企画されており、「津波防災大使」に任命されたフィギュアスケートの羽生結弦選手からのビデオメッセージや兵庫県立防災教育センター長室崎益輝さんの基調講演、全国各地における津波防災に関する取り組みの紹介などが行われる予定です。このシンポジウムに先駆けて、7月30日には、地震・津波防災訓練のキックオフ・イベントとして、濱口梧陵ゆかりの和歌山県においてシンポジウムが開催されました。是非、11月5日、仙台のシンポジウムへ多くの方にご参加いただき、関心を高めていただきたいと思います。

<2014年10月26日>火山と地震の関連性について
日本海溝のようなプレートの沈み込み帯においては、歪みエネルギーの蓄積により海溝型の地震が繰り返し発生していますが、同時にこの地域では地球のマグマが地表面に出やすい状況でもあり、火山が存在しています。海溝型地震のような巨大地震と火山噴火の関係は、いまも議論されています。地球内部で、ある程度の関連性はあると考えられますが直接的な関連性は明らかになっていません。貞観時代の地震(869年・地震と津波)と火山噴火(864年・富士山噴火)、 宝永時代の地震(1707年・宝永地震/噴火の49日前に発生)と火山噴火(1707年・富士山噴火)は知られているところでありますが、常に関連性が高いわけではなく、別々に発生している場合の方が多いのです。9月27日に発生した木曽御嶽山の噴火は、残念ながら多くの犠牲者を出してしまいました。噴火(水蒸気爆発)の前に、前兆現象である火山性地震や火山性微動が観測されていましたが、注意喚起には繋がりませんでした。火山性地震とは、地下でのマグマの移動などの火山活動によって発生する地震で、発生のメカニズムが通常の地震とは異なり、余震や前震がなく、本震のみが単独で発生するとみなされています。火山性微動は火山性脈動とも呼ばれ、短いものから数日以上続く長いものまであります。

<2014年10月19日>SENDAI CAMPの実施について
先月9月27日(土)~28日(日)にかけて、勾当台公園を会場に、被災訓練プログラム 「SENDAI CAMP~あなたの“生きる力”を高めよう!~」を実施しました。この事業は、被災地で行う被災訓練のトライアルであり、被災経験を共有し、一緒に被災訓練プログラムを作り上げることを目的としています。コア・イベントとして宿泊被災体験プログラム(体験&講座)と、サブ・イベントとして「衣食住楽学」をテーマとしたブース展示ならびに体験・講座で構成されています。コア・プログラムでは20名、 サブ・プログラムでは、のべ約4,000人の参加があり、盛況のうちに実施することができました。この事業は、復興庁の「新しい東北」先導モデル事業の継続として、災害科学国際研究所がこれまで蓄積してきた災害の知識と教訓を実践的な形で模擬体験する「被災訓練プログラム」の開発を目指しています。本格的かつ複合的な被災体験訓練は全国的にもなく、これまでの避難訓練の一歩先にある啓発事業です。また、被災を体験した方の声を反映したプログラムとすることで、東日本大震災の教訓を全国および世界へ発信していくプログラムとすることを目指しています。

<2014年10月12日>中越地震の記録を伝承する中越メモリアル回廊について
新潟県中越大震災のメモリアル拠点である4施設、3公園を結ぶのが、中越メモリアル回廊です。被災地・中越地域をそのまま情報の保管庫にする試みです。それぞれの拠点を巡り、震災の記憶と復興の軌跡にふれることで「新潟県中越大震災」の巨大な実像を浮き彫りにしています。平成22年5月、財団法人新潟県中越大震災復興基金により「メモリアル拠点整備・運営等支援」が事業化し、中越地震から7年目の平成23年10月、長岡市と小千谷市に3施設3公園が誕生、昨年やまこし復興交流館「おらたる」がオープンし、完成しました。「おらたる」は、展示スペース、地形模型シアター、交流スペース、多目的ホールなどがあり、さまざまなイベントも行われています。8月31日には防災運動会が開催されました。「おぢや震災ミュージアム」は、来館者が5万人を超える人気の施設で、2つのコースが体験できます。
(1)一般コース(所要時間60分)新潟県中越大震災の発生から3時間後、3日後、3ヵ月後そして3年後の小千谷の様子を展示。それぞれの段階でどんなことが起こり、何に取り組むことで復興を実現したかが学べます。
(2)防災学習体験コース(所要時間15~90分)中越大震災の教訓を活かした防災学習体験プログラムで、地元語り部、防災工作、防災ゲーム、そなえ紙芝居、防災クロスロード、防災ワークショップなどのメニューがあります。
申し込めば、どなたでも受講可能です。

<2014年10月5日>新潟県中越地震について
新潟県中越地震が発生してから、今 年で10年が経ちます。地震の発生は、10月23日土曜日の夕方(17時56分)でした。本震後も震度6強 を複数回観測するなど、活発な余震活動が継続しました。一連の地震のメカニズムとしては、北西-南東圧縮の逆断層型です。ユーラシアプレートと北米プレートが衝突する日本海東縁変動帯の陸域の新潟-神戸歪集中帯の中でも強い褶曲を受け複雑な応力場を生じている地域です。震源地近くのK-NET小千谷観測点では最大1500ガル、さらに川口町では2500ガルを超える震動を観測しました。この連発する余震による崖崩れによって堰き止められた川に天然ダムなども発生しました。家屋や社会インフラの被害の他、新幹線の脱線、鉄道や道路の被害、さらには、2次被害として、避難所でのエコノミークラス症候群、温泉地などへの風評被害などもありました。大きな被害をもたらしたこの大震災では、ラジオの重要性が再認識されました。被災地のコミュニティFM局であるFM長岡・FM雪国が被災者向けの災害放送を徹底して実施し、ラジオが被災者のライフラインであることが実証されました。また、「JFNパパラビジョン」が避難所や災害対策本部に設置され、行政からの情報が文字情報でリアルタイムに被災者へ届けられました。

<2014年9月28日>フィリピンでの出前授業について
昨年11月4日、台風ハイエンが発生しました。観測史上最大規模と言われる台風ハイエンは895hpa、65m/sであり、死者6、201人、行方不明者1、785人と、フィリピンのレイテ島周辺を中心に全土に壊滅的な被害を与えました。災害科学国際研究所チームが被害調査を詳細に行った結果、発表された警報の意味がわからなかったり、とりわけ子どもの人的被害が大きく、次の台風が襲ってくる前に安全に避難できるようにするため、台風や高潮についての正しい原理を知っておく必要性を強く感じ。フィリピンでの減災教育出前授業を行うことにしました。災害科学国際研究所は、これまで国内の学校で出前授業を行い、今年は、米国のハワイ(1月)とタイのプーケット(6月)で実施した経験がありました。そこで、8月27日から29日まで、ハイエン台風で壊滅的な被害を受けた、タクロバン市、パロ町、タンアウァンの4つの小学校で計280名の生徒を対象に出前授業を行いました。授業の内容は自然災害発生のメカニズムの解説、災害からいかに命を守るかの講義、防災認識クイズ、ハザードマップを使ったDIG、避難訓練などです。現地の生徒や教師にとっては初めての経験でしたが、熱心に取り組んでくれました。

