<2013年12月29日>2013年を振り返って
前半では、3月7日、東京で、『生きる力』市民運動化プロジェクトのキックオフ・シンポジウムを開催、12月6日には、関西大学でも実施しました。4月 東北大学リーディング大学院(グローバル安全学)がスタート。5月中旬 ジュネーブのグローバルプラットフォームで、2015年国連防災会議の仙台開催が決定。各地で津波避難訓練が実施されました(6月仙台市沿岸地域、8月山元町、9月岩沼市、石巻市、気仙沼市)。後半は、多くの災害がありました。7月9日 秋田・岩手での豪雨災害、9月14日 特別警報の運用が始まった中、京都で台風18号による豪雨災害。10月16日 伊豆大島の土砂災害では、死者35人、行方不明者4人を出し、避難勧告のあり方なども課題に挙がりました。10月26日 福島沖での地震(M7.1)と津波注意報発令。11月8日  フィリピン・レイテ島を中心に台風30号が直撃、高潮災害などで犠牲者は5700名を超えました。地域での活動としては、10月28日、サン・フアン・バウティスタ号の出航400年を迎え、多くの記念イベントが行われました。また、復興庁による「新しい東北」先導モデル事業が公募され、464件の応募の中から66件が採択されました。おもなテーマは、子供の成長、高齢化社会、エネルギー、地域資源の活用です。いずれも安全・安心に関連した事業になります。東北大学関連では、いのちと地域を守る津波防災アクション「カケアガレ!日本」、『生きる力』市民運動化プロジェクトが採択され実践的防災力養成事業の活動が始まりました。

<2013年12月22日>仙台市立南吉成中学校の活動紹介
南吉成中学校は、2010年にユネスコ・スクールに加盟され、さらに、平成25年度の内閣府『防災教育チャレンジプラン』に採択されています。全校生徒320人、普通9、特別支援2の計11学級の学校です。大震災では、校庭の法面崩落やプールに被害を受けて、現在も復旧工事が続いていますが、仙台市西部の丘陵地域に位置しているため津波の被害は受けていません。しかし、東日本大震災での教訓を得て、中学生が主導する地域防災訓練を実施することで、現在および将来を含めた地域防災の担い手を育成し、災害時の率先行動者を育み、住民を巻き込む教育実践を目指しています。この中で『防災教育チャレンジプラン』に採択され、以下の活動を実施しています。
(1)津波被害を受けた沿岸部農家の復興支援として夏と秋に「農家に弟子入り体験」
(2)避難所での炊き出し訓練のために校内・炊き出し調理コンテスト開催
(3)被災地・仙台の復興シンボルイベントである「仙台七夕」と「光のページェント」にて清掃奉仕活動の3つです。
この活動が高く評価され、先日行われた1.17防災未来賞「ぼうさい甲子園」では入賞・「はばタン賞を受賞しました。県内では、女川中学がグランプリ、気仙沼市階上中学が入賞と3校の受賞となりました。

<2013年12月15日>津波の予測手法について
東日本大震災以降、地震や津波による被害を軽減させるための研究が進んでいます。その1つが、スパコンなどを使った地震や津波のシミュレーションによる予測になります。本日は。津波に関する予測手法について紹介します。地震そのものの発生を(特に短期に)予測することはまだ不可能ですが、地震の発生後に地震情報により、津波の発生状況(初期条件)が分かれば、津波の伝播計算をリアルタイムで実施して、津波の来襲前に、高さ・到達時間、浸水域などを予測することは可能です。30年前の日本海中部地震・津波頃から、東北大学では、このような津波予測の研究に取り組んできました。まず、この予測に必要なデータは2つあります。海底での地形条件と津波の初期波形です。地形は、予め調査や観測などにより得た結果をコンピュータに入れておきます。沖合では粗い情報で良いのですが、沿岸域に来るにつれ地形が複雑になりますので、詳細な情報が不可欠です。これは津波の予測精度を左右する大きな要因になります。次に、初期波形ですが、これは地震の規模や位置、破壊メカニズムの情報を得て、断層のモデルを推定し、海底の上下変動として与えます。沖合では水平方向は大きな影響を与えません。最近では、複雑な断層モデルもリアルタイムで推定出来るようになりましたし、直接津波観測データから推定する手法も提案されています。その後は、地形データを入れた伝播モデルにより時間ステップ毎に、水面や流速などを計算していきます。必要な時間までこれを繰り返すと、結果を得ることができます。最終的には、我々が住んでいる沿岸域や陸域での津波の姿(挙動)を評価できることになります。ただ、まだ難しい点は、津波の来襲と共に、地形変化が生じたり建物が破壊され漂流物となる状況です。これらについても研究が始められています。

<2013年12月1日>縄文時代からの津波再現の試み
東日本大震災を受けて、南海トラフにおける再現期間が千年オーダーの最大クラスの巨大津波を想定する必要があります。このような巨大地震・津波の発生の可能性を検討するためには、古代まで遡って歴史地震・津波の遡上特性を調査・検討しなければなりません。それには、従来の歴史地震・津波に加えて考古学との連携が大切です。京都大学の鈴木進吾助教、関西大学の高橋智幸教授らのグループがこのような研究を開始しています。考古学においてわかっている残存遺跡や貝塚の標高分布から過去の津波来襲を評価しようというものです。この研究では、大阪湾を対象として、文献およびボーリングデータから古海底地形を復元することから始められています。縄文時代における堆積曲線・海水準変化曲線等の文献資料から、大阪湾および大阪平野の形成過程についての基礎資料を整理しました。これによると、最終氷期が終わる1万1千年前においては、大阪湾はほぼ陸化していました。その後の海進の作用で現在まで堆積した沖積層厚を現在の地形から除去することで1万1千年前の地形を復元したのです。今後は、その地形条件で、現在想定されている南海トラフで発生する津波の数値解析を行い、各時代の地形特性に応じた津波の来襲特性を明らかにされることが期待されます。

<2013年11月24日>フィリピン台風について
11月8日、フィリピン中部を襲った台風30号(ハイエン)は、非常に大きな爪痕を残しました。史上最大規模に発達したこの台風により、フィリピン中部レイテ島の中心都市タクロバンは壊滅的な打撃を受けました。沿岸部では家屋や車が大量の水に流されて、がれきが散乱しています。まるで津波による被害のようだと言われています。死者・不明者は、1万人を超す恐れもでています。ベトナムや中国でも犠牲者がでています。一方、マニラやミンダナオ島では被害もなく、風雨が少し強かった程度と言われ、いかに局所的な災害であったかがわかります。中心気圧は895ヘクトパスカル、最大瞬間風速は90メートルと観測史上例をみない規模で、急激に発達したと考えられています。背景には海水温の上昇があり、これによって台風が巨大化したと言われています。高潮は、気圧の低下による吸い上げ効果と、暴風による寄せ波の効果があり、今回の気圧の低下により4メートルもの上昇があったことが目撃されています。しかも、タクロバン付近の地形を見ると左周りに渦を巻く、台風の影響を受けやすい形状となり、送風時間や距離が長いことから、波も発達したと思われます。

<2013年11月17日>ハーバード大学との連携研究について(2)~震災アーカイブでの連携~
本研究所とハーバード大学ライシャワー日本研究所とは、東日本大震災アーカイブプロジェクトを中心にして以前から共同研究を盛んに行っています。震災の月命日である毎年1月11日には、アーカイブについての国際シンポジウムを仙台で開催しています。今回は、先月大学を訪問させていただき、アーカイブに加えて様々な教授と交流を持ちました。東日本大震災ほど、多くの映像や写真で記録された地震・津波災害は過去に例を見ません。アーカイブとは、当時の地震発生・津波襲来の様子、救援および避難活動、復旧、そして現在も続く復興まで、同時進行中での状況を映像、写真、記録・データ、手記など様々な形で、「記憶と記録を残すものです。震災の教訓を次の世代に引き継ぐためにも、このような記録をどのように保存して、どのように活用していくのかは、私たちの世代の使命でもあります。パートナーであるハーバード大学との連携では、東北大学『みちのく震録伝』とのデータの共有・交換も行っています。また、現在以下のような機能を検討しています。
【1】検索する
【2】収集・整理する(個人・グループでの作業)
【3】プレゼン(発表ツール)
アーカイブのシステム作成チームとは、今後もどのようなコンテンツ作成が可能になるのかを検討していく予定です。

