<12月25日>2011年を振り返って
災害の多い一年でした。
まず1月、鹿児島の新燃岳火口内の溶岩ドームが直径500mにまで成長し、中心部の高さは火口縁付近に達していることが確認されました。2月には爆発的噴火も発生し、多くの住民が避難しました。3月11日には東日本大震災が発生。3月9日に前震である地震M7.3(最大震度5弱)も発生し、津波注意報が出ましたが、津波は殆ど来襲しませんでした。4月7日M7.1、最大震度6強の余震があり、現在も余震は続いています。また、誘発地震が、震源域から離れたところでも多数発生しています。7月~9月にかけては台風(豪雨)災害、土砂ダムなども発生しました。10月末から、タイでの未曾有の大洪水が発生、日系企業も影響を受け、グローバルサプライチェーンの脆さが表れました。8月23日には、米国東海岸でM5.9の地震、10月23日には、トルコ東部での直下型地震が発生し、日本人も救助支援活動の中で犠牲になりました。
そんな中、11月にはブータン国王夫妻が来日され、福島、岩手などの被災地を訪問しました。被災した子どもたちを激励したほか、ブータン国民を代表して犠牲者を追悼しました。ブータンの国旗に描かれ国のシンボルともなっている「龍」の物語を引用し、相馬の小学生に対して「ボクは、ドラゴンを見たことがある。ドラゴンは君たちの心の中にもいる。そして、その龍は、楽しいことも苦しいこともさまざまな経験を食べて大きくなる。君たちもこの震災の経験を通して大きく成長してほしい。(そして強い龍になって欲しい)」と話し、児童たちを励ましました。

<12月18日>仙台で開催されたIAEAの第1回津波評価部会会議について
IAEA(国際原子力機関)は、ISSC-EBP/WA5(津波)の活動の一環として、11月28日・29日にアークホテル仙台を会場に、「津波ハザード評価ワーキンググループミーティング」を開催しました。また、30日には、東北電力女川原子力発電所の津波被害を視察しました。このミーティングは、「2011東北地方太平洋沖地震に伴う津波」による原子力発電所等の被害に関する我が国の経験をIAEA及びIAEA加盟国と共有することを目的とします。また、そこから得られる知見を今後の原子力施設の安全につなげるための議論を行い、原子力施設の津波ハザード評価に関するIAEAのセーフティ・レポート(IAEA Safety Report)の作成に資することを目指します。初日は、「2011東北地方太平洋沖地震に伴う津波」に関する地震動・津波の発生メカニズム、原子力発電所等の津波被害について日本国内の主な研究機関から発表し、討議を行いました。翌日には、WA5の各タスク(津波ハザード評価に関するセーフティ・レポート作成等)の本年における活動成果及び来年の活動計画等について各国から報告があり、WGメンバー間で討議を行いました。

<12月11日>慶長地震津波シンポジウムについて
12月2日は、「慶長地震津波」からちょうど400周年にあたります。旧暦では、慶長16年10月28日ですが、現在の日本の暦みと同じグレゴリオ暦では、1611年12月2日の発生となります。この地震・津波は、東北地方太平洋沖地震の発生の後、北海道東方沖地震津波と関係していることから再検証する必要があると言われ、注目されていています。さらに、当時も甚大な被害を受けましたが、様々な復旧・復興の事業が展開され、地域の発展に結びついたとも言われています。東北大学防災科学研究拠点グループでは、この地震・津波および復興に関するシンポジウムを先日開催、以下の各専門家の皆さんに話題提供を頂き、議論を深めることができました。
羽鳥徳太郎(元東京大学地震研究所):1611年慶長 三陸津波の規模について
首藤伸夫(東北大学名誉教授):宮古周辺での慶長津波、その被害と復興について
都司嘉宣(東京大学地震研究所):地震および津波発生の課題点について-地震は午前9時頃に発生(仙台・東京 震度4、静岡・京都無感)、津波は午後3時頃と推定される
蝦名裕一(東北アジア研究センター):1611年慶長 奥州地震・津波を読み直す
菅原大助、今井健太郎(災害制御研究センター):慶長地震津波の数値解析