<2014年9月21日>公開オンライン講義「JMOOCの紹介」
今、世界中でインターネット授業や講義が公開され、盛んに運営されています。日本でもその活動が広がりつつあります。その代表が「JMOOC」で、一般社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会が運営しています。そのひとつが「gacco」で、無料で学べるインターネット大学講座です。大学教授陣による本格的な講義を、学生に限らず幅広い方がパソコンやスマートフォン、タブレットによりオンラインで無料受講できるサイトです。ドコモとナレッジ・スクウェアが共同で提供し、JMOOCが講師の推薦やサポートを行います。現在、12講座で募集され、7万人が受講されています。内容は、経営マネジメント入門、俳句-十七字の世界-、化学生命工学が作る未来、歴史都市京都の文化・景観・伝統工芸など多彩です。災害科学国際研究所でも来年に開講すべく準備を行っています。「東日本大震災を科学する」をテーマに、巨大地震や津波はどのようなメカニズムで発生したのか、どのように災害が生じたのかを紹介しながら、今後、国内外で防災や減災の対応を実施していく上で、何が重要なのかを議論したいと思います。このコースでは、東日本大震災による津波被害の実態について理解し説明でき、また、環境と調和した防災・減災対策の要点を理解し議論できる。地域での避難訓練を企画しながら、津波から命を守るための仕組みを提案できることを授業の目標とします。コースは4つの構成で形成されており、各専門の教員が最新の知見や様々な知識・情報を提供いたします。最後に。仙台市で開催する予定の2015年国連防災世界会議での議論や我が国の役割をするとになっています。

<2014年9月14日>スーパーコンピュータの活用~津波予測の高精度化
現在、気象庁などにより量的予報システムが稼働していますが、迅速で適切な避難行動をとるためにはさらに正確で詳細な情報がいち早く必要になっているのです。沿岸域での複雑な建物や地形を含めた津波の遡上計算を実施する際には、より詳細で複雑な現象を取り入れる必要がありますが、それだけ計算時間や容量が必要となり、命を守る予報として間に合わなくなります。そこで、超大規模データを高速で処理できるHPCI「京(けい)が不可欠となっています。現在、高密度土地利用データや空間スケールの異なる構造物や道路などを表現するための3次元データを用いて、リアルタイムに津波の発生から伝幡、さらには遡上の過程までを解析できるかを検討しています。スーパーコンピュータ「京」は、10ペタフロップスの計算速度を達成しました。10ペタとは、1の後ろに0が16個も続く途方もなく大きな数です。この数字は、漢字による数の数え方で「1京」です。実は、スーパーコンピュータ「京」は、この10ペタを表す「1京」にちなんで名付けられています。1京回の計算の速さを例えると、地球上の全人口70億人が電卓を持って集まり、全員が24時間不眠不休で1秒間に1回のペースで計算を続け、約17日間かけてようやく終わる…。「京」は、これをたった1秒でやってのけることになるのです。2011年の東北地方太平洋沖地震による津波の再現や将来予測される南海トラフでの最大クラスの津波の予測を行っています。そこには、今まで我々の知らなかった津波の挙動(3次元の流れ、衝撃力、土砂移動、漂流物)などが見えつつあります。沖合いや沿岸で観測された津波の観測データをリアルタイムで活用し、より正確な津波の挙動を予測することが可能になり、東日本大震災で課題となった、過小評価の問題点を解決できることになります。さらに、正確な津波波源から、複雑な沿岸部での津波挙動を、波の高さだけでなく、流れや津波の波力(水圧)、漂流物などの状況も知ることができるようになります。

<2014年9月7日>津波の数値シミュレーションについて
本日は、津波の数値シミュレーションについて紹介いたします。このシミュレーションは、現在までに実用化されている数値計算技術のひとつで、気象庁の津波予測システムや、沿岸地域でのハザードマップづくりに活用されています。この方法は、40年ほど前に開発されたものですが、当時、地震学などの地球物理学の発展と数値計算技術の向上とが融合して可能となりました。実際の地形(データ化したもの)を対象として、津波シミュレーションが実施されたのは、1980年代に入ってからで、対象地域は、三陸沿岸でした。当時、私は大学の学部生であり、地形データ作成を手伝う機会をいただきました。一般に、数値シミュレーションは、入力→解析モデル→出力の3つに分かれます。津波の場合、入力するのは、地形データ(海域だけでなく、陸上も含めて)と、地震運動による海底の変化(津波の初期値)です。これらを入力し、流体のモデルを使って、時時刻々と変化する津波の形状や流速を計算します。津波の高さ(形)だけでなく、流速も一緒に解いていることになります。この流速が、津波の破壊力を左右します。より詳しい地形データを与えれば、より正確な津波を再現・予測できるのですが、計算時間が膨大にかかります。正確性と、計算時間のような資源との関係で、いろいろな条件が決まってきます。大学院の博士課程学生の時に、私は、1960年チリ津波の再現を行いました。太平洋全域をカバーする広大な地域で、24時間以上の再現を行いました。当時、大学などで使えるようになっていたスーパーコンピュータNECSX-1などを利用し、僅かの計算時間で再現することが出来ました。このスーパーコンピューターは、その後飛躍的に開発が進み、世界トップクラスの能力を持ったマシンが使えるようになっています。

<2014年8月31日>「防災の日」について
「防災の日」は、1960年(昭和35年)に制定されました。9月1日の制定は、1923年に発生した関東大震災にちなんだものです。東京では、大きな地震が過去何度か発生していますが、代表的なものが1923年(大正12年)の関東大震災です。9月1日の午前11時58分、神奈川西部から相模湾、さらには千葉県房総半島の先端にかけての断層が動き、強い地震が発生、その後の大火災もあり、10万人以上の犠牲者が出ました。日本の歴史上最悪の自然災害でありました。「防災の日」制定の直接の契機となった災害は、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風です。これによって、戦後最大の被害(全半壊・流失家屋15万3,893戸、浸水家屋363,611戸、死者4,700人、行方不明401人、傷者3万8,917人)が出ました。
さらに、例年8月31日~9月1日付近は、台風の襲来が多いとされる二百十日にあたります。(統計的には、特に台風が来襲しやすいというわけではなく、 台風期を控えての警戒期と考えられます)これら「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められています。「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は、関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心でしたが、「防災の日」が制定されてからは、全国各地で防災訓練が行われる日となっています。

<2014年8月24日>「確率モデル」について
東日本大震災での巨大津波について、事前に評価出来なかったことが研究課題として残されています。そこで、現在、注目されているのが「確率モデル」です。確率とは、ある事象が発生する可能性の大きさを表す数値であります。この可能性、将来に発生する可能性(地震など)と、どの程度繰り返されている中での平均の可能性(天気予報などは)とでは、定義が若干違います。確率的な手法を適用して、当時の課題を少しでも解決しようという試みです。当時の問題点としては、過去の実績(例えば、400年程度)に基づく、評価・推定の限界に加えて、不確実な要素(規模や位置、発生メカニズム)などがある点です。従来の手法は、確定モデルまたはシナリオ型モデルと言われ、いままでの問題を十分解決できません。どうしても、規模や位置、発生メカニズムについてある数値を定めなければならないからです。
そこで、「確率モデル」が現在検討されています。これは、確率論(理論)に基づく津波の評価手法で、2つの考え方が重要です。過去発生していなくとも可能性のある津波や地震について、網羅的に解析を行い、結果を整理することです。さらに、不確実な要素についても、ある範囲でバラツキを与えて、解析することになります。確定モデルと比較して、格段に多くのモデルの設定や解析事例を検討しな ければなりませんが、未知の部分、不確実な部分も含めて評価できることになります。今後は、それぞれの地域や地震に対して、発生の可能性(これは発生確率 と呼びます)を与えて、より現実的な結果を出す必要があります。