<2013年11月10日>ハーバード大学との連携研究について
ハーバード大学は1636年に設置された米国東海岸アイビーリーグの名門校です。米国最古の高等教育機関であり、世界を幅広い分野でリードしています。現在に至るまでオバマ大統領を含め8人のアメリカ合衆国大統領や、75人のノーベル賞受賞者、5人のフィールズ賞受賞者を輩出しています。このハーバード大学と、震災直後から研究交流を始めています。特に、本研究所とハーバード大学ライシャワー日本研究所で特定プロジェクト研究(連携研究)を実施しており、東日本大震災アーカイブプロジェクトを中心にして活動を行っています。先日、ハーバード大学を初めて訪問し、研究交流としていくつかのミーティングを行いました。東日本大震災ドキュメンタリー作品に関するミーティングでは、米国での核廃棄の様子+福島第一原発事故とその後、津波のケース(石碑があったが忘れられた)などの内容が紹介されました。次に、東日本大震災を中心とする地震学研究に関するミーティングでは、米国での遠距離高密度観測による日本海溝(沈み込み帯)における地震活動の観測は、近距離での観測では難しい現状のサポートが出来る可能性があることが紹介されました。最後に、東日本大震災アーカイブプロジェクトに関するミーティングを持ちました。東北大学でのみちのく震録伝とハーバード大学でのDigital Archive of Japanです。また、以下のセミナーを開催していただきました。“Lessons Learned from the 2011 Tohoku Earthquake and Tsunami:Our Role in Risk Reduction for Future Disaster”(和訳:2011年東北地方太平洋沖地震・ 津波からの教訓-将来の減災に向けた我々の役割-)

<2013年11月3日>津波と神社勉強会
低頻度災害である巨大津波防災の課題のひとつに、災害の起こる間隔が長いことから、人々がその怖さや教訓を忘れてしまいがちということが挙げられます。
そのために、どうすれば、50年、100年、1000年、と教訓を伝えられるのかというテーマに取り組む活動です。この勉強会では、そのような 「伝承」の媒体として、私たちの周囲にある小さな村の神社は、素晴らしい素材であることを確認すること、そこでどういったことを伝えていけばよいのかを考えるきっかけになればということで開始しました。コーディネーターは熊谷航さん(海洋プランニング)です。先日の勉強会では、講師として 私も参加させていただき、もう1名の講師として、森幸彦福島県立博物館学芸員(鹿島区の伊勢大御神宮司)さんが講演されました。これに先立ち、南相馬市鹿島地区において参加者と共に現地視察もいたしました。(1)真野川漁港→(2)津神社→(3)八龍神社→(4)鶏足神社→(5)御刀神社のコースです。港の神様である津神社は流されたましたが、東京などの有志の協力により再建されたこと 、八龍神社(もともとはこちらが港の神様)は、海岸にほど近いものの、ぎりぎりで助かっている、鶏足神社、御刀神社はともに古い神社ですが、御刀神社のみ社殿が流失するなど明暗が分かれています。

<2013年10月27日>中越メモリアル回廊の紹介
新潟県中越地震のメモリアル拠点となる4施設、3公園を結ぶ「中越メモリアル回廊」を紹介します。これは被災地での経験や体験を後世に残す活動です。それぞれの拠点を巡り、震災の記憶と復興の軌跡に触れることで「新潟県中越地震」への理解を深める施設になります。平成22年5月、財団法人新潟県中越大震災復興基金により「メモリアル拠点整備・運営等支援」が事業化し、中越地震から7年目の平成23年10月、長岡市と小千谷市に3施設3公園が誕生しました。そして、9年目となる先日10月23日、やまこし復興交流館「おらたる」が開館し、グランドオープンを迎えました。このグランドオープンを記念し?さまざまなイベントや企画展が開催されています。施設は、長岡きおく未来館、川口そなえ館、おぢや震災ミュージアムになります。おぢや震災ミュージアムでは以下の2つのコースが大変出来ます。
○一般コース(所要時間60分)中越地震の発生から3時間後~3日後~3ヵ月後そして3年後の小千谷の様子を展示。それぞれの段階でどんなことが起こり、何に取り組むことで復興を実現したか、ゆっくり歩いて学びましょう!
○防災学習体験コース(15~90分)中越地震の教訓を活かした防災学習体験プログラムです。地元語り部、防災工作、防災ゲーム、そなえ紙芝居、防災クロスロード、防災ワークショップなどのメニューがあります。申し込めば、どなたでも受講可能です。

<2013年10月20日>国際津波シンポジウムについて(2)
国際津波シンポジウムでの具体的な研究の話題について、いくつか紹介しましょう。
まず、さまざまな津波防災・減災対策の実施についてです。災害サイクルの中で、事前のリスク・マネージメント、事後のクライシス・マネージメントに整理して、いま、何を実施して、今後何が足りないか議論しましょう。事前においては、「不確実性をどのように評価に入れるのかが議論になりました。例えば、津波規模評価の中での不確実性~発生頻度、規模、分布、地形、数値モデル、誤差~があります。さらにその評価結果についての説明や防災教育・啓発、リスク評価と認知の重要性が指摘されました。事後においては、発生後の緊急対応に避難ビル、船舶、カプセルなどの活用、衛星情報を使った救命・救出活動、復旧・復興での具体的な検討が紹介されました。次に、2011年東日本大震災の地震・津波の海外への影響です。中国への影響、今後のリスク評価の考え方、太平洋沿岸では、2名が犠牲になりましたが、クレセント市では、津波情報が出されたことにより90%の漁船や商業船が避難出来たことが紹介されました。2011年 の太平洋伝播解析(DART津波観測、各種数値モデルの検証)から遡上計算に移行しています。

<2013年10月13日>国際津波シンポジウムについて(1)
このシンポジウムは4年に一度開催されているもので、津波に関わる科学者、技術者、警報・防災担当者、啓発・教育の専門家などが参加しています。今回はトルコ・ダラマン市周辺(地中海)で開催されました。ギリシャ側も含めて、エーゲ海では、地震・津波が発生している地域です。シンポジウム開催前日にも、地中海での津波警報に向けての会議が開催されています。これまで、ロシア(2009年)、ギリシャ・クレタ島(2005年)、米国シアトル(2001年)、オーストラリア(1997年)、日本の和歌山(1993年)などで開催されました。東日本大震災以降初めての会議となり、通常は100名あまりの参加者ですが、今回は180名を超えました。
「キーノートレクチャー」での主な内容です。まず、各国から津波に関する研究テーマが紹介されました。トルコ・中東では、地震・津波の活動、歴史建造物では(アーチ橋など)耐震性が検討されていた。また、最近の津波イベントの特徴や水理特性、局所的に津波規模(波高)が大きくなること、引き波から始まる津波の増幅傾向、湾口付近での渦形成などが発表されました。米国での津波研究は、DARTブイや津波計算により津波の数値予報(数字、波形)の開発は向上したが、必ずしも、住民・社会での減災に貢献していない、津波の波形ではなく、浸水マップという形にすべきであること。また、日本からは、私が震災アーカイブの活動紹介をおこないました。歴史的地震津波の震源・波源(特に位置)の推定の仕方についても議論がありました。

<2013年10月6日>東日本大震災での余震活動などについて
東日本大震災の余震は、岩手県沖から千葉県東方沖にかけての広い範囲の領域で発生しています。M7以上の地震は7回発生し、このうち3回は本震の直後に発生しました。最大余震は、本震から約30分後に茨城県沖で発生したM7.6の地震です。これまでにM6以上の地震は100回以上、M5以上は約600回発生していますが、最近は大分少なくなりました。余震域で発生したM4.0以上の地震は、震災後の約1年間と比べて5分の1以下となるなど、余震活動は徐々に低下してきています。ただし、現在も、M8クラスの最大余震が発生してもおかしくない状況が続いています。2004年12月に発生したスマトラ島北部西方沖の地震(モーメントマグニチュード(Mw)9.1)で は、4ヶ月後の2005年3月にMw8.6、約2年半後の2007年9月にMw8.5、約5年半後の2010年6月にMw7.5の地震が発生したほか、7年以上が経過した2012年4月にアウターライズの領域でMw8.6の地震が発生するなど、震源域およびその周辺で長期にわたって大きな地震が発生しています。一方、隣接地域の大地震をみてみますと、岩手・青森沖、1968年十勝沖や1994年三陸はるか沖の震源域、海溝外側では、1896年明治三陸地震(津波地震:M8.2~8.5)のあと、海溝の向こう側で1933年昭和三陸地震(M8.1)プレート境界型地震の後は、海溝外側の「アウターライズ」と呼ばれる領域の正断層型の地震が活発化しやすく、房総沖1611年慶長三陸地震(M8.1)のあと、房総沖で1677年延宝地震(M8.0)などがありました。