<12月4日>昭和東南海地震について
1944年(昭和19年)12月7日に、紀伊半島南東沖を震源として発生しました。この地震により、遠州灘沿岸(東海道)から紀伊半島(南海道)に渡る一帯で被害が集中した為に「東南海」と呼ばれています。被害としては、人的被害(死者行方不明者)1223名住宅全壊18008棟。当時、日本は太平洋戦争の最中だっあこともあり、地震についての報道はほとんど行われませんでした。数少ない記録から、三重県津市、静岡県御前崎市、長野県諏訪市で震度6、近畿から中部までの広範囲で震度5を観測していた事が確認されています。また、地震後の津波では尾鷲が壊滅、最大波高は、尾鷲市賀田地区で記録された9m。第一波が襲った後、家へ荷物などを取りに戻り、第二波に巻き込まれ、亡くなった例もありました。過去、1854年には12月23日に安政東海地震が発生し、その32時間後に(24日)安政南海地震津波が発生しました。この際には、地震発生約2時間後に、大阪・堺に津波が来襲し、大きな被害を出しました。

<11月27日>「TEDxTohoku」の活動のご紹介
本日は、学生ボランティアの活動であるTEDxTohokuの余力さん、吉田さん、亀井さん、を迎えてお送りします。
【TEDxTohokuの背景】
3.11を経験し、3.11後の世界で生きていく。
未来の主役となる若い世代だからこそ、一人一人が「復興」について考え、東北・日本の現状について当事者意識を持って向き合う必要があると感じます。東北で起きたことは、東北だけの問題ではありません。「きっと東北が今後歩む未来は日本の未来を左右し、世界の行方を大きく影響する。」
この想いを周りの人とも共有するべく、活動を始めました。
その第一歩として、10月30日に様々な分野の12人の登壇者のプレゼンテーションを通じて、多様な分野のアイデアを発信し、東北に関心を持ち実際に行動に移していくきっかけを作り、東北の現状と、現地の想いを参加者・視聴者と共有し、UstreamやYoutubeなどの動画を通じて全国、世界の人々に体験を伝えていきます。
当日10/30に参加した人々の中には、今まで繋がりの全くなかった人たちの予想できない連携が生まれたり、また新たに行動を起こしていくような人たちが出てきました。またこのTEDxのイベントを催したいという動きが他の地域にも新たに芽生えています。。

<11月20日>東北大学アーカイブプロジェクト「みちのく震録伝」について
東北大学防災科学研究拠点は、文部科学省や日本アイ・ビー・エム株式会社などの産官学の機関と連携して、東日本大震災に関するあらゆる記憶、記録、事例、知見を収集し、国内外や未来に共有する東日本大震災アーカイブプロジェクト「みちのく震録伝(しんろくでん)」を本格的に始動します。このプロジェクトは、今回の震災の被災地を中心にして、歴史的な災害から東日本大震災まで、様々な視点から集められた記憶、記録、事例、知見をもとに、分野横断的な研究を展開し、東日本大震災の実態の解明や復興に資する知見の提供を進めていきます。これらの取組みは、低頻度巨大災害の対策・管理の学問を進展し、今後発生が懸念される東海・東南海・南海地震への対策に活用します。プロジェクト期間は10年を目処とし、逐次、被災地の復興を記録、集められた情報を公開していきます。
2011.11.1 第2回ミーティング(51企業・団体)
2011.10.11 ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所が参画
2011.10.5 賛同・協力機関を大幅に更新
2011.9.13 東北大学による東日本大震災6ヶ月報告会で発表
2011.9.12 HPの立ち上げ

<11月13日>インドネシアでの防災会議について
10月25日から28日に、インドネシアのジャカルタおよびパダン市で開催された、防災に関するワークショップに、Abdul Muhari博士課程3年生とともに参加し、東日本大震災での被害の実態や教訓を紹介しながら、日本とインドネシアが協働して実施できる防災・減災対策について議論してきました。これら一連の会議は、JST-JICAプロジェクト(地球規模課題対応国際科学技術協力)中の「インドネシアにおける地震火山の総合防災策」(代表:東大地震研佐竹健治教授)による活動です。25日は、インドネシア海洋水産省と協力しマングローブなどの植生の防災への利用について、26日は地元アンダラス大学と協力し、パダン市での地震・津波の減災や避難計画、さらにはNGOと共に展開する啓発活動について、27日からは、JST-JICAプロジェクト全体会議で、地震動、液状化、津波などの複合災害への対応(マルチ・ハザードマップ)などについて議論をしました。これらの会後の様子は、地元じゃかるた新聞(26日朝刊)、ISSUU誌(26日朝刊)、パダン市テレビ局などで紹介されました。