<2014年8月17日>災害等の記憶を残し発信する施設~(2)9.11メモリアルミュージアム
自然災害ではありませんが、悲劇を忘れない博物館を紹介致します。今年5月、ニューヨークにグランドオープンした「9.11メモリアルミュージアムです。2001年9月11日NYのランドマークだった世界貿易センタービルが、同時多発テロによって跡形もなく倒壊してしまいました。同時多発テロの起きたグラウンドゼロに再建設されたメモリアルパークは、2983名の犠牲者の冥福を祈ると同時に犠牲者のことを忘れないために作られました。この2983名には、1993年2月26日に起きたワールド・トレードセンター駐車場爆破テロの犠牲者も含まれています。パーク内には水の流れ落ちる巨大な2つのプール、ノースプールとサウスプール(慰霊場プール)があり、プールの周囲には犠牲者の名前が刻まれていて、個人名の拓本を作成することができます。このプールに挟まれて、地下6階におよぶミュージアムがあります。地上からエスカレーターで最下部まで下がると、当時のビルの基礎部分に至ります。そこには、巨大な地下空間があり、ビルの主要な鉄骨(瓦礫撤去工事の終了時、最後に運び出された鉄骨)、破壊された消防車、そして壁には、建設当時ハドソン川の水を止めるのに使われた防水壁(スラリー・ウオール)がありました。犠牲者の写真を展示した部屋には、数台のディスプレイがあり、写真のほかに寄託品や略歴などが見られます。館内最後の展示スペースが、膨大な9.11の全記録(映像、写真、手記)と遺物が陳列されているスペースです。建設費は約700億円、年間の運営費は約60億円、一部オープンした2011年9月から現在までの約3年間で、1400万人が訪れています。

<2014年8月10日>災害等の記憶を残し発信する施設~(1)津波博物館の紹介
本日は、自然災害、特に津波に関する博物館を紹介します。
○宮城県気仙沼市唐桑ビジターセンター津波体験館
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1231286082512/
昭和59年にオープンしたこの津波体験館は、三陸海岸に特に関係の深い津波をテーマに、実際に即してストーリー化した映像・音響・振動・送風等を組み合わせた全国初の津波擬似体験館です。震災後2013年10月にリニューアルしています。

○北海道奧尻島津波館
http://www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/detail/00001052.html
奥尻島に大きな被害をもたらした北海道南西沖地震の記憶と教訓を発信しています。展示スペースは「ドキュメント北海道南西沖地震」「198のひかり」など7つのテーマにわかれています。地震災害からの記録だけでなく、島の遺跡から発掘された「ヒスイの勾玉(複製)」や遺物の展示もあります。さらに、「映像ホール」では、北海道南西沖地震の発生メカニズムから災害の規模、復興のドキュメント作品である「災害の記録」を上映しています。

○和歌山県広村、稲むらの火の館
http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/
1820年(文政3年)、「稲むらの火」で知られる濱ロ梧陵は、紀州広村(現在の広川町)で生まれました。安政の大地震津波時、その命の火で多くの村人を救った彼の功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。梧陵の偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくため、2007年4月、濱ロ梧陵記念館と津波防災教育センターから成る「稲むらの火の館」が誕生しました。

○海外には、ハワイ州ハワイ島の環太平洋津波博物館(Pacific Tsunami Museum)、インドネシア・バンダアチェ市津波館(Ache Tsunami Museum)があります。このような津波博物館の間でも、シンポジウムなどの交流ができるといいですね。

<2014年8月3日>国連本部での防災サイドイベントについて
7月8日から11日までの4日間、ニューヨークの国連本部において「国連経済社会理事会(ECOSOC)閣僚級会合(ハイレベルセグメント)防災サイドイベント」に参加しました。防災サイドイベントは、各国閣僚級により国連の開発事業活動の在り方について議論を行うECOSOCハイレベルセグメントの開催に併せて行われる日本政府主催のイベントで、シンポジウムやパネル展示が行われました。シンポジウムでは、「開発における防災の主流化」について議論がなされ、各国閣僚、国際機関関係者、仙台市奥山市長、今村所長が議論に参加しました。パネル展示は、「教訓を未来につなぐ-WCDRRに向けて-」と題して、仙台市、陸前高田市、東北大学、JICAが共同で行いました。パネルは、「災」「絆」「復」「進」の4つのテーマに分け、震災直後から復旧・復興、そして未来にを表現したものとなります。展示の制作は、災害科学国際研究所「みちのく震録伝」が主体となって行いました。今後これらのパネルは、国連本部に保管され、様々なイベントに活用される予定です。

<2014年7月27日>日本災害食学会の紹介
Date fmでは、2006年からサバメシ・コンテストを実施しており、日常において非常時の食について考えて頂く機会を設けています。関連して、「日本災害食学会が、昨年9月に発足しました。大規模地震などの災害時に起こる食に関する様々な問題を考え、食生活の向上に寄与することを目的としています。
食の問題は、災害時に生命を脅かす事態も引き起こす事は認められていながら、簡便な食生活に慣れた現代社会の日常ではなかなか対策も進まないのが現状です。非常食は長期保存性と災害直後の栄養摂取が大切です。一般の方だけでなく、避難所や自宅で被災生活をする高齢者や乳幼児、障害者や疾病患者など、日常の社会においても特定の食事を必要とする人々、さらに救援活動に従事する人々などを対象にしています。多方面での行政・研究機関や民間企業の研究・連繋を促進し、医療・ 教育等幅広い分野での情報交換、知識の集積の場を作り、災害時の食に関して研究者の育成と社会への情報提供を目指されています。事務局の中心は、新潟大学地域連携フードサイエンスセンター。活動としては、年次の研究発表会を開催されています。基調講演およ び一般講演があり、一般では、最優秀賞(1組)・優秀賞(2組)を発表、表彰されています。先日の第2回の研究発表会では、災害科学国際研究所の佐藤翔輔さんが奥さまの佐藤美嶺とともに、「乳幼児家庭を対象にした災害食ワークショップの設計・実装 -仙台圏域の親子を対象にした実践とその特徴-」というテーマで最優秀賞を受賞されています。

<2014年7月13日>アジア防災閣僚級会議について
第6回アジア防災閣僚級会議が、6月22日からバンコクで開催されました。約3000名以上の方々が参加されました。前回は,2年前インドネシアのジャカルタで開催しています。近年、アジア諸国をはじめ世界で多数の自然災害が発生しており、国連を中心に多発する自然災害の中で、被害を最小限にとどめ、如何に強靭な社会を創り上げていくかが重要なテーマとなっています。この会議では、政府や地方自治体関係者、経済界の関係者に加えて専門家・NGOなどの団体が参加し議論が交わされました。主な議論のセッションは以下の通りです。
・ 衛星画像などを利用した防災活動
・ 被害が甚大化する災害に対してどのように備えるか?
・ 防災における産学官の取り組み
・ 地域での防災力向上に向けて
・ 学とボランティア団体の強化に向けて
東北大学災害科学国際研究所は、災害科学の専門研究機関としてブースでの展示を行い、研究所の多面的な研究内容、津波避難訓練、復興まちづくり、防災出前授業等の被災地との実践的な防災学の活動を紹介しました。日本の減災文化と減災教育を融合させた減災風呂敷の展示や日本のみならず、ハワイやプーケット、バンコクで行った減災教育出前授業の資料展示は、各国から大変興味を持たれ、資料DVDや減災ポケットは、展示するやいなや無くなってしまう状況でした。