<2013年9月29日>2003年十勝沖地震について
10年前に発生した地震を紹介いたします。 十勝沖地震津波です。2003年(平成15年)9月26日早朝4時50分、北海道十勝沖で震度6弱の揺れが発生、列車の脱線、製油所の火災など、多くの被害が出ました。震源は十勝沖、震源の深さは42km、地震の規模を示すマグニチュードは8と推定されています。この際注目されたのは、石油タンクの火災と沿岸部を襲った津波でした。石油タンクの火災は、原油タンクから地震直後に火災が発生しました。火災は約8時間後に鎮火しましたが、その二日後の28日、同製油所のナフサを貯蔵するタンクから再び火災が発生し、必死の消防活動にもかかわらず44時間燃え続けました。最初の火災は、タンク内の「浮き屋根」とタンク内壁の隙間から漏れた気化油が燃えたとされています。津波の来襲状況は、地震発生後20~30分後に第一波が押し波で来襲、遡上高さは1~4メートルでした。三陸でも養殖いかだが流されるなど水産関係で被害が発生し、宮城県でも1億円もの被害(北海道では12億円)になりました。

<2013年9月22日>震災復興祈念公園について
国は、東日本大震災で被害が甚大だった宮城、岩手両県への復興祈念施設の整備に向けた基本構想検討を支援します。宮城県では石巻市で10月に、岩手県では陸前高田市で9月に、それぞれ初回の検討会が開催される見通しです。復興祈念施設(公園)は、犠牲者への追悼と鎮魂や日本再生への強い意志を国内外に示すことを目的に整備されるものです。「追悼・鎮魂」と「震災の記録・教訓の伝承」は、あらゆる機会を通じて あらゆる場面で行われますが、震災復興祈念公園はその中心的な役割を担うものと期待しています。特に、公園・緑地はその整備や運営管理を通じて、復興の象徴、防災・減災、地域の活性化等の地域ビジョンや新たなコミュニティのあり方を示す場でもあります。、石巻市では、南浜町地区約50ヘクタールでの検討になりそうです。公園の整備方針、施設配置、さらには役割と機能が議論される予定ですが、震災復興のシンボルとして、これまでの石巻市の歴史を継承・発信していく観光拠点としても整備が必要であると思います。

<2013年9月15日>山元町での避難訓練
9月1日「防災の日」を中心に各地で避難訓練が実施されました。東日本大震災の津波被害が大きかった山元町も、8月31日に実施しました。東北大学災害科学国際研究所も協力させていただき、震災時の課題として浮き彫りになった「車避難」について検討させて頂きました。東日本大震災、さらには昨年の12月7日の地震でも「車避難」のために渋滞が発生しました。3.11では車列が津波に襲われ、多数の犠牲者が出たと報告されています。山元町は平野部が広域にわたっているために、避難では車を使う住民が多いと想定されました。また、復旧・復興に従事されている作業関係の車両も多くあります。そこで、訓練では、沿岸での住民や事業所を対象に、町内の3カ所の避難場所まで車で移動してもらいました。本日は、当時、訓練や調査に参加いただいた2名の学生さんに来ていただきました。東北大学工学部2年生の戸川直希(とがわなおき)さんと来年4月から東北大学大学院に入学される予定の群馬高専専攻科2年の牧野嶋文泰(まきのしまふみやす)さんです。いずれも東日本大震災をきっかけに津波工学や防災に強い関心をもったという方々で、この分野への若い力の参画を心強く感じています。

<2013年9月1日>異常気象と極端気象
本日は、最近メディアでも登場している「異常気象と極端気象」についてお話します。まず、一般的な定義ですが、「異常気象」が30年に1回以下のかなり稀な現象であるのに対し、「極端気象」は日降水量100mmの大雨など、比較的頻繁に起こる現象まで含んでいます。今まであまり「極端気象」という言葉は登場しなかったのですが、なぜ最近、出てくるようになったのでしょうか?
稀な気象を意味する「異常気象」という言葉が、頻繁に使われすぎている状況があり、頻繁に使うのはおかしいという指摘がありました。その地域では、いままで経験の無い、通常の感覚で「異常」と思われる現象でも、毎年起こるようになると「異常でなくなり」ます。そのため、異常気象という言葉と極端気象という言葉を正確に使い分けるようになりました。
「極端気象」とは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の評価報告書で記述されている「extreme event」に対応する気象用語で、大雨や熱波、干ばつなど上記の「異常気象」と同様の現象を指します。一方、気象庁の異常気象レポートでは、「過去に経験した現象から大きく外れた現象で、人が一生の間にまれにしか経験しない(過去数十年に1回程度 の頻度で発生した)現象」(気象庁:異常気象レポート)ともしています。先ほど述べたように、メディアを中心に、異常気象が増加しているとの考え方が浸透し、同時に異常気象という言葉の概念や定義が変わりつつあります。

<2013年8月25日>「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」について
将来発生する南海トラフ巨大地震へ備える研究を理学・工学・社会学の連携で実施することを目標として、「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」が、今年から8年間の予定で始まりました。
平成24年度で終了した「東海、東南海、南海地震の連動性評価研究プロジェクト」の後継として、同プロジェクトで実施された地域研究会の対象地域を中部地方から九州地方にわたる地域に拡大し、地域の特性に応じた課題に対して研究成果の活用を推進するものです。阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災などを教訓にし、地震・津波のあらゆる被害予測とその対策、発災後の現実的な復旧・復興対策を検討するものであります。さらに、地域研究会を通じて行政等と連携、成果の社会実装を目指します。
特に、東日本大震災のあらゆる情報をデータベース化し、南海トラフ沿いの地域と比較して、被害、事前対策、復興状況など、将来の南海トラフ巨大地震 への備えの要素をあぶりだす。同時に、巨大地震の発生時期や発生の多様性に加え、時間の概念も取り入れた広域の地震・津波リスク評価と地域防災・減災を念頭に高分解能な地域リスク評価も合わせて実施する予定です。

<2013年8月18日>津波から命を守る救命胴衣の話
最近、津波から命を守るための手段として、救命胴衣(ライフジャケット)が注目されています。東日本大震災での甚大な被害を受けて、様々な検討をなされている中での、生き残るための手段になります。 津波から命を守るためには、高台の安全な場所に避難することが最も有効であり重要になります。しかし、避難できず、たとえ津波に飲み込まれたとしても、生き残れる可能性があります。なんとか、海水表面に出て漂流すれば、救助を待つことができます。
1983年の日本海中部地震津波の際に、工事現場の作業員で救命胴衣を付けていて亡くなった方は1名のみでした。ただし、津波の場合は押し波や引き波で流された家屋や車など非常に大量の漂流物があり、さらに、強固な建物をも押し流す力を持ちますので、このよう状況下では、救命胴衣を着けているからと言って、安全に漂流できるとは限りません。このように、救命胴衣があれば必ずしも「助かる」ことにはなりませんが、生き残るチャンスを拡げることは出来るはずです。
津波避難ビルなどの屋上に設置し、2次・3次の避難が難しい場合に、使用するなどの工夫が必要であると思います。現在、浮力(浮遊力)保持、耐衝撃性能、呼吸保持、体温保持、外傷対策機能などのさまざまな視点から検討が行われています。