<11月6日>減災風呂敷のご紹介
以前「防災手拭い」についてはご紹介しました。地震編、津波編、非常持ち出し編の3種類が現在販売されています。本日は、その風呂敷版「減災風呂敷」をご紹介します。企画された東北大学の保田真理さんに来ていただきました。防災グッズとしての風呂敷はさまざまに活用できます。必要な物をひとまとめにして運ぶ時、赤ちゃんを抱くスリング、怪我をしたときの包帯代わり、暖をとったり、そして津波で流されることを防ぐため、お子さんとしっかり結び合ったりとたいへん重宝します。しかも、防災に関する情報がイラストとともにわかりやすくプリントされているので、防災に関する知識を身につけることにも役立ちます。バックや鞄に入れて常に持ち歩き、いざという時に備えて下さい。企画は、宮城県の保田さん、デザインは岩手県のクワンさん、生地は福島県の福島絹業さんと、図らずも3県の連携となりました。今後販売する予定ですが、今日はリスナー10名にプレゼント致します。

<10月30日>「サバメシ防災ハンドブック」のご紹介
『Datefmサバメシ防災ハンドブック~03.11の経験から知る、今までの防災にプラスすべき必要な事~』が完成しました。ハンドブックには、「サバメシ・コンテスト」の優秀レシピやDatefmのリスナーや避難所の方々を対象に行った「東日本大震災アンケート」、「地震・津波から身を守る10か条」、「ライフラインにまつわる生活の技」、「避難所生活の心得・ボランティアの心得」、「住まいの防災/室内危険度診断」、「防災用品の見直し」など、震災の経験から学んださまざまな防災・減災情報も盛り込んでいる。未曾有の大災害の体験を生かして、自然災害から身を守る智慧をさらに深め、被害を軽減する「減災」につなげてゆくことが必要です。是非あなたの防災・減災対策に役立てて下さい。Datefmでは、現在、このハンドブック5万部を希望者に配布中です。詳細は、こちらに掲載しています。

<10月23日>「食・農・村の復興支援プロジェクト」について
先週に引き続き、東北大学大学院農学研究科副研究科長 中井裕教授を迎えて農学研究科が震災後にスタートした「食・農・村の復興支援プロジェクト」についてお話しを伺います。
「食・農・村の復興支援プロジェクト(ARP)」は、現場からのニーズと研究科の専門家のマッチングを実施し、教員の復興支援活動を補助するとともに、復興に必要な正確で科学的な裏付けをもった情報の発信を行っています。なかでも「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」は、若林区の塩害農地を使った栽培試験を開始しており、被災土壌を菜の花で彩り、亡くなった人々への鎮魂と、われわれを含め生き残った人々の希望のシンボルにしたいと思っています。
*津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト
1)具体的なプラン
東北大学大学院農学研究科が40年以上かけて収集してきたアブラナ科作物800系統の中から、塩害に強い品種がすでに30系統が選ばれています。このなかから塩害に強く土壌塩分の吸収能が高いものを選ぶ栽培試験を実施中です。選んだ系統を、この秋に津波被害を受けた農地に作付けます。来年の春には、被災土壌を菜の花で彩り、亡くなった人々への鎮魂と、われわれを含め生き残った人々の希望のシンボルにしたいと思います。
2)将来的な目標
ナタネで灯す行灯の光で都市と農村の人々の心を繋ぎたいと個人的には考えていますが、やはり、農家の経済的な復旧のために、アブラナ科作物の安定的生産方法や販売方法を確立することとが重要で、食用の菜の花栽培の他に、ナタネ油の生産やナタネ油からのバイディーゼル燃料生産を行い、地域経済や地域の自立型エネルギー生産の確立に繋げたいと考えています。
今はまだ前に一歩を踏み出すことができない人々が多数いるのが現実です。しかし、今後の復興に向けては、地域の風土、歴史、人々の暮らしを理解し、菜の花プロジェクトを含め、概念的なものではなく地に付いた技術支援や教育支援が大切だと考えています。

<10月16日>仙台市震災復興計画中間案について
ともに仙台市震災復興検討会議および東部地域検討ワーキンググループのメンバーである東北大学大学院農学研究科副研究科長 中井裕教授も交えて、仙台市震災復興計画中間案について評価できる点、課題として残る点などの鼎談をお送りします。