<2014年7月6日>震災ビッグデータに関する本の紹介
東日本大震災で得られた震災ビッグデータを使って、当時の状況を可視化させたNHKスペシャルが3回にわたって放送されました。2013年3月3日放送の番組は、科学ジャーナリスト賞2014を受賞しています。この番組が、このほど書籍化されました。タ イトルは『震災ビッグデータ~可視化された3.11真実、復興の鍵、次世代防災』です。産学官民の英知が明らかにした真実と教訓、そして光。東日本大震災とこの震災をめぐる事象に沿って集積・分析されたビッグデータを使い、発災後の避難行動や復興の実態、都市パニックの課題に迫りました。
(1)携帯電話等の位置情報の分析から、地震発生時にその後の津波によって浸水した地域に60万人がいたことが明らかになりました。
(2)所在地が宮城県石巻市にある企業が震災後に失った取引を可視化、東京との取引が多く失われていることが分かりました。
(3)「共助力」を地図に落とし込んだ新たな防災マップは、地域の防災力を明らかにしました。
これらを受けて、次の大災害に備えるための研究が進んでいます。たとえばリアス部(陸前高田市)の人たちは、ほとんど浸水域から出ていない一方、名取市では浸水域を出て避難する人よりも、危険が迫るエリアに入ってくる人のほうが多かったことがわかりました。気象庁から津波警報が発表され、避難を呼びかける放送が続けられていた中で、沿岸部から離れるどころか、留まり続ける、さらには、逆に浸水範囲に移動してくる人々が少なからずいたことになります。家族などを助けに向かう「ピックアップ行動」と呼ばれています。

<2014年6月29日>震災ビッグデータ活用の試み
東日本大震災では、ビッグデータが注目されました。まず、ビッグデータの定義を紹介します。ビッグデータとは、日常生活の中で使われている膨大なデータのことで、GPS位置データ、気象データ、地震・津波・地殻観測データ、マスメディア、ツィッター、ブログ、カーナビ情報などがあります。位置、車の移動履歴、気象・温度等のセンサーデータといったさまざまな分野のデータがあります。さらに、個々のデータのみならず、各データを連携させることでさらなる付加価値の創出も期待されるところです。震災後1年半経った時点から、グーグル日本法人やNHK、ツィッター社など8社・団体が、それぞれが有する膨大な災害関連情報を持ち寄り、これらの解析をすることになりました。あの日人々が何を求め、どうのように行動したのか、残された映像などからだけでは分からなかった東日本大震災の全貌を解き明かす試みです。携帯電話のアプリケーションによってとられた位置情報(利用承諾を得て集められ、個人情報が取り除かれたデータ)を解析することで、地震発生の瞬間から人がどのように移動したのかがわかるようになってきました。揺れの後、沿岸部にいた推計約60万の人々は、いつ逃げたのか、あるいは留まったのか、逆に浸水域に入ってきたのか。そうした行動分析が可能となりました。

<2014年6月22日>気仙沼市でのサテライト(分室)の最新情報
東北大学災害科学国際研究所は、平成25年7月13日に気仙沼市との間で「連携と協力に関する協定」を締結しました。協定により、研究所と気仙沼市がそれぞれに有する資源を積極的に活用し、地域社会の復興と発展、社会ニーズに対応した研究の深化、さらには 未来を担う人材の育成に寄与することを進めます。さらに、沿岸地域における効果的な津波避難対策に関する取り組みや減災、震災アーカイブに寄与する研究、開発の促進に関する取り組みなどを推進しており、今後も継続して連携してゆきます。これらの取り組みをより効果的なものにするため、昨年10月1日、災害科学国際研究所気仙沼サテライト(分室)を設置しました。サテライトを気仙沼地方における研究活動や地域との連携活動の拠点とし、サイエンス防災デーや防災文化講演会の開催、気仙沼市内の中学校への出前授業などにも取り組んでいます。この4月、新たに『けせんぬま海鮮市場 海の市』の3階に移転しました。シャークミュージアムも再開しています。ここは、東日本大震災に関する救援復興支援に関する相談窓口、災害科学国際研究所からの最新の研究成果などを発信する場、本学教員・学生の派遣及び活動に係る支援・調整・コーディネート、 震災アーカイブ活動の窓口・推進拠点(いまつたえ隊メンバーの協力)など、気仙沼市との連携・協働の活動拠点としての役割を担っています。

<2014年6月15日>宮城県沖地震について
1978(昭和53)年6月12日に、 前回の宮城県沖地震が発生し、都市型の被害をもたらしました。これ以降、6月12日は、宮城県の「県民防災の日」になっています。この地震は、日本の宮城県東方沖を震源とする地震であり、日本海溝の大陸プレート側を震源として周期的に発生するマグニチュード(M)7.5前後の地震を示します。地震の発生タイプは、分割型、単独型、連動型の3種類があります。平均発生間隔は約38年で、世界的に見ても短い周期で、かつ高頻度で発生しています。この理由として、アスペリティ(固着域)があると考えられていて、ここで歪みエネルギーの蓄積と開放の切り返しが頻繁に起こっているとされています。2011年の東日本大震災の際には、M9の東北地方太平洋沖地震が発生し、この宮城県沖地震の発生域も含めて、広域に断層の運動が起こりました。発災当初、宮城県沖地震も一緒に起きたかどうかが論議になりましたが、現在では、同時に発生し、歪みエネルギーは解放されたと言われています。しかし、約40年後には、同様に宮城県沖地震の発生が繰り返されると考えられており、そのための備えを行わなければなりません。さて、電子基準点がとらえた日本列島の地殻変動があります。東北地方太平洋沖地震の発生により、牡鹿半島周辺で、水平方向で5mを超える地殻変動が観測され、地震後も続く滑りにより、地震前から3年間の累積の地殻変動は、牡鹿半島周辺で6mを超えています。 ここで注目されているのが、「余効変動」です。大きな地震の後に、長期間にわたってゆっくりと進行する地殻の変動です。地震で生じた断層の周囲で広範囲にわたってプレートがゆっくりと滑り続けることなどによって発生するものです。余効変動では東に引っ張られる動きとともに上下の動きも検出されています。

<2014年6月8日>岩手・宮城内陸地震被害からの復興について
被害が集中したのは、国定公園の栗駒山麓でした。2010年に幹線道路2本が復旧した半年後、大震災が起きたのです。栗駒山の登山コース6本のうち人気の2本が閉鎖のままです。さらに、福島第一原発事故の影響もありました。放射能汚染で、地区でとれるイワナは昨年5月から出荷制限になりました。野生のキノコや山菜の出荷制限や自粛も続きました。このように、東日本大震災の陰で、住民の方の約6割が内陸地震の風化を感じていることが報告されています。その中で、被災地では、大規模な地滑り跡などを観光資源としてアピールする動きが出始めています。栗原市が中心となって打ち出している「ジオパーク構想」です。これは、地震・土砂災害によって影響した地形、さらには景観を、既存の観光資源と結びつけながら、学びの場を提供するものです。学術研究や防災教育も含めた地域活性化など多目的な活用を目指しています。「ジオパーク(geopark)」とは、ジオ(地球)に親しみ、ジオを学び、ジオを知る旅(ジオツーリズム)を楽しむための場所のことになります。地形や地質、植生、生態系、山、川、平野などをよく見て、さらにはそこに暮らす人々の暮らしにもふれながら、人と大地と生態系の関わりを、つまり「地球を丸ごと学び考える」ことができる公園として整備するものです。栗原市のジオパーク構想のキャッチフレーズは「地球史のページをめくる音を感じるジオパーク」。災害に強い人づくり、地域づくりもあわせて推進しながら、栗原市は2015年、「日本ジオパークネットワーク(JGN)」へ加盟申請を行う予定です。