<2013年8月11日>沿岸での津波防護に関する議論について
沿岸での津波防護について、現在議論の争点となっているのは、①観光資源・景観・生業など、まちの持続性の阻害②低平地を背水堤が占有することで土地利用の可能性が減少する③海岸環境の破壊などです。
守るべきものは何か、何を論点とすべきか?ここで、防潮堤などの防護施設の歴史を振り返ってみます。その歴史は、「稲村の火」の逸話で知られる濱口御陵が、安政南海地震・津波の後に行った堤防整備から始まり、海岸線での津波・高潮・波浪などからの防護や、越流した場合でも、浸水域の低減や津波氾濫速度の遅延効果などの一定の機能を果たしました。
しかし、高さには限界があり、越流する場合もあり、また、安全神話による防災意識の低下も招くことになりました。維持・補修・更新の費用をいかに確保するかも課題です。レベル1(設計津波水位)と施設設計(高さ)との関係の明確化、防潮堤ほか各種施設による多重制御での役割分担と評価、堤外での減災・防災のあり方、持続可能な防潮堤にするための整備の基準、設計津波、費用対効果、環境配慮などさまざまなバランスを考慮し、議論することが肝要です。

<2013年8月4日>東日本大震災を受けた津波防護の考えについて
従来の津波防護は、過去最大の津波に対して、その規模を超えないように防護施設を設置するハードでの対応を基本とし、場合によっては、津波警報や避難体制、ハザードマップなどのソフト対策を補完するのが基本でした。1933年 昭和三陸大津波の被災後に、我が国で初めての対策書「津波災害予防に関する注意書」が出来ました。 その注意書には、まず、安全な場所への移転が検討の第一歩とされ、(高地移転は、吉浜、田の浜、綾里、宮城県相川で成功)、移転が難しい場合には、地域を防護する防浪堤建設(田老、吉浜で始まる)、防潮林、護岸を設置する。さらに、迅速で適切な避難を支援するための防浪地区の指定、避難道路、津浪警戒、津浪避難、記念事業などが盛り込まれていました。
しかし、2万人にも及ぶ犠牲者を出し、その9割が津波による言われる東日本大震災後、あらたな津波防護の考え方が必要になりました。被災後さまざまな議論がなされ、東日本大震災のような大規模な災害を想定し、「なんとしても人命を守る」という考え方に基づき、ハード、ソフト施策の適切な組み合わせにより、人命を守りつつ、被害をできる限り軽減する「減災」のための対策を実施する(レベル2)。海岸保全施設などの構造物による防災対策については、社会経済的な観点を十分に考慮し、比較的頻度の高い一定程度レベルの津波あるいは高潮を想定して、人命・財産や種々の産業・経済活動を守り、国土を保全することを目標とする(レベル1)。
被災地では、復興に向けて、居住地区の位置(高地移転や現状復帰、場合によっては嵩上げ)や、沿岸での防潮堤の高さを決定し、 新たな発想による津波防災・減災のための施策を計画的、総合的に推進する仕組みを東日本大震災からの復興まちづくりに組み込むことを 目標とされました。

<2013年7月28日>エコモデルタウン仙台市田子西地区のご紹介
平成21年度から、田子西土地区画整理事業が行われております。国際航業(株)が中心となり、仙台市田子西土地区画整理組合、宮城県、仙台市、東北大学ならびに関係企業と連携を取り実施しています。「エネルギー消費の抑制」「快適に暮らせる仕組み」「自然との融合」を基本に取り組まれていました。
その中で、東日本大震災の多くの経験と教訓を踏まえて「災害に強い都市基盤」 をあらたに加え、取り組みを加速させています。さらに、本年度中に、北側の地区で、太陽光発電やエネルギマネージメントシステムを導入した復興公営住宅が完成の予定です。田子西地区では保留地16,000m2で総戸数176戸の復興公営住宅を建設しています。中庭を中心とする中層住宅4棟を広場や通路でつなぐネットワーク 型住宅です。太陽光発電などを整備し、停電時には太陽光発電や蓄電池の電力を集会所へ供給するなどのシステムを導入します。
まち全体のエネルギマネージメントや災害時にもまちの最低限の機能を維持するためのリスクマネジメントも加え、田子西地区独自のモデルの構築を検討していくということです。

<2013年7月21日>地域で実施されている津波避難訓練について
先週は、津波防災まちづくりの計画策定の話をいたしました。そこでは、津波避難計画の基本的考えと住民参加または合意形成の重要性を紹介致しました。本日は、その両方にとって有益な事項をお話します。それは、避難訓練です。住民の方々に、避難の重要性を認識していただくだけでなく、避難計画作成にも役立ちます。
具体的に、避難行動を取ることにより、途中経路での安全性や渋滞の可能性などの確認、さらに避難所要時間の測定、さらに代替避難ルートの検討などができます。これらの情報は、実際の地域での結果ですので、具体的かつ信頼性の高い情報となります。ただし、参加人数や訓練を行う時期(季節)や時間帯の工夫は必要です。次に、東日本大震災の被災地での津波避難訓練を紹介します。取組内容もユニークなものになりました。
石巻市のスローガンは≪とにかく、にげっぺ!≫、岩沼市は≪カケアガレ日本≫、名取市・亘理町では、あえて、自動車を使った避難の試み、約1万人が参加して行われた仙台市などです。震災後初の訓練は、昨年から始まりました。余震やアウターライズでの地震の発生の可能性が依然としてありますので、訓練は不可欠です。地域住民だけでなく、復旧・復興作業に携わる作業員や関係者の方々の参加も重要です。

<2013年7月14日>津波防災まちづくりの計画策定に係る指針について
先月、国土交通省は、「津波防災まちづくりの計画策定に係る指針(第1版)」を策定しました。東日本大震災では、犠牲者の9割が津波によるものであったことを受け、平成23年12月には、東日本大震災での教訓に基づく法律が出来ました。「津波防災地域づくりに関する法律」(平成23年法律123号)です。
災害対策基本法に基づく防災基本計画が見直され、この中に、あらたに「津波につよいまちづくり」の項目が設けられました。この法律に基づいて、津波から人的被害を出さない地域づくりの推進計画が求められますが、計画の策定は簡単ではありません。そこで指針(助言)が作られたのです。
ここでは2つの重要な要素があります。まずは、津波避難計画の基本的考え、避難のための前提条件や留意点などの整理です。さらに2つ目として、行政が地域住民と話し合いながら作成していく、合意形成の進め方です。これを推進計画と呼びます。一方的に作成したものは、住民の中で生きてきません。具体的な地域での避難計画を議論するためには、避難シミュレーションが有効です。これを利用しながら、津波避難ビルや避難経路の確保、道路閉塞や渋滞の起こる可能性のある路線を設定できます。
また、公共施設を整備する際に、津波避難ビル・タワーとしての活用も視野に入れる点や、避難場所として望ましい場所に施設を配置する点も判断材料にすることを求めています。あらゆる可能性を考え、事前に計画を立てましょう。個々で大切なのが、いくつかのシナリオを考えることです。実際の津波と想定とは違いますので、その場に応じた臨機応変な判断能力を身に付けることが大切です。

<2013年7月7日>ヒトの目に映る3.11津波浸水
東日本大震災の津波痕跡を「ヒトの目線」で見ることができるサイトを公開しました。2011年東北地方太平洋沖地震によって、太平洋の広い範囲に津波が来襲しました。
この津波に対して、土木学会海岸工学委員会・地球惑星連合等の関係者によって「東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ」が結成され、全国的に津波の痕跡調査が実施されました。その調査結果は、同グループのウェブサイトで公開されています。
現在、調査結果のデータは、東日本大震災に関する様々な科学的・工学的な研究の基礎データとして活用されています。東北大学災害科学国際研究所では、この痕跡調査の結果(津波の高さ) を一般の方にも分かりやすいかたちで発信するためのインターネットサイトを構築し、その公開を開始しました。このサイトは、東日本大震災の津波の痕跡高をGoogle Earth上にポリゴンバーで表示しており、鳥瞰的に津波の痕跡高を見ていただけます。さらに、ポリゴンバーをクリックすることによって、「ヒトの目線」まで 画面が自動遷移し、虫瞰的に津波の痕跡高を見ることができます。
インターネット上で、東日本大震災の津波の高さ・恐ろしさを「人の目線で」、と「陸側地形と一緒に」観ていただけるようになっています。皆様の防災・減災教育に活用いただくことを念頭に作成しました。こちらのサイトよりご覧になれます。みちのく震録伝または、「ヒトの目に映る3.11津波浸水」