<10月9日>震災復興計画(中間案)について
震災から6ヶ月が経ち、各地域では、復興に向けた計画(グランドデザイン)が議論され、中間案が提出されています。自治体のHPなどにも掲載され、パブリックコメントや、地域での説明会が実施されている状況です。本日は、その中間案の内容について、共通する部分を紹介したいと思います。まず、震災復興計画の位置づけがあります。元々の基本構想(運営の方針)や基本計画(10年間のまちづくり計画)と同じように扱うのか、基本計画が震災復興計画に変わるのかが示されています。次に内容です。まずは、計画の目標期間ですが、基本的に10年とするところが多く、復旧期、集中復興期、発展期などの区分が設けられます。そして、今回の大震災の総括を受けた、復興の基本理念があります。例えば、仙台市の場合は、「新次元の防災・環境都市―しなやかでより強靱(きょうじん)な都市の構築」となっています。次に、その理念の実施のための目標です。減災を基本とする防災の再構築の実現、地域活動、経済・産業やコミュニティーの復活の実現、エネルギー・新しい基盤産業の形成の実現などが掲げられます。次に、これらの目標実現のためのプロジェクトが必要です。気仙沼などでは、震災復興市民委員会からの提案があり、具体的で、ユニークかつ復興へのエネルギーを感じる内容になっています。各被災地でのゾーニングなどが行われ、土地利用案が出され、津波の影響によっては、土地利用規制や建物規制が加わる場合もあります。この中間案が市民からの意見を集約し、各議会で承認されましたら、本格的な計画づくりになります。

<10月2日>津波と火災について
今回の大震災を受けて、津波が火災を招くことがあるというのは、防災上重要な視点になりました。「津波火災」という言葉も生まれました。実は、津波の襲来とともに火災が発生した例は、過去にいくつも報告されています。1933年 昭和三陸地震津波の時には、岩手県釜石市で火災が発生し、216棟が焼失しました。海外では、1964年アラスカ地震の際、船などの漂流物が石油タンクに衝突して発火し、民家に延焼して一つの町すべてが全焼した例があります。また、皮肉にも同じ年に発生した新潟地震では、地震で折損した石油管から油が漏れ出し、それを津波が運んで移流・拡散し、油が広がっていたところへ着火したため、民家に燃え移り、290棟が焼失しました。1993年 北海道南西沖地震の際、大津波に襲われた奥尻島では、2件の火災が発生して燃え広がり、192棟が焼失しています。このように、津波に誘発されて火災が発生することはあるのです。今日本各地の港湾地帯には、コンビナートなど、石油タンクのような危険物が林立している地域が少なくないのです。大震災においても、住宅だけでなく、港の重油タンクや倉庫などの施設が次々と破壊され、大量の瓦礫と真っ黒な油が湾内奥深くに運ばれました。今回、どのように発生し延焼していったのか、その一連が映像でもとらえられています。

<9月25日>日本映画大学での集中講義について
日本映画大学の源流は1975(昭和50)年に創設された横浜放送映画専門学院にさかのぼります。創設者は今村昌平監督。映画製作を志す若者を養成するため横浜駅前に2年制の学院を開設しました。その10年後(1985年)、この学院は現在の川崎市新百合ヶ丘に移転し、3年制の日本映画専門学校として発展、現在に至るまで36年にわたって多くの映画製作や映像産業界に5,000人以上の卒業生を送り出してきました。今村監督は「知は武器である」の理念のもとに、大学設立を視野にいれた構想を1990(平成2)年に発表しましたが、その夢の実現を見ることなく逝去されました。その監督の「思い」を引き継ぎ、2011(平成23)年春、日本映画大学が開学されました。
その大学に招かれて集中講義を行ってきました。以下が講義の内容です。
(1)我が国の災害の特徴と対策(基礎講座編)(2)東日本大震災の実態(3)災害を観る(可視化編)(4)災害の発生・伝播特性と可視化(5)シナリオ・スクリプトの作成(6)ハザード・災害情報の収集(作業編)(7)マップ上のリスク認知情報
集中講義の最後に行った8グループによる発表は、いずれも個性があり、素晴らしい内容でした。今後、学生たちにより東日本大震災にまつわる映像の作成の可能性も考えられます。