<2014年6月1日>岩手・宮城内陸地震について
6年前の2008年(平成20年)6月14日(土)午前8時43分(JST)頃に岩手県内陸南部(仙台市の北約90km、東京の北北東約390km)で地震が発生しました。マグニチュードは7.2(気象庁暫定値)の直下地震でした。この地震を発生させた断層は、岩手県南部から宮城県北部にまたがって存在する活断層と見られています。この余震は、北北東-南南西方向に延長約45kmに分布していることから、これまで知られていなかった活断層が変動したことが示唆されました。 しかし、火山周辺(ここでは栗駒山)では一般的に、歪みがたまりにくく、大きな地震を発生し難いと言われています。岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、両市を中心に被害が発生しました。強い揺れだけでなく、地すべり(土砂災害)も発生し被害を拡大させたのです。岩手県一関西観測点(厳美町祭畤(げんびちょうまつるべ))では、4022gal(全方向合成)、日本国内の観測史上最大値になりました。また、世界最大の加速度としてギネスブックの認定を受けています。河川での地すべりダムの形成や道路の不通、家屋の損壊などの甚大な被害が発生、死者・行方不明者23名の半数以上が土砂災害で生じた人的被害でした。 荒砥沢ダム上流の地すべりは、幅900m、全長1,300mの巨大地すべりで、推 定土砂量7,000万m3に達する戦後最大規模の変動でした。復旧までに長期間を要しました。

<2014年5月25日>5月5日に発生した伊豆大島近海の地震について
5月5日05時18分伊豆大島近海で、マグニチュード6.0(暫定値)の地震がありました。震源の深さは162km(暫定値)、地震による津波はありませんでした。東京都千代田区で震度5弱を観測したほか、関東地方を中心に、東北地方から中国地方の一部にかけて震度4~1を観測しました。東京での震度5弱以上の地震は2011年3月の東日本大震災以来です。気象庁は、想定される首都直下地震と今回の地震とは震源の場所や規模が異なることから関連は薄いとみています。伊豆大島沖の深さ160kmと非常に深いところで起きましたが、地震の発生した真上ではなく、離れた千代田区で大きな揺れが生じたのはなぜでしょうか?これは太平洋プレートの内部で起こって、これに沿った地震波が卓越したと考えられています。地震が起きたら地震の波は一般には全体に広がるわけですが、伝わりやすさで、その震度や到達の時間が違います。太平洋プレートは、最も早く伝わりやい場所の1つと言われています。地 震の揺れというのは、地盤の軟らかさ、固さによって震度が変わるのです。

<2014年5月18日>機械式地震計について
機械観測に基づく地震学は、日本において明治時代に世界に先駆けて始まりました。いまでも当時の資料が保存されています。国立科学博物館には、日本の地震学の発展を示す黎明期以来の地震計数十点、ならびに濃尾地震、関東大震災など明治時代以降の震災写真の原版および印画約4,000点 などが保存されています。代表的なものは、日本の地震学会を創設したジョン=ミルンの地震計(重要文化財)、大森式地震計、関東地震を記録した今村式地震計等です。これらの情報は、同博物館地震資料室のサイトでも公開しています。機械式地震計の原理は、球形の重りを不動点にして、周辺の支持台などを水平、上下に動かすことにより、揺れを記録するものです。大森式地震計は大森房吉が1898年 頃に作った地震計です。鉛の重りを鉄のさおに取りつけ、これを根元のピボットと鋼の吊り線で支持して水平振子にしています。これにより揺れを記録できます。この地震計の特長は、いままでは地震動を感知してから動き出していましたが、常に動いて連続記録ができるようになった点です。記録紙を巻いたドラムが、重りなどを動力にしてゆっくりと回転し、記録してゆきます。観測を始めるとすぐにアラスカで起きた地震を捉えることができ、この地震計は一躍世界に知られることとなりました。一方、今村式地震計は、今村明恒が1911年に作った地震計です。水平動2成分、上下動1成分とも2倍に拡大して1枚の煤紙に記録します。振子の周期は水平動が10秒、 上下動が5秒で、ともに油槽による制振器がついています。記録ドラムの駆動はゼンマイであり紙送りをして記録します。この今村式2倍地震計は本郷の東京大学に設置され、1923年の関東大地震の貴重な記録をとりました。

<2014年5月11日>5月に発生した国内外の地震の紹介(海外編)
5月に発生した海外での地震には次のようなものがあります。1780年(安永9年)5月31日ウルップ島地震、1960年5月23日チリ沖地震(南部)、2008年5月12日四川大地震。
≪1780年5月31日ウルップ島地震≫
 得撫(ウルップ)島沖の千島スラブ上面付近のウルップ島が地震に襲われ、ロシアの商船などが難破したということです。津波高は、ウルップ島で10-12m、エトロフ島北部10m、シムシル島7m、ケトイ島5m とありますが、北海道・本州の津波記録は残されていません。
≪1960年5月23日チリ沖地震(南部)M9.5≫
 チリ中部のビオビオ州からアイセン州北部にかけての近海、長さ約1、000km・幅200kmの領域を震源域として発生した超巨大地震です。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が出ました。本震発生から15分後に 約18mの津波 がチリ沿岸部を襲い、平均時速750kmで伝播した津波は約15時間後にはハワイ諸島に襲来、ハワイ島ヒロ湾では最大到達標高10.5mの津波を観測し、61名が死亡しています。太平洋を伝播する津波の周期は非常に長く、ヒロでは高さ数フィート程度の第1波到達約1時間後に最大波が襲来し、海岸線から800m以上内陸まで壊滅的な被害となりました。
≪2008年5月12日四川大地震M8.0≫
 この地震は、四川盆地の北西端にあって北東から南西の方向に走る衝上断層(断層面が水平に近い逆断層)が動いた結果として起こったとみられています。この断層は龍門山脈の下を走る龍門山断層(ロンメンシャン断層、龍門山衝上断層帯、Longmenshan Thrust Zone)と呼ばれる長さ約300kmの断層帯の一部だとみられています。地震によって道路や電力・水道・通信などのライフラインが寸断されました。7月22日の中国民政部の報告によると、この地震による死者は69000人、負傷者は37万人に上りました。家屋の倒壊は216000棟、損壊家屋は415万棟、中でも学校校舎の倒壊が四川省だけで6898棟に上りました。

<2014年5月4日>5月に発生した国内外の地震の紹介
まず、5月に発生した国内での地震についてご紹介します。被害を出した地震だけで、過去44を数え、5月は、1年のうちでも発生頻度の高い月の1つです。
■1929年5月22日日向沖地震
■1968年5月16日十勝沖地震
■1983年5月26日日本海中部地震
■2003年5月26日宮城県沖(3連続地震)
日向沖での地震は、南海トラフの西端に位置する日向灘で起こる海溝型の地震です。規模により2つに分けられ、M7.6前後のものと、M7.0~7.2程度のものがあり、いずれも陸側のプレート(ユーラシアプレート)とフィリピン海プレートの境界面で起こる低角逆断層(衝上断層)型のプレート間地震で、震源域は具体的に特定できないものの深さは10~40km付近です。1929年の地震では、宮崎市、人吉市で震度5を観測、津波はあったものの被害記録はありません。1968年の十勝沖地震は、地震調査研究推進本部の分類では「三陸沖北部地震」に該当します。北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、52人が死亡、330人が重軽傷を負いました。また住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟にのぼりました。1983年の日本海中部地震は、日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10mを超える津波による被害が出ました。国内での死者は104人にのぼ り、そのうち100人が津波による犠牲者でした。2003年5月26日に宮城県沖で発生した地震では、岩手県と宮城県で最大震度6弱を観測し、被害を伴いました。太平洋プレートの沈み込む方向に圧力軸をもつ型で、太平洋プレート内部の地震と考えられます。その後7月26日に宮城県北部連続地震、9月26日に十勝沖地震が発生しました。