>> ヒトの目に映る3.11津波浸水

<2013年6月30日>新刊のご紹介
この6月に出版した新刊本『東日本大震災を分析する』を紹介したいと思います。ちょうど1年前の災害科学国際研究所の発足時に、研究所の代表的な活動として出版が提案され、自然科学と人間・社会科学に分けられた約50編の報告がまとまったものです。このテーマや報告は、研究所の前身だった防災科学研究拠点が行いました。
内容は、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年後の各報告会での話題から選りすぐったものです。平川所長と私が編集を担当させていただきました。東日本大震災に関する数々の出版物がありますが、約2年後までの情報・データ、解析結果を学際的にまとめたものです。
第1巻では3.11以前の巨大地震への防備と実際、地震・津波の発生メカニズム、津波と洪水の被害、建物の被害、そして原発事故や交通網などに波及した広範な被害の実態と要因の分析。
第2巻では災害時の医療現場の対応と被災者のこころと健康支援、甚大な被害を受けた沿岸部の津波対策と復興のまちづくりの取り組み、震災の歴史資料保存と東日本大震災の記録、体験の継承などを扱っています。

『東日本大震災を分析する1-地震・津波のメカニズムと被害の実態-』『東日本大震災を分析する2-震災と人間・まち・記録-』平川新・今村文彦・東北大学災害科学国際研究所(編)

<2013年6月23日>国際防災戦略について
地球規模の大災害が発生し、その影響範囲はグローバル化に伴い拡大化して います。世界的な防災に対する取り組みが過去にも増して重要になっています。
そのため、国際連合事務局には国際連合国際防災戦略(United Nations nternational Strategy for Disaster Reduction)国連ISDRが2000年に設立されています。本部はジュネーヴです。前回は、2005年に国連防災世界会議が開催され、その時まとめられた指針が「兵庫行動枠組」です。2015年までの10年間の 指針と目標を立てました。この行動枠組の実施により今後10年で期待される成果は、災害による人的被害、社会・経済・環境資源の損失を実質的に削減させるため、次の3つの戦略目標が設定されています。
(1)持続可能な開発の減災の観点をより効果的に取り入れる
(2)すべてのレベル、特にコミュニティレベルで防災体制を整備し、能力を向上する
(3)緊急対応や復旧・復興段階においてリスク軽減の手法を体系的に取り入れる。さらに、優先行動としては、
1.防災を 国、地方の優先課題に位置づけ、実行のための強力な制度基盤を確保する
2.災害リスクを特定、評価、観測し、早期警報を向上する
3.全てのレベルで防災文化を構築するため、知識、技術、教育を活用する
4.潜在的なリスク要因を軽減する
5.効果的な応急対応のための事前準備を強化する。
の5つが挙げられています。今後、2015年に開催される仙台会議において、「ポスト兵庫行動枠組」が熱く議論されることになります。東日本大震災を経験した日本が、官・民を超えて、経験や教訓を共有し、世界に発信していく重要な機会になります。

<2013年6月16日>ジュネーブでの国連防災関連会合について
先日、仙台市が2015年国連防災世界会議のホストになることが閣僚了承されました。これを受けて、先月下旬に、ジュネーブで開催されました国連防災関連会合(第4回防災グローバルプラットフォーム会合)に参加してまいりました。テーマは、“Invest Today for a Safer Tomorrow: Resilient People ? Resilient Planet"(明日の安全のための今日の評価:レジリエントな(回復力のある)人々、レジリエントな世界を目指して)です。各国の国際機関、民間団体、NGO等から多数(171団体、3500名)が参加しました。
「兵庫行動枠組」の評価や「兵庫行動枠組」の後継の枠組に向けた重要な議論が行わ れました。この防災グローバル・プラットフォーム会合は、2005年に神戸で開催された第2回 国連防災世界会議で採択された「兵庫行動枠組2005-2015」の進捗状況を点検・評価し、今後の推進方策を検討するため、隔年で開催される国連(UNISDR)主催の閣僚級も参加する国際会議です。
会議に先立ち、科学技術関係の会合があり、災害科学国際研究所の設立、目的、活動さらに、2年後のポスト「兵庫行動枠組」への貢献について発表を行いました。また会合では、国際航業(株)主催の展示ブースにおいて、仙台市と共に 災害科学国際研究所の展示(ポスター、パンフレット、ニュースレター、減災風呂敷、防災えほん)を行いました。
今回の会合中には、全体会議の場で official statementも発表し、復旧・復興への援助に対する感謝、災害科学・研究の必要性、国連のイニシアティブで直接被害そのものは減少しつつあるが、経済被害(サプライチェーンへの影響)の被害は増加していること、2015年国際防災世界会議での役割などについて発表致しました。

<2013年6月9日>津波からの避難の手引き第2版と避難訓練について
仙台市の「津波からの避難の手引き(暫定版)第2版」が、4月に市内各家庭に配布されています。東日本大震災では、多くの方が津波の犠牲になってしまいました。
今後も余震等により起こりうる津波に対し、自分や家族の命を守るために、「津波からの避難の手引き(暫定版)」を活用し、事前に避難場所を確認しておきましょう。平成24年10月発行の第1版をお持ちの方は、避難場所の内容が異なりますので破棄してください。津波は第1波が最大であるとは限りません。何度も繰り返し来襲し、何番目の津波が最大になるかは分かりません。水位が下がったように見えても、警報や注意報が解除されるまで、安全な場所にとどまりましょう。
6月12日には、仙台市内で津波避難訓練も予定されておりますので、是非ご参加ください。

>> 「津波からの避難の手引き(暫定版)第2版」

<2013年6月2日>三重大学の「さきもり(防人)塾」について
本日は、西日本での防災に関わる人材育成についてご紹介します。三重大学と三重県は連携して、地域防災のリーダーとなる人材の養成を実施しています。これまでの地域での取り組みをさらに発展させ、高度な防災教育により、企業・行政・地域における防災・減災活動の中心的な役割を担い、産学官民が連携して行う防災コミュニティの核となることを目指しています。平成22年度から実施され、今年で4年目になりました。
「特別課程」「入門コース」の2種類があり、7科目を修了すると『美し国三重のさきもり』として認定されます。「入門コース」は2科目の履修で、『さきもり補』になれます。具体的には、行政やNPOが行う啓発や、 タウンウォッチング、ワークショップのファシリテート(議論の進行・調整役)などを実習として行います。
平成25年度の入塾生として、行政、学校教員、サラリーマン、主婦、地域リーダー、学生など多彩な方々が参加しています。

>> 美(うま)し国おこし・三重さきもり塾

<2013年5月26日>日本海中部地震津波について
日本海中部地震津波から、今日でちょうど30年が経ちました。昭和58年5月26日に秋田沖で、M7。5の地震が発生しました。その後、津波が発生し日本海沿岸を襲いました。最大遡上高さは13mを超えました。104名もの犠牲者が出ましたが、そのうち100名が津波により亡くなられました。しかも、小学生13名、港湾工事従事者35名、釣り人30名以上と、多くの犠牲者は、住民ではない方々が犠牲となりました。
この地震は、地震の空白域で生じたと言われています。第一種空白域とは、大地震を起こす能力をもっていながら最近長い間大きな地震が起きていない場所であり、近隣地域では地震が発生しているものの、そこだけ取り残されている領域と言われています。現在、山形の酒田沖などがあります。さらに、第二種空白域とは、普通の地震活動から、突然活動が静穏化し、やがて大地震を引き起こす地域を言います。日本海中部地震津波の場合には、1978年頃から空白域が形成されていたと言われてました。
小学生13名の犠牲は痛ましいものでありました。男鹿市の加茂青砂で、遠足で訪れていた北秋田郡合川町(現在の北秋田市)立合川南小学校の児童43人と引率教諭たちが津波に襲われたのです。地震発生時には、車で移動中で揺れを感じなかったため、そのまま昼食の場所である海岸に移動したようです。そこに津波が来襲し、児童や先生を飲み込みました。漁船や付近の女性などに救出されましたが、児童13人が犠牲となりました。学校での防災教育のあり方も問われ、戦前に教科書の副読本としてあった「いなむらの火」の復刻の必要性が叫ばれました。