<9月18日>濱口梧陵に学ぶ
安政元年(1854年)に紀伊国 広村(現在の和歌山県有田郡広川町)を襲った大津波がありました。その際、自らが所有する稲わらに火を放って、村人を津波から救った逸話は『稲むらの火』として語り継がれています。濱口梧陵は、広村で分家濱口七右衛門の長男として生まれ、12歳の時に本家の養子として銚子(現在の千葉県)に移り、家業である醤油商(現在のヤマサ醤油)の事業を継ぎました。彼は、安政の大津波の際、稲むらに火を放ち、この火を目印に村人を誘導して安全な場所に避難させ、多くの村人の命を救いました。しかし、津波により村には大きな爪あとが残りました。なかなか復興が進まない中、彼は私財を投げ打って、被災した人たちのための小屋の建設、農機具・漁業道具の配給をはじめ、さまざまな復旧作業にあたった他、津波から村を守るため、長さ650m余り、高さ約5mの防波堤の築造にも取り組み、後の津波による被害を最小限に抑えました。この施設には以下のような効果がありました。津波減災機能性(二重の防波堤と松林)、持続性(植栽したはぜはろうそくの原材料として高く売れ、その収益を堤防の維持費にあてた)。またこの堤防作りを村人達自らの手で行ったことで、団結力や意識向上・意識改革(こころの復興)が計られた。広川町では、明治36年から毎年11月5日に‘つなみ祭り’を行い、過去の災害を風化させることなく、住民の防災意識を高めることに役立てています。

<9月11日>東日本大震災から6ヶ月、復興について考える
災害からの復興には、次の4つの要素が重要です。
「すまい」(生活再建)「つながり」(自立と連携)「まち・地域産業」(地域の形成)「こころとからだ」(被災体験)
また、災害に強い社会をつくるためには、次のような災害のサイクルを知る必要があります。
発災→緊急対応、救命・救急(減災)→復旧・復興→平穏期(予防・抑止)
このように、復旧・復興にあたる時期に、同時に次の災害に対する被害の抑止、防災・減災を考えなければなりません。また、現状復興ではなく、「より強い町作り」を目指すことが大切です。高地移転、防災施設の整備、ソフト対策、まちづくりなど、複合的、多重防御を考えることで、被害を繰り返さないことが必要です。被災した後は、ともすると生活復興が先走り、ややもすると「より強い町作り」のビジョンから遠ざかってしまいがちです。長期的視点の復興計画を持つことが大切です。

<9月4日>津波警報の改善について
6月に、気象庁での津波警報等の勉強会についてご紹介しましたが、先月、中間とりまとめが出されましたので、あらためてご紹介します。課題としては、(1)地震発生後3分以内に発表した津波警報第一報での地震規模過小評価 (2)岩手、福島での「予想される津波の高さ3m」が避難の遅れに繋がった可能性があること (3)津波情報で発表した津波の観測結果「第一波0.2m」等が、津波規模過小の認識につながり、避難の遅れや中断に繋がった可能性が挙げられます。これらに対して中間報告では、・第一報の迅速性は確保しながらも、時間とともに得られるデータ・解析結果に基づいた精度を高めた警報に更新してゆき、継続的な情報提供があることを認知してもらう・不確定性の中で、安全サイドに立った警報発表を行う。巨大地震の場合には、大津波警報のみを伝え、定量的な情報は出さない。・現在の予想津波高さ区分8段階を5段階程度に変更する。・現在、大雨、台風などの情報で用いられている「・・に匹敵する(上回る)」という過去の災害の例をひく表現を取り入れ、よりイメージしやすくするなどがまとめられました。9月には、最終案が取りまとめられ、年内に具体的な方策が示される予定です。
先日、科学誌Nature(電子版)に関連記事が掲載され、東日本大震災の津波警報の教訓や課題が報告され、世界的に関心を集めています。迅速性を確保しながら、不確定な情報を如何に提供するのかを議論した内容で、私へのインタビューもあり、今回の課題整理やその対応については、概ね正しいこと、さらに、今後は、浸水域情報などの避難に必要な具体的な情報を加えることも必要であることを述べました

<8月28日>宮城県沖地震の最近の活動について
改めて、宮城県沖地震の特徴的な活動を整理したいと思います。
まずは、短い周期で発生している地震であること。平均37年で、最短は26年、最長は42年です。次に発生のパターンです。単独型(M7.5クラス)と連動型に大きく分かれます。連動型は過去2回ほどあり、M8クラスでした。単独型は、実は2つパターンがあります。分散型と集中型です。1936年11月3日宮城県沖を震源とするM7.1の地震が発生しました。宮城県石巻市、仙台市、いわき市で最大震度5を観測しましたが、被害は極めて小規模でした。この前後には、1933年、1937年もあり、合計3回にわたり、地震が発生しました。宮城県単独地震の分散型と言われます。次に、1978年に宮城県単独地震(M7.4)と言われる地震が起きました。ご存じの地震で多くの被害を出し、集中型で一気に起きた地震になります。
その後、27年が経った、2005年8月16日にM7.2の地震が起きました。宮城県沖(南部)地震です。宮城県川崎町で最大震度6弱を観測しました。この地震により100名が重軽傷を負ったものの、死者は出ていません。この時、単独地震の分散型が起きるのでは、という見方もありました。その中で、2011年3月9日M7.3の地震が発生、宮城県北部で震度5弱が観測されました。この地震はプレート境界で発生したものと考えられ、1981年に発生したM7.0の地震の近傍で発生しました。単独型と連動型地震の間で発生しました。これは、3月11日の地震の前震と言われます。そして、3月11日M9.0の巨大地震が発生したのです。これまでのパターンではくくることができない地震となりました。