<2014年4月27日>チリ北部地震と津波について
南米チリ北部の太平洋沖で4月1日 午後8時46分(日本時間2日午前8時46分)頃、マグニチュード8.2の地震がありました。チリ北部各地に津波が到達し、イキケで2.3mの津波が検潮記録で観測されました。太平洋津波警報センターは、ペルー、エクアドル、コロンビア、パナマ、コスタリカ、ニカラグアの沿岸部も津波に警戒する必要があると注意を呼びかけました。今回の地震は、チリ北部沖の地震空白域で発生したものです。チリ沖では、南米大陸の乗った南米プレートの下に太平洋側のナスカプレートが沈み込み、たびたび逆断層型の地震が発生しています。太平洋を伝幡した津波は、ハワイ島などでも観測され、最終的には日本にも到達しました。気象庁は3日午前3時、北海道から千葉県までの太平洋沿岸と伊豆、小笠原諸島に津波注意報を出しました。岩手県久慈市で津波60センチを観測した他、20cm程度の波高でした。幸い、沿岸部・沖合いでも、津波による被害は報告されておりません。今回のような遠地津波の特徴としては、
・第1波が最大になるとは限らない
・津波の継続時間が長くなる
・長い周期成分の津波により流れなどが高まる などが挙げられています。
これまで南米沖で発生した地震では、1960年5月のM9・5が最大で、日本でも1~4メートルの津波を観測、近年では、2010年2月にM8・8の地震が発生し、日本でも1~2メートルの津波を観測しています。

<2014年4月20日>宮崎市の地震津波供養碑について
宮崎市島山に外所(とんどころ)大地震供養碑というユニークな供養碑があります。この供養碑は、寛文2年(1662年)9月19日の真夜中に発生した外所大地震の忌碑として建立されたものです。この供養碑のユニークな点は、約50年毎に新しい供養碑が立てられ、それが横に並べられているのです。遷宮の儀式にも似ており、忘れない工夫であると思います。いちばん古い50年忌碑は、正徳年間(1711~15)に建立されたものと考えられます。2基目の100年忌碑は、宝暦11年(1761)に建立されたことが推定され、3基目150年忌碑は 文化7年(1810)、200年忌碑は文久2年(1861)、250年忌碑は大正14年(1925)、300年忌碑は昭和32年(1957)、今回建立されたものが350年忌碑になります。外所大地震とは、日向沖で起きた大地震で、この地震と津波により、外所という村が陥没しています。倒壊した家屋1,213戸、そのうち水没した家屋が246戸、水死者15人、海となった田畑は460haにもおよんだということです。南海トラフでの特別措置法に基づき、防災・減災対策を重点的に実施する地域指定が行われましたが、宮崎市もその中に含まれています。

<2014年4月13日>災害科学国際研究所2期目の活動について
今年度からの2期目の活動については、以下のようなテーマを考えています。まず、南海トラフ地震・津波の予防においては、「みんなの防災手帳の普及を図りたいと思います。この防災手帳は被災地多賀城での全戸25000世帯への配布が行われ、さらに宮崎県の高鍋町9000世帯に配布されました。配布するだけでなく、さまざまなワークショップや訓練などでも活用していただきたいと思っています。さらに現在、中・高校生にむけた「ぼくの私の防災手帳」も企画しています。次に、震災アーカイブの充実と利用の促進を図りたいと思います。東北大学1年生を対象とした授業(基礎ゼミ)の中で、アーカイブを利用した発表やゼミなどを行います。特に、国会図書館ひなぎくやハーバード大学ライシャワー日本研究所との連携強化を計りたいと思っています。災害サイクルを意識した、予防防災、発災直後の対応、復興への支援とまちづくりなどのビジョンなどがテーマとして考えられます。また、被災地での復興支援について、気仙沼サテライトでの活動を強化したいと思います。この4月、新しい場所(旧お魚市場)に移転し、防災啓発や防災教育についての支援をしています。あわせて、気仙沼中学校などでのカリキュラム作りにも支援してゆきたいと思います。さらに、今年はスマトラ地震インド洋大津波から10周年を迎えることから、バンダアチェやジャカルタでシンポジウムを行い、当時を振り返ると共に、現在の問題や課題を共有化したいと思っています。

<2014年4月6日>災害科学国際研究所新所長として
4月から、初代所長平川新教授の後任として2代目の所長を仰せつかりました。大きな目標として、本研究所を、東日本大震災の被害実態と教訓に基づく「実践的防災学の国際研究拠点に形成することです。そこには、大地震および津波の発生メカニズムの解明から被害の状況、教訓の抽出を行い、それを伝えることがあります。また、拠点ですので場の形成を計りたいと思います。
(1)まずは、南海トラフ、首都直下地震など、将来の評価・予測などの展開も重要です。50年先、100年先まで見据えて、災害時の「最悪シナリオ」を作成し、災害軽減の技術と科学を推進したいと思います。
(2)また、過去には、伝承や石碑などでしか伝えることのなかった当時の教訓を、デジタルアーカイブをはじめとする最新技術を駆使して後世に伝える「災害文化」の進化と発展にも力をいれています。
(3)さらに国内外の災害に備えるため、リスク評価の信頼と向上、支援学の構築、災害医学との連携、歴史文化を踏まえた防災のあり方などの学際的な災害科学の研究を展開しています。今後、私たちの災害科学の研究が、日本の復興はもちろん世界の災害軽減に貢献していくためには、地球規模で災害のメカニズムを解明し、将来に備える「グローバルな視点」とその国や地域の独自性、多様性、価値観などをつぶさに研究する「インターナショナルな視点」の融合が不可欠です。

<2014年3月30日>研究所での2年間の活動を振り返る
震災直後の2011年4月に総長を機構長とした全学組織「東北大学災害復興新生研究機構」を設置し、日本復興の先導をめざし、研究・教育・ 社会貢献に取り組んでいます。そのひとつの柱が、「災害科学国際研究プロジェクト」であり、2012年4月に研究組織を発足しました。文系から理系まで7部門36分野の研究者が集結し、災害科学の深化および実践的防災学の構築視点から学究的な研究を日々推進しています。巨大地震・津波の発生メカニズムの解明、リスク評価、被害実態と教訓の整理・発信、復旧・復興への支援、災害に強いまちづくり支援、災害情報認知と防災教育、災害時での病院などでの安全確保などを行ってきました。特に、実践的防災学を展開するために、東北沿岸部の自治体と包括的な協定を締結いただき、地域に貢献できる活動を始めており、2013年10月には気仙沼市サテライトオフィス(分室)を設置しました。さらに、産学官の取り組みとして、災害と共存し「生きる力」を育む市民運動化プロジェクトの推進、「防災手帳」や「防災訓練:カケアガレ日本!