<2013年5月19日>大川小学校事故検証委員会について
東日本大震災の津波により多数の犠牲が出た石巻市立大川小学校の事故に関して、公正中立かつ客観的な検証を行うため、第三者による大川小学校事故検証委員会が設置されました。この検証委員会では、石巻市・石巻市教育委員会から独立して、検証の方針 を決定し中立に検証することになりました。
6名の委員メンバー、4名の調査委員、2名のオブザーバー(文科省、宮城県教育委員会)、事務局という体制です。今年すでに2回の委員会が開催されました。今後、避難時での対応、学校での事前の防災、地域・教育委員会の対応な どで、検証が行われる予定です。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)河口から約5kmの距離にある当校を襲ったと推定さています。校庭に避難していた児童108名 中70名が死亡、4名が行方不明、教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明となり、自然災害による学校管理下では最悪の惨事となりました。 地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあり、学校南側の裏山は急斜面で足場が悪いことから、約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)を目指して移動し始めたと言われておりました。その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方からのみ込みました。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がるなどして、一部は助かったと言われています。
その後の住民の証言やマスコミ取材等で、当時の避難行動について疑問が 生じており、今回の検証委員会で実態を明らかにすることが求められています。

<2013年5月12日>大船渡津波伝承館について
東日本大震災の多くの教訓を語り繋ごうと、3月11日 に津波伝承館が開館(仮オープン)しました。これは、斉藤賢治(さいとう製菓専務)さんら市民の有志が昨年8月に立ち上げた一般社団法人「大船渡津波博物館」が計画したものです。写真展示のほか、斎藤さんが避難時に撮影した記録映像の上映、 震災体験者の語りなど、来館者が直接、津波の脅威を感じられるように工夫されています。この伝承館には、2つのプログラムがあります。
始めは、語り部さん による津波映像の解説と被災体験談になります。斉藤さんが、地震時から津波来襲時、さらに、その後の避難体験、工場再開の様子など、多彩な内容になっています。歴史的には、三陸沿岸では、明治、昭和、チリの3つの地震津波によりが大きな被害を受け、ここでの経験を今後の防災に生かそうという活動が地域で行われてきました。斎藤さんのお父さんが、大船渡市に移住したのが昭和8年、まさにこの年の3月3日 に、昭和三陸地震津波が発生しました。それ以降、お父さんは家族や周辺に、常に「津波の怖さ、恐ろしさ」を語っていたそうです。斎藤さん自身、12歳の時にチリ津波を体験、大船渡市は、この際にも大きな被害を出しています。

>> 大船渡津波伝承館

<2013年5月5日>中国四川地震について
2013年4月20日8時2分頃(CST)、中国四川省雅安市芦山県竜門郷で地震が発生しました。
雅安地震(があんじしん)、芦山地震、中国中部地震とも呼ばれています。震源の深さは13キロ、地震の規模を示すマグニチュードは7.0、2008年の四川大地震と同じメカニズムの逆断層型の地震です。今回地震が発生した四川省などがある中国の西部では、ユーラシア大陸の大部分が乗ったユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートが衝突している影響で過去何度か地震が発生しており、特に、四川省から雲南省にかけて、規模の大きな地震が時々発生しています。四川省地震局によると、200名もの犠牲者が出た模様です。落石などによる交通遮断で捜索が遅れている山間部を中心に、取り残された被災者の救助は難航をきわめたようです。
2008年の四川大地震では、国家的な初動対応の遅れや手抜き工事などが原因で学校の校舎が各地で相次ぎ倒壊しました。この際の教訓が生きた部分もあったようです。中国外務省は、外国からの災害救助活動で支援は必要ないと発表したのは適切だったでしょうか?今後、余震や降雨による地すべり、感染症など2次被害が懸念されます。

<2013年4月28日>お役立ちWEBサイトのご紹介
東京海上日動の公式サイト 「あしたの笑顔のために~防災・減災情報サイト~」をご紹介します。これは、災害科学国際研究所の寄附研究部門が監修させていただいたものです。あしたくるかもしれない、地震、津波、風水害。
このサイトでは防災・減災に役立つさまざまな知識を紹介しています。主な4つのコンテンツがあります。≪災害への対応≫ 地震、津波、台風、竜巻・集中豪雨など(メカニズム、被害、備え、対応)≪災害への備え≫ 防災グッズ、心構え、避難場所の確認、受ける損失≪災害を低減するために(減災)≫幸せが丘で4人+1匹で暮らす「安心家」。防災のことを真剣に考えています。≪安心家の防災道場≫ 防災に関する10問のクイズに答えるものです。
皆さんもチャレンジしてみてください。

<2013年4月21日>耐津波工学の検討委員会について
東日本大震災により、福島第一原子力発電所の過酷な事故が発生し、いまだに大きな影響を与えています。今回の原子力発電所における津波対策の課題をまとめ、このような事故を決して再発させない事が必要です。そのためには、不確定性の高い地震・津波ハザードを前提とするリスク論的意思決定だけでなく、それを着実に実行する技術ガバナンスの確立が不可欠です。
この検討のために、日本地震工学会に委員会が立ち上がりました。名称は、「原子力安全のための耐津波工学の体系化に関する調査委員会」です。津波による外力作用は、浸水、波力(波圧)、洗掘、浮力、揚力などのさまざまな様相を持つため、その対策には「防水」・「耐水」・「避水」による柔軟な方法論が必要です。特に、動力駆動装置、配電盤、計測制御板などの電器系統が無防備な状態にあると、水に接触することが直ちに機能喪失という状況を招きます。
今後、地震・津波作用下で原子力発電所に起こりうる事故のシナリオを作成し、安全に関わる機器・構築物をもれなく取り上げ、対策の基本を明らかにしたいと思います。この委員会は、これらの事項を対象に「耐津波工学」の体系化を行うことを目標としています。

>> 原子力安全のための耐津波工学の体系化に関する調査委員会

<2013年4月14日>ハワイ大学とのジョイントセミナーについて
3月28日にハワイ大学海洋資源工学部 Kwok Fai Cheung教授と 山崎良樹博士を招聘し、東北大学青葉山キャンパスにて「津波防災に関する国際的な津波防災」をテーマにジョイントセミナーを開催しました。ハワイ大学と災害科学国際研究所は2012年8月から、研究・教育交流を行っています。
ハワイ諸島は太平洋の中心に位置するため、プレート境界型の巨大地震津波の脅威にさらされており、日本と同じく津波防災に関する深刻な課題を抱えています。東日本大震災を引き起こした地震による津波もハワイ諸島に到達し、津波警報が発令されました。そのような背景のもと、ハワイ大学で取り組まれている津波解析技術、これまでに取り組まれてきた津波防災対策、津波ハザードマップの活用と課題、そして、東日本大震災後の日本における津波防災の取り組みとその課題について意見交換を行いました。セミナーでは、ハワイ諸島における津波災害の経緯やこれまでの津波防災の取り組みと、東北地方太平洋沖地震津波が与えたハワイ列島における津波防災指針の変化についてCheung先生から、発表していただきました。
また、山崎博士からは、ハワイ大学で開発した高精度津波解析の説明、それを用いた東北地方太平洋沖地震津波への適用と、これまでに発生した津波災害事例における精度検証などについて、発表していただきました。

<2013年4月7日>高知県での津波痕跡調査の成果について
県などが、独自で津波の調査などを実施する例は多くありません。今回は、高知県での取り組みをご紹介します。よりリアル感を持って津波への意識を高めるためには、過去に発生した津波の襲来履歴や浸水状況を把握し、シミュレーションで出された浸水予 測結果と重ね合わせを行う事が有効です。
平成23年度の津波痕跡調査として、高知県に被害をもたらしたことが判読できる、「慶長地震(1605年)」、 「宝永地震(1707年)」、 「安政南海地震(1854年)」、 「昭和南海地震(1946年)」 を対象に、古文書・史跡等の調査を行いました。 その結果、慶長地震7箇所、宝永地震176箇所、安政南海地震48箇所、昭和南海地震 30箇所、合計261か所の痕跡を確認し、位置図とカルテにまとめました。
平成24年度の津波痕跡調査としては、地形や地質、古文書記録などをもとに、過去の津波による堆積物が残っているであろう場所を選定し、158か所で地質調査を行いました。そのうち、62か所で「津波痕跡の可能性が高い」または「津波痕跡の可能性がある」堆積物を確認することができました。この調査で、最大クラスの浸水域にも古文書などの痕跡が存在する箇所があることが判明しました。また、地域によっては、複数の津波堆積物が分布しており、過去繰り返し津波が襲来したことを示しています。