<8月21日>復興計画への視点について
震災から5ヶ月余りが経ち、各地域では、復興に向けた計画(グランドデザイン)が議論されています。すでに、岩沼市、山元町では復興計画案が提出されています。グランドデザインとは、長期にわたって遂行される大規模な計画であり、復興は10年で検討されることが多いですが、地域づくりはさらに長い年月をかけて実施すべきであり、長期的な視点が重要になります。今日は、この復興計画への4つの視点を紹介したいと思います。
(1)持続性(長期的な状況変化を見通した復興)
・歴史的、文化的な不連続性を作らない。
・本来の自然環境を生かしたまちづくり
・少子高齢化=>コンパクトシティー・スマートシティー
・移転先の立地の有意性を確認
・高地に移動し後、低地に戻らないようにする対策
(2)多重性(安全性)
・防護ライン、防災機能の多重化
・避難計画(場所、経路、情報提供)の多重性
(3)明確性・透明性
・災害の見える化 分かりやすい表示、機能の役割の表示
・安全度(リスク)に応じたゾーニングの明確化
・まちづくりのプロセスの明確性と透明性
(4)多様性
・復興の内容、スピードは地域により千差万別
・価値観の多様性、生活の多様性を配慮する
・複数の選択肢を用意する

<8月14日>津波フィールド・ミュージアムについて
本日は、津波の痕跡や教訓を残すためのフィールド・ミュージアムについて紹介します。自然災害の痕跡を残すための公園や施設は、国内にも多くあります。
2000年 有珠山噴火の際の洞爺湖有珠山ジオパーク
1995年 阪神淡路大震災の淡路島北淡町の北淡震災記念公園フェニックスパークなどがあります。いずれも、郊外で災害の爪痕を見ていただく公園になっています。
さらに、最近は、ユビキタス学習型観光情報という機能があります。歴史遺産にスポットを当て、つけられたQRコードをケータイで読み取り、よりよく知ってもらいます。まち遊びケータイは、従来の観光に「学びと遊び」を取り入れ、クイズに答えながら観光し、その遺産についての知識や理解を深めてもらうこともあります。そこで、震災記念公園にまち遊びケータイ機能を入れたデジタル・フィールドミュージアムは如何でしょうか?現場や現物があり、記録もある、そして、デジタル化された情報もある。それをその場で見られるということが重要になります。気仙沼では、すでに昨年「津波フィールドミュージアム」が実施されていますので、この活動とリンクするとよいと思います。気仙沼小学校3年生(2010年10月調査)が、携帯カメラで撮影した映像をHPで見ることが出来ます。被災した今となっては、たいへん貴重な映像です。

<8月7日>イタリアでの初めての国際津波調査について
先日、世界の津波データベースについての国際会議が行われました。日本だけでなく、米国、太平洋、地中海(トルコ、ギリシャ、イタリア)での歴史的津波データの紹介がありました。
本日は、その中の事例を1つ紹介します。1908年12月28日未明に発生した地震・津波です。イタリアのシシリー島との海峡に位置する街、メッシーナでの災害でした。メッシーナ市街はほぼ全壊。さらに、続けて発生した津波により多数の人が亡くなりました。マグニチュードや死者数については、資料によってばらつきがありますが、USGS(米国地質調査所)の資料では、マグニチュード7.2、死者7万2000人となっています。この数字は、2004年12月26日のスマトラ沖地震(23万人超)、1923年9月1日の関東大震災(11万人)に次ぐ史上3番目の規模です。
この地震の直後、日本の地震学者大森房吉が現地に入り、調査を行いました。彼から話しを聞いたイタリア人が「こうした現象を日本では‘ツナミ’という」と、学術雑誌に書いています。日本人に限らず、外国人が海外での津波調査を実施した始めての事例であり、‘Tsunami’ということばが外国の学術雑誌に記された最初であります。
この地震をきっかけに、欧米諸国では耐震建築の研究が本格的に開始されるようなりましたし、ヨーロッパ各国が協力しての救援活動は欧州連帯の象徴的な出来事とされています。
その後、1955年6月、西欧諸国の外務大臣が“メッシーナ会議”を開催し、それが、のちの欧州経済共同体(EEC:現EU)設立の端緒となったといわれています。