<2014年3月23日>多賀城市で配布される「みんなの防災手帳」について
いざという時に、生き抜くための正しい判断と行動ができる知力・気力・体力・コミュニケーション能力を高めること、これらの能力こそが、“災害と共存して「生きる力」”であると考えています。「生きる力」が自然災害から命を守り、生活を守り、社会を守ることにつながると期待しています。「『生きる力』市民運動化プロジェクト」が2013年1月 に立ち上げられました。国民一人ひとりが自然災害から生き抜くための力を身につけるためのアクションプランや啓発ツールを開発し、普及させることを目指しています。このプロジェクトの成果のひとつが、「みんなの防災手帳」です。「みんなの防災手帳」は、手に取り易いA6サイズ、120ページ、全7章で構成されています。序章から第5章までは、どの地域でもいざという時に役立つ汎用性の高い情報が盛り込まれています。第6章には各自治体の“オリジナルの地域情報”を組み入れることができます。すべての情報は時間軸に沿ってまとめています。震災前のこと、震災直後10時間、100時間、1000時間、そういう時間軸の区切りの中で何が起きたのか、何が必要なのかを、反省も込めて項目別に書いています。多賀城市内では、東日本大震災により188名の命が失われ、11,000棟を超える家屋が被害を受けました。多賀城市は、この震災で得た教訓や知見を活かし、災害による被災を最小化する「減災対策」を進めています。その一環として、来月4月に、「みんなの防災手帳」を市内全世帯約25,000世帯に配布する予定です。

<2014年3月16日>防災教育副読本「未来へのきずな」について
宮城県教育委員会は、この度、みやぎ防災教育副読本「未来へのきずな」を作成しました。テーマは、将来への備えときずなの大切さを伝えることです。東日本大震災の教訓を踏まえ、災害時の実践的な対応方法や津波に関する知識、自助と共助の大切さなどの内容を充実させました。災害に対する子どもたちの心構えや対応力を高める目的です。本年度作成した副読本の対象は小学3、4年生用です。災害について知る、自分の身は自分で守る、助け合い・共に生きる、公の支援と備え、心のケア、生き方を考える、3。11を忘れないなど7章で構成されています。地震が起きた際の避難行動について、登下校中や在校中、自宅にいる場合など多様な場面を想定し、自分の身を守る方法を考えていただくようにしています。「より高い所へ逃げる」「警報が出ている間は避難を続ける」など、津波避難のマニュアルはイラストを使って分かりやすく説明しています。また、避難所での共同生活で気をつける点や救助活動に携わる人々の気持ちを児童同士で話し合わせるなど、理解を深める工夫をしています。災害後のストレスとの向き合い方も取り上げ、心のケア対策も盛り込みました。総合学習の授業や防災訓練などに活用していただく予定です。

<2014年3月9日>国連防災世界会議について
国連防災世界会議とは、グローバルな防災戦略について議論する国連主催の会議です。第1回(1994年 横浜)、第2回(2005年 神戸)とも日本で開催されています。第2回会議では、2005年 から2015年までの国際的な防災の取組指針である「兵庫行動枠組 (HFA)」が策定されました。現在の世界各国での防災活動の大きな柱になっています。これに続く会議が、仙台で開催されるのです。期間は、2015年3月14日~18日の5日間です。会議自体は仙台市内が中心ですが。関連事業やイベントは広く東北地域が対象です。ホスト国日本の担当大臣である内閣府防災担当大臣が議長を務めます。各国閣僚、国際機関代表、認証NGO等5千人、 全体で4万人以上の会議参加者を想定しています。ここでの主な論点は、HFAの後継枠組の策定です。そして、東日本大震災の被災地の復興の現状を世界に発信するとともに、防災に関する日本の経験と知見を国際社会と共有し、国際貢献を行う重要な機会になります。

<2014年3月2日>防災・減災に関する国際連携について
東北大学災害科学国際研究所は、発足から2年が経ちます。東日本大震災での知見と教訓を国内外に発信し、今後に向けて国際的に協力する体制を整えつつあります。ヨーロッパでは、ロンドン大学(リスク解析)、ドイツ航空宇宙センター (リモートセンシング技術の活用)、アジアでは、中国の清華大学(地域防災活動)、アジア工科大学(洪水解析)、米国では、ハーバード大学(アーカイブ)、ハワイ大学(学際研究)と  災害科学に関する全学的な協力体制を整備しております。先日は、ハワイ大学マヌア校と東北大学災害科学国際研究所がシンポジウムを共催しました。タイトルは“Symposium for UHM-Tohoku University Disaster Risk Reduction Collaboration”(防災・減災に関する研究協力)です。両校の教員・研究者やフィリピン(San Lazaro Hospital)からの研究者35名が参加し、復旧・復興、レジリエント社会、リスクアセスメント、経済被害、災害医療・感染症抑止、津波防災, 減災教育に関する重要な議論が行われました。ハワイ大学マヌア校とは、2012年3月11日の国際防災科学に関するフォーラムで、両校の包括協定(MOU)を締結以降、教員・研究者、学生の交流や、会議の共催などを積極的に進めてきました。特に、 2015年に仙台で開催される第3回国連防災世界会議での大学・研究組織の貢献役割についての議論を行う事が出来ました。第2回の会議で採択された「兵庫行動枠組2005-2015」の進捗状況を点検・評価し、今後の新たな枠組みづくりに向けて、協力していくことを確認しました。

<2014年2月23日>ハワイの小学校での出前授業について
1月27~28日、ハワイ州の小学校で減災教育出前授業や会議等を行いました。災害科学国際研究所の保田真理さんが中心になり、今まで国内で東日本大震災の被災地での学校や土石流災害が発生した東京都大島町等で減災教育出前授業を実施していますが、今回はハワイ州教育省、ハワイ大学、災害科学国際研究所との協力で初めて海外で減災教育出前授業を行いました。27日は海と山の間にあるハワイ北部のサンセット小学校で、28日はホノルル市内にあるアラワイ小学校で、同じ減災教育出前授業を実施しました。授業の内容は第1部津波の現象・東北地方太平洋津波の教訓で始まり、第2部は空中写真と津波ハザードマップを利用し子供達に自分の自宅、避難ルート、避難先、避難手段を決めてもらうグループワークと「減災ポケット」というツールを使ったクイズゲームを行いました。子供達の減災に関する認識、授業の効果、二つの学校の地形の違いで意識等がどう変わるかを調べるため、授業の前後にアンケートを取りました。ハワイの地元メディアにも注目され、授業の様子が生放送されました。

<2014年2月16日>パキスタンでの地震島について
パキスタン南部で、2013年9月24日午後、マグニチュード7.7の地震が起こりました。震源地は、パキスタン南西部のバロチスタン州にあるアワランの北北東およそ70キロです。死者の数は350人にのぼり、住宅の崩壊、道路の寸断など多大な被害がでました。この地震の直後、沖合で新たな島が出現しました。幅100~200メートル、高さ20メートルほどの規模の島です。地元の海洋研究者は「地震島」と命名したようです。この島は震源から約400キロと遥かに離れた場所なのに、なぜ発生したのでしょうか?強い揺れが発生すると、地中のメタンガスの圧力が上昇し、土壌を噴き上げて形成される泥火山(でいかざん)ではないかと推定されています。泥火山とは、?地下深くの粘土が地下水およびガスなどとともに地表または海底に噴出し、堆積した地形やその現象のことをいいます。これが、地震により離れた場所でも発生したのです。現在、地表および浅い海底には1,100箇所ほどの泥火山が確認されているそうです。我が国では、熊野灘にはかなりの数の泥火山が存在しています。泥の供給源である富士川、天竜川の河口の沖に存在しているのです。海外では、地震とは直接関係ありませんが、インドネシアスラバヤ近郊でのポロン川で泥火山噴出に伴う被害が発生しています。2006年5月に発生しましたが、今も続いているそうです。噴出した泥には硫黄などの有毒成分が含まれています。