<2013年3月31日>震災遺構について
先月23日、仙台市内で、津波の被害や教訓を伝える震災遺構の保存の意義や課題を議論するシンポジウムが開催されました.元広島平和記念資料館長の原田浩さんは、戦後20年たって、原爆ドームの存続に向けた市民運動が起こった経過を説明、「震災の教訓を子孫にどのような方法で伝えることができるのかを考えてから、遺構の保存の賛否を検討してほしい」と訴えました。
また、新潟県長岡市の山古志支所長を務めた斎藤隆さんは、2004年の新潟中越地震で水没した家屋について「住民が保存を議論するようになったのは、仮設住宅の生活が解消してからだった」と指摘、「被災した住宅を見るのがつらいと話した女性たちが、今では『被災した家があるから、震災のことや支援へのお礼が伝えられる』と話すようになった」と語りました。震災遺構の保存及びその活用にあたっては、
①目的の明確化(3.11の記憶の伝承、防災教育、鎮魂、復興のシンボル、地域の記憶の継承)
②検討事項として、遺構の保全対策(劣化への防止、耐震診断)、安全対策、防災対策(避難計画)
③住民感情への配慮などの議論が大切で、段階的な整備が重要であると思います。

<2013年3月24日>東日本大震災2周年シンポジウムについて
3月10日、トラストシティカンファレンス仙台で、シンポジウムを開催し、東日本大震災から2周年を迎えた今、東北大学に新たに設置された災害科学国際研究所が、震災からの復興と日本の再生に向けて、どのような活動をしてきたかを振り返りました。また、世界中どこでも起こりうる巨大災害の被害を軽減するために、人間や社会がどのような形で具体的に問題を解決していくのか、その学問的な礎を築く上での、研究所の役割と方向性を再確認し、今後のさらなる努力と貢献を誓いました。
まず、「地震学研究の最先端~災害科学への期待と課題~」と題した加藤照之(東京大学地震研究所地球計測系研究部門・教授、日本地震学会会長)先生の記念講演をいただき、災害科学国際研究所の各部門から、下記の研究報告を行いました。
越村 俊一(災害リスク研究部門/広域被害把握研究分野)杉浦 元亮(人間・社会対応研究部門/災害情報認知研究分野)姥浦 道生(地域・都市再生研究部門/都市再生計画技術分野)藤本 博己(災害理学研究部門/海底地殻変動研究分野)富田 博秋(災害医学研究部門/災害精神医学分野)柴山 明寛(情報管理・社会連携部門/災害アーカイブ研究分野)。
さいごのパネルディスカッションは「復興の支援と日本の再生―災害科学国際研究所の役割と貢献-」をテーマに、コーディネータを板橋恵子さんにお願し、議論させていただきました。

<2013年3月17日>「かたりつぎ」イベントについて
東北大学災害科学国際研究所では、3月1日(金)、東北大学川内萩ホールを会場に、東日本大震災アーカイブ語りべシンポジウム「かたりつぎ」~朗読と音楽の夕べ~ を開催しました。この企画は、みちのく震録伝(震災アーカイブ)のプロジェクトによるもので、多くのボランティアの方々に支えられての開催でした。
女優の竹下景子さんが、実際の体験談をもとにした7つの物語を朗読、物語ごとに、チェロやピアノの生演奏が流れたり、被災地の写真が映し出されたりしました。竹下さんの臨場感あふれる朗読に観客のみなさんは、静かに聴き入っていました。震災による個々の貴重な経験を、知識にし、普遍化する必要があります。
集められた記録の中から被災地の復旧・復興、今後の防災・減災行動に資する重要なことばや思いをわかりやすいかたちに起こし、語りつぐ記憶として記録していくことが大切です。世代を超えて伝承し、忘却させない社会を形成するには、人の思いや気持ちを「お母さんが子供に語りかけるように」語りつぐ必要があると思います。

<2013年3月10日>東日本大震災から2周年を迎えて
震災から2年を迎えます。インフラ等の復旧事業はほぼ終了し、すまい・くらし・きずなのための復興事業が本格化しています。まず、「すまい」については、まちづくり(復興公営住宅など住居の建築) が主であり、さらに安全で安心なまちづくりの検討が必要です。
具体的には、いまだ余震活動が活発な中で、避難計画の作成、津波防災まちづくり法による危険地域の指定、土地利用の規制、震災の経験と教訓の伝承などがテーマです。先日、2月23日に は、仙台市内で、津波の被害や教訓を伝える震災遺構の保存の意義や課題を議論するシンポジウムが開催されました。
次に、「くらし」については、産業の回復および再生が最も重要な課題です。特に、沿岸部においては、水産業の復活が必須ですです。また、新しい農業(工場での水栽培)、自立分散型のエネルギー、福祉事業なども注目されています。農学研究科の中井裕先生を中心に、東北復興農学センター構想を立ち上げており、新しい農業(イノベーション)、人材育成、実装科学、菜の花プロジェクト、IT農業などが、推進されつつあります。
さらに、「きずな」については、コミュニティー形成に不可欠なものです。ボランティアと被災地との交流も重要であり、防災を学ぶツアーなどの企画も大切であると思います。

<2013年3月3日>アウターライズ地震についてー昭和三陸大津波
昭和三陸地震・津波は、1933年(昭和8年)3月3日、まさに桃の節句の午前2時30頃に発生しました。非常に寒さの厳しい夜だったそうです。この地震は、昨今よく耳にするようになった「アウターライズ地震」でした。プレート間の巨大地震の後に、応力状態が変化し、プレート地震の自重により引っ張られ、ちぎれた破壊で発生するものです。昨年12月07日17時18分頃に発生した地震(震源地は三陸沖牡鹿半島の東240km付近、震源の深さは約10km、地震の規模マグニチュードは7。3と推定)は、2011年の3。11地震によるアウターライズ型の地震になります。
三陸沖合いの地震であり、遠くの地震であるため震度分布が広域となり、津波の到達も30分以上経過後になりました。昭和地震津波では、強い揺れだけではなく津波も伴い、死者・行方不明者は、あわせて3、000名を上回りました。宮城県内での犠牲者も300人を超えました。沿岸各地で震度5以上を記録し、明治地震津波の際の揺れとは大きく異なるものでした。当時、明治地震津波の経験から、「弱い揺れの際に津波が大きくなる」、逆に「強い揺れの際には津波は小さくなる」と思い込み、逃げ遅れた方も少なくなかったようです。

<2013年2月24日>津波避難対策推進マニュアルの改訂について
消防庁の津波避難対策推進マニュアルが、東日本大震災の被害や教訓を生かす改訂が検討されています。改訂のポイントは以下になります。
(1)「避難場所」の考え方:災害から一時的に難を逃れる緊急時の「避難場所」と、中長期にわたって被災者が生活する場所としての「避難所」を明確に分けて定義した方が良いか。「発生頻度が高く、津波高は低いものの大きな被害をもたらす津波(レベル1)」、 「発生頻度は極めて低いものの、発生すれば甚大な被害をもたらす最大クラスの津波(レベル2)」の2つのレベルの津波に対する「避難場所」の安全性についてどのように考えるべきか。 (2)女性の視点の活用:地域における生活者の多様な視点を反映した対策を実現するため、これまで不十分だった女性の視点を取り入れることにも配慮するとともに、女性が地域の中で主体的に防災に関して考え、行動していく必要がある。(3)津波避難施設について:津波避難ビルや津波避難タワーなどのハード整備の推進のほか、高速道路等への積極的な避難について盛り込むべきか。 などが論点として議論され、今年度中にあらたなマニゥアルとして施行される予定です。

<2013年2月17日>津波警報の改善について
気象庁は、津波警報を改善し、平成25年3月7日12時から運用を開始します。気象庁は、東日本大震災での津波被害の甚大さを教訓に、警報の内容を修正します。まず第一は、地震発生直後にその地震の規模(マグニチュード)を測定し、それをもとに発生する津波の高さを想定していますが、巨大地震の場合は正しい地震の規模をすぐに推定できないため、最大級の津波を想定して大津波警報や津波警報を発表することとします。津波による災害の発生が予想される場合、地震発生後約3分で、大津波警報、津波警報または津波注意報が発表されます。その際、予想される津波の高さについては、大津波警報では「巨大」、津波警報では「高い」という言葉で発表します。
「巨大」という言葉を使った大津波警報が発表された時は、東日本大震災のような巨大な津波が襲うおそれがありますので、直ちに海岸や河川から遠く離れるほか、その時間がない時は、津波避難ビルなど安全な場所へ避難してください。第二に、新しい津波警報・注意報の分類と、とるべき行動を示します。予想される津波高さを従来の8段階から5段階に変更し、それぞれの段階でとるべき行動も示します。最後に、津波が観測されたときには「観測情報」を発表します。
津波は何度も繰り返し襲い、後から来る津波の方が高くなることがあるため、高い津波が来る前は、津波の高さを数値ではなく「観測中」と発表します。「観測中」と発表された場合は、これから高い津波が来ると考えて警戒を続けることが大切です。