<7月31日>東日本大震災の米国への津波の影響について
今回の大震災による津波の海外への影響を紹介したいと思います。本日は、米国です。ハワイ、アラスカ、西海岸など、影響があった地域はさまざまでした。太平洋津波警報センターによりますと、日本での地震発生から7時間後、津波の第1波がハワイに到達し、その高さはマウイ島やハワイ島では最高で2~3メートルに達したと報じられました。地元メディアによると、ハワイ島西部のホテルでロビーが水浸しになるなどしましたが、幸い人的被害の報告はなかったようです。また、アメリカ西海岸では、現地時間3月11日午前7時15分(日本時間12日午前0時15分)前後に、まずオレゴン州北部の海岸に津波が到達すると予測されていました。オレゴン州の海岸に到達した津波は比較的小さく、90~120センチの高さににとどまり、被害はなかったということです。しかし一方、カリフォルニア州北部の港町クレセントシティーでは、強い流れが生じ、35隻以上の船舶が破損したということです。この湾は固有周期が1時間程度であり、今回の周期と一致したため、共振現象が起きた可能性があります。また、カリフォルニア州北部では少なくとも3人が津波にさらわれ、うち1人が行方不明となったということです。避難勧告が出ていたにもかかわらず、沿岸に津波を見に行き犠牲となりました。

<7月24日>エリートパニックについて
以前、「災害時の正常化の偏見」についてご紹介しました。災害など非日常の出来事が起こっても、意外に人間は落ち着いて行動をしていること、異常な状況を理解したり、受け入れることが難しいことを紹介しましたが、本日は、その逆です。
社会の指導的な地位にある人々、つまり、「エリート」の皆さんが、陥りやすいパニック心理、「エリートパニック」についてご紹介します。これは、危機に際して市民(国民)がパニックに陥るのではないかと恐れるあまり、自らがパニックに陥ってしまうことをさすもので、災害社会学者キャスリーン・ティアニーさんが提唱した考えです。主に公的機関や、通常、一定の権力を行使できる立場にいる人々が災害時には往々にしてパニックに陥る例が多くみられることから、そのような行動を「エリートパニック」ということばを用いて表現しました。
一例をご紹介しますと、スリーマイル島原子力発電所事故の際、市民は大きな混乱もなく、およそ15万人が自主的な避難を行いました。しかし、知事が避難命令を行ったのは、原子炉底部の半分がメルトダウンし、閉じ込め機能が破られるわずか30分前でした。知事は、住民がパニックになることを怖れる余り、情報公開を遅れさせ、逆に、人々が危険な状態におかれる結果となりました。今回の大震災でも、福島第一原発事故での情報提供が遅れたり、情報の内容に不明な点が多く、批判の的となりましたが、東電司令部がパニックに陥ったことが考えられます。この状況を菅総理大臣が見抜いたのは良かったのですが、自分自身が東電本店に乗り込み指示を始めたことで、逆に現場の混乱を増幅したという見方があります。まさに、二重の「エリートパニック」と言えます。

<7月17日>とうしんろくプロジェクト紹介
以前にもご紹介した東北大学震災体験記録プロジェクト「とうしんろく」について、活動の中心となっている方のひとり文学研究科宗教学研究室の木村敏明先生にお越しいただき、あらためてその活動についてご紹介いただきます。
木村先生は、インドネシアのスマトラ島を研究のフィールドにされている方です。東北大学に関わる方々が、今回の震災にどのように出会い、直接・間接にその影響を受けながらどのように生き、何を考えたかを気軽にお話しいただくトークセッションを昼休みに開催、これまでもさまざまな体験が語られています。そうした震災体験を共有し、校後世に継承してゆくことは、社会的にも大きな意義があると思います。トークセッションへ気軽に参加していただければ幸いです。
なお、「とうしんろく」については、6/26のテキストをご参照下さい。