<2014年2月9日>スロースリップについて
昨年12月31日から、房総沖付近で地震が群発的に起きています。最大の地震は1月2日でMw4.9になります。この群発地震は、「スロースリップ」という現象と関係がありそうです。スロースリップ(slow slip)とは、地震学の用語で、普通の地震によるプレートのすべり(スリップ)よりもはるかに遅い速度で発生する滑り現象のことです。「ス ローイベント」「ゆっくりすべり」「ゆっくり地震」などとも呼ばれますが、厳密には「スロースリップ」か「ゆっくりすべり」が最も的確に意味を表しています。プレートの沈み込み帯における固着域(アスペリティー)と関係があり、この周辺にスロースリップがあると言われています。このスロースリップは、房総沖などの海溝・沈み込み帯ではよく見られる現象です。他に、東海地方、南関東、日向灘沖、三陸沖などがあります。国土地理院の観測によるとフィリピン海プレートと陸側プレートの境界で約10cmのすべりがGPS測定で観測されています。房総沖では、過去に1996年5月(約8cm)、2002年10月(約13cm)、2007年8月(約12cm)、2011年10月(約20cm)のス ロースリップが報告されています。

<2014年2月2日>地震(震源)の観測について
地震は、地殻に蓄積された歪みエネルギーが解放され、揺れを出す現象です。非常に規模が大きく、震源域の広い地震でも、エネルギー開放の開始は「点になります。これを震源と呼びます。空間的な位置(緯度・経度)と深さの3つのパラメータになります。地震の情報で最も重要なのは、この震源に加えてマグニチュード(規模)です。震源を推定するには、地震波のP波とS波の伝わる速度の違いを利用します。ある地点で、P波とS波の到達時間の差が生まれますが、震源が遠いほど時間差は長く、近いほど時間差は短くなります。原理的には、震源を取り囲む3点の観測データがあれば震源を推定できますが、データは多くあった方が、精度がよくなります。我が国では、1911年頃から気象庁などで震源を決定する観測を始めていましたが、1923年の関東大震災でその資料(データ)は消失してしまったそうです。1997年(平成9年)頃から、大学、研究機関も含めて、気象庁がデータおよびその収集を実施し、震源決定の一元化を行っています。当時は、年間5万個の地震が観測されましたが、2000年以降は10万個になり、2011年東日本大震災以降では100万個を超えたと推定されています。そのため、現在は対象の地震を絞って決定を行っています。

<2014年1月26日>冬季での地震について
1666年2月1日、越後西部地震が発生しました。高田(いまの上越)を中心にM6程度の強い揺れがありました。当時の積雪が14-15尺(約4.5m)ある中での地震でした。高田城にも大きな被害がありましたが,武家屋敷700余り、民家などの倒壊が多かったのです。これは、屋根にたまった積雪が荷重を増していたことも原因と考えられていま す。さらに、夜になって火災が発生し、逃げる場所も限られた住民の多くが犠牲になり、死者は1,400-1,500人にも及びました。積雪が地震に与える影響としては、次のことが考えられます。
①家屋被害の拡大…雪下ろし前に地震が発生した場合は、屋根の上の積雪荷重により、倒壊家屋が通常よりも多発することが予想されます。
②火災の発生…暖房器具の使用期間であるため、倒壊家屋等からの火災発生が増大すること、また、一般家庭でも大量の灯油類を暖房用に備蓄しているため、これらが延焼の促進剤となり、 消火活動の困難とあいまって、火災の拡大をもたらすものと予想されます。
③雪崩の発生…地震動により、雪崩が同時多発することが予想されます。特に、厳冬期の低温下で短期間に大量の降雪があった場合は、積雪が不安定で大規模な表層雪崩の発生も懸念されます。
④人的被害の多発…家屋倒壊、雪崩及び火災による人的被害が増大するおそれがあります。積雪のために、安全な場所への移動(避難)が出来ない状況になるからです。

<2014年1月19日>2007年の千島列島沖地震について
2007年1月13日に発生した千島列島沖地震は、2006年11月15日の地震が発生した場所に近い沖で発生した、わずか3ヶ月後の地震でした。震源地は千島列島の新知(シムシル)島東方沖の太平洋で、震源の深さは10km。この地震の影響で、気象庁は午後1時36分、北海道から和歌山県の太平洋沿岸部、伊豆諸島の沿岸部に津波警報や津波注意報を発表しました。たいへんめずらしい地震で、類似した地震は昭和8年の昭和三陸地震になります。こ の地震は正断層型で、海底の地盤変動分布が2006年11月と逆になっています。いままで圧縮場であった状況が、逆断層地震が発生したことで開放され、逆に引っ張り場に変化したことが主な原因とされています。2006年の千島列島沖地震の震源は海溝の大陸プレート側にお ける海溝型地震(プレート境界型地震、逆断層)でしたが、この地震は大きな海溝型地震の後に発生することのある、海溝に沈み込む前の海洋プレート(太平洋プレート)における正断層型のアウターライズ地震(海洋プレート内地震の一種)になります。いわば、2006年に発生した地震の誘発地震です。観測された日本での津波規模は、2006年より小さい傾向がありましたが、最大波は第一波の到達後6時間以上経ってから観測されました。これは、太平洋での海山での反射波が津波に影響したものと考えられています。

<2014年1月12日>防災・減災教育事業と減災学習ツールの開発
東日本大震災後に地域社会への貢献のために、東北大学では全学の取組みの1つとして、防災・減災教育事業を始めることになりました。出前講義、講演会、さらに新しい減災学習ツールの開発と配布、震災バーチャルミュージアムなどが活動の柱です。本日は、減災学習ツール「減災ポケット」を開発した東北大学災害科学国際研究所の保田真理さんに来ていただきました。東日本大震災では子どもの犠牲者が大変多くなりました。考えられる要因としては、大人の警戒心が薄い地域では、子どもに教育が行き届かない。大人に従って行動するような教育を受けていることなどが挙げられます。大人に素直に従う子は良い子であるという概念、子どもだから判断できないという思い込みもあります。そこで、発想の転換が必要です。子どもは、本来自ら考え、行動する力を持っている。正しい知識を与え、考える機会を多く作り、自主的行動力をサポートすることが大切です。これまで、子どもは家庭や学校等で保護するものでしたが、近年頻発する自然災害においては、必ずしも守りきれない時間帯や状況があります。そこで、子ども自身の災害対応能力を高めることが必要です。状況認知能力、判断力、危機回避行動力の三つの力を育成してゆくことを目標として、学習ツールを開発しています。

<2014年1月5日>2014年を迎えて
東日本大震災から3年を迎える今年3月には、さまざまなシンポジウムが行われます。また、2015年国連防災世界会議に向けての一連の会合が以下のように予定されています。6月バンコクでアジア防災閣僚会議、11月東北大学で「知のフォーラム」による国際会議、2015年1月国際防災リスク軽減に関する国際会議(神戸)そして迎える3月の国連防災世界会議では、HFA(神戸行動枠組み)での5つの目標の見直し・発展が議論されることになります。また、今年はさまざまな災害から10周年を迎えるメモリアルな年です。2004年7月13日に新潟県地方で大規模な水害が発生、また夏から秋にかけて台風が過去最多の10個上陸するという例年にない多雨に見舞われました。10月23日新潟中越地震発生、ユーラシアプレートと北米プレートが衝突する日本海東縁変動帯の陸域で発生したマグニチュード6.8, 最大震度7の地震でした。地盤災害が発生、河口閉塞も問題になりました。68人が死亡(家屋の倒壊や土砂崩れによる直接死16人)、4,805人が負傷、避難住民は最大で約10万3000人を数えました。車中で長期間寝泊りする避難生活の中でのエコノミー症候群も問題となりました。現在『中越メモリアル回廊』が整備され、震災の記録と記憶を発信しています。12月26日 スマトラ沖地震・インド洋津波発生、マグニチュード9.1の巨大地震とその後発生した大津波が被害を拡大しました。1900年以降チリ地震に次いで2番目に大きい規模の地震でした。断層の長さは1200kmにも及び、継続時間も6-7分でした。大津波はインドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイなどの東南アジア全域に加え、東アフリカ等にも被害を及ぼしました。