<2013年2月10日>静岡県での防災の取り組みについて
先々週、富士常葉大学の阿部郁男先生から、静岡での津波対策のお話しをいただきました。今日は、関連して2つの検討と取り組みをご紹介致します。静岡県の防災は、東日本大震災の教訓をもとに、南海トラフ巨大地震などの広域災害を想定するとともに、富士山噴火との連動や原子力災害の同時発生といった「複合災害」への対応を強化することが特徴です。
まず1つは、今年6月の策定を目指す「第4次地震被害想定」です。駿河トラフ・南海トラフ側で起きる場合と、相模トラフ側で起きる場合を想定、津波については、100年に1度の頻度で発生する大きな津波(レベル1)と、千年に1度の頻度で発生する極めて大きな津波(レベル 2)を想定しています。4つのタイプの地震・津波について、震度分布や津波高を推定し、人的被害や物的被害を算出、対応策をまとめる予定です。さらに、富士山の噴火に備える広域避難計画案を検討しています。1707年、宝永時代に富士山が噴火しました。この噴火が始まる49日前の10月28日にマグニチュード8.6と推定される宝永地震が起こっているのです。
富士山噴火により、静岡県側の山麓4市1町全体で避難の対象となる人数は延べ約56万7700人(一部重複)に上ると推計しています。溶岩流などの流下物の流域別に山麓を10のラインに分け、火口付近から第1~4次のゾーン別に順次、広域避難を進めていく考え方を示しています。

<2013年2月3日>「生きる力」キックオフ・シンポジウムについて
災害大国である日本において、災害を乗り切り、生きる力を国民運動化するプロジェクトをスタートします。そのコンセプトを国内外に広くお披露目するとともに、その力を国民全体に普及させるために、産官学の知恵を結集したいと思っています。東日本大震災からおよそ2周年となる3月7日(木) 13:30~17:00、東京の大手町で、キックオフ・シンポジウムを開催する予定です。
東北大学災害科学国際研究所が主催で、多くの後援をいただき、当日は、産官学からご登壇いただき、ご講演いただくとともに、ディスカッションの場を設けたいと考えています。また、あわせてパネル展示なども行い、様々な活動の交流、情報交換の場ともできたらと思っています。

<2013年1月27日>南海トラフ巨大地震と静岡県での津波対策について
今朝は、2011年3月まで今村研究室の一員だった静岡・富士常葉大学准教授 阿部郁男先生をお迎えして、南海トラフで予想される巨大地震・津波、その対策についてお伺いします。南海トラフとは、静岡県の駿河湾から紀伊半島、四国、九州の沖に連なるプレートが沈み込んだ部分で、100年~150年間隔でマグニチュード8を超える巨大地震が繰り返し発生している場所です。
東日本大震災を受け、南海トラフで同じ規模の地震が発生した場合の被害想定が、昨年8月末に公表されました。地震の規模はM9.1、最悪ケースで死者不明者32万人を超え(東日本大震災の約17倍)、静岡県は死者10万9千人、そのうち、津波が原因となる死者は9万5000人が想定されています。津波による死者が多く想定されている原因として、大きな津波が地震後の僅かな時間で襲ってくることが挙げられています(予想される最大の津波高は、下田市で33m、南伊豆町26m)。
静岡県は、巨大津波に備えた対策として避難施設の整備や、避難計画の見直しを進めていますが、さまざまな企業、学校、病院、福祉施設などでも津波対策の見直しが進んでいます。予告なしの避難訓練を年に4-5回実施している学校もあり、避難訓練に合わせて、防災の授業、先生方の研修会、PTAの勉強会も盛んに行われています。
いろいろな現場で話を伺い、今、みなさんが欲しているのは、「あなたの学校、あなたの会社では、何分後までにどこに避難すれば助かるのか」といった、より具体的な情報であることを感じています。今後は、東日本大震災の教訓も踏まえて、情報、施設、避難計画を一体となって考えてゆかなければならないと思っています。

<2013年1月20日>過去に起きた地震・津波について
本日は、ここ30年間に起きた地震・津波について紹介します。まずは、30年前1983年5月26日、北秋田沖で発生した日本海中部地震・津波です。秋田県能代市の西方沖80km(北緯40度21.6分、東経139度4.4分、深さ14km)の地点で発生した逆断層型の地震で、マグニチュードは7.7でした。秋田県・青森県・山形県の日本海側で10mを超える津波が発生、死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者でした。
次は、20年前、1993年の北海道南西沖地震・津波です。7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震で、マグニチュードは7.8、推定震度は6の烈震で、日本海側で発生した地震としては最大規模のものとなりました。震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、死者202人、行方不明者は28人にのぼりました。
次にその10年後、2003年に三陸南、宮城県北部、十勝沖で発生した連続地震。まず、5月26日18時24分に宮城県沖を震源とする地震、7月26日、宮城県北部(鳴瀬町、矢本町、河南町周辺)を震源として連続的に発生した地震で、最大震度6弱を超える地震が1日の内に3回発生しました。この地震の特徴は、本震と思われた強い前震の後に、さらに強い揺れの本震が発生したことにあります。
さらに、9月26日午前4時50分07秒に発生した十勝沖地震(襟裳岬東南東沖80km、北緯41度46.7分、東経144度4.7分、深さ45km)。 震源は1952年の巨大地震とほぼ同じで、津波が襲来し、最高で2m55cm(北海道豊頃町・大津で記録)に達しました。この津波で、北海道では釣り人2名が行方不明となり、十勝川などでは、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生しました。

<2013年1月13日>2007年の千島列島沖地震について
今年は、メモリアルな日に、さまざまな地震や津波のメカニズムとその特徴を紹介したいと思います。
千島列島沖地震は、2007年1月13日、日本時間の午後1時23分頃に、千島海溝付近で発生したマグニチュード8.1の地震になります。
前年2006年に発生した千島列島沖地震の震源は海溝の大陸プレート側における海溝型地震(プレート境界型地震)でした。
この地震は大きな海溝型地震の後に発生することのある、海溝に沈み込む前の海洋プレート(太平洋プレート)における正断層型のアウターライズ地震になり、2006年に発生した地震の誘発地震であると言われています。
震源地は千島列島の新知島(シムシル島)東方沖の太平洋で、震源の深さは10km。
この地震の影響で気象庁は午後1時36分、北海道から和歌山県のかけての太平洋沿岸部、伊豆諸島の沿岸部に津波警報や津波注意報を発表しました。

<2013年1月6日>2013年を迎えて
新しい年2013年を迎え、この1年のおもな予定をお話しします。東日本大震災から2周年を迎える3月11日を中心に、東北大学も含めて、鎮魂、復興・再生に向けたさまざまな活動が企画されています。3月7日には、東京で「『生きる力』国民運動化プロジェクト キックオフ・シンポジウム」、10日は、東北大学災害科学国際研究所開所1周年記念シンポジウム「災害科学国際研究所の役割とこの一年間の成果(仮題)」を開催します。
・4月 東北大学リーディング大学院にグローバル安全学が設置
・5月中旬 ジュネーブでグローバルプラットフォーム会議開催
・9月 昨年実施された岩沼市の避難訓練「かけあがれ日本」をはじめ,石巻市,気仙沼市などでも避難訓練を継続実施
・9月 トルコで津波関係の国際シンポジウム開催予定
・10月 月の浦からサン・フアン・バウティスタ号が出航した1613年10月28日から400年、1611年に起きた慶長の地震・津波からの復興の一環として伊達政宗が行ったものといわれていますが、記念の年となる今年は、あらためて当時の目的や意義を振り返る年になります。