<7月10日>海岸防災林について
東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会が始まっています。東日本大震災では、津波により太平洋岸の海岸防災林に甚大な被害が生じました。これら被災した海岸防災林の再生に当たって、海岸防災林の被災状況を詳細に把握するとともに、海岸防災林の効果を検証し、海岸防災林の復旧方法等の検討を行うための検討会が設置されました。海岸防災林の詳細な被災状況の把握、海岸防災林の効果の検証、海岸防災林の復旧方法などを検討していきます。
今回の被害調査で分かってきたことは,大きな被害のなかで、砂丘などの松は残った場合がある若木の流出は少ないなどです。
あらためて、海岸林の減災効果を検証し、漂流物の捕捉や流出家屋の低減などを検討してゆきます。

<7月3日>津波の発生モデル「東北大学Vers1.0」について
東北地方太平洋沖地震津波についての現地調査が実施され、浸水範囲や地盤変動量分布などが推定されています。これらのデータを説明できる津波波源モデルを検討し、適切なモデルを提案したいと思っております。
以下がその検討方法です。
藤井・佐竹モデル(ver4.0)をベースに、(1)痕跡高さデータ(合同調査グループ)と比較し、相田のK,κ値で再現性を評価する。さらに、(2)地盤変動量分布(国土地理院)、(3)浸水域(国土地理院や東北大学調査)との比較を行う。
断層(セグメント)数は5x2=10程度とする。
まず、藤井・佐竹モデル(ver4.0)と痕跡データとのK,κ値を出し、その結果を参考にすべり量を修正する。次に、岩手県側で過小評価の可能性があるため、一番北部(東側)のすべり量を増加する。最後に、最適モデルとして得られたモデルを用いて、(2)地盤変動量分布(国土地理院)、(3)浸水域(国土地理院や東北大学調査)との比較の結果を示したいと思います。この結果、三陸北部で、大きなすべり量(20m)が存在する可能性があることがわかりました。

<6月26日>「とうしんろくプロジェクト」について
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震は宮城県を含む東北地方太平洋沿岸を中心に広範な地域で未曾有の被害をもたらし、その影響は現在も続いています。
その中で、体験を記録に残そうというプロジェクトが始まっています。「とうしんろくプロジェクト(東北大学震災体験記録プロジェクト)」です。東北大学の人々がどのような形で被災し、そして現在までの過程を経てきたのか、それぞれの個人的で主観的な体験と記憶を相互に共有するとともに、それらを記録していく必要があるという目的でスタートしました。
震災で何が起き、どのようにその後を生き延びてきたのか、どのような活動をしてきたのか、自ら語り、自ら聞き、自ら記録して共有する機会を設けることが重要です。自分たちのために、そして社会のために重要であり、必要であると考えるからです。経験を共有することは私たち自身にとっても、ある種の救いになるかもしれません。
なによりも3.11大震災を忘れないために、そして我々自身が希望を見つけていくために、自らがどのように生き延びてきたのか、その経験を共有し記録する<東北大学震災体験記録プロジェクト>(略称:とうしんろく)にご参加ください。

<6月19日>津波警報改善への課題について
この度の東日本震災では、津波により多くの犠牲者が出ました。この多大な被害を受けて、各機関などで改善への取り組みが始まりました。本日は、気象庁での取り組みを紹介します。
6月8日、気象庁で、東北地方太平洋沖地震による津波被害を踏まえた津波警報改善に向けた勉強会が行われました。まず、今回の地震後の津波警報等の発表の経緯の説明がありました。
14;46 地震発生
14:49 津波警報の発表(主に、岩手3m、宮城6m、福島3m)
その後、釜石沖などのGPS波浪計の値が急激に増加したため、
15:14 津波警報の更新(主に、岩手6m、宮城10m以上、福島6m)
さらに、各地で大きな津波が観測され
15:30 津波警報の更新(岩手から千葉九十九里・外房 10m以上)
実態としては、三陸沿岸で40m以上の津波の遡上や仙台平野でも15mを超える津波の来襲が観測されています。警報の発表のタイミングとしては、良かったのですが、予報値(予想される津波の高さ)が過小評価でありました。その原因としては、地震の規模が当初M7.9であったことと、観測データを使った速やかな更新が遅れたことがあげられます。
今後の対応としては、地震観測網の強化(巨大地震でも過小評価しない)、沖合津波観測の強化と切り替え手法の高度化が挙がっています。また、今回、最初の津波の予報値が小さかったために、安心情報として受け止められた懸念があります。予想される高さが3mと聞き、防潮堤を越えることがないと安心したり、「沿岸に20cmの津波が到達(これは津波先端であり、実際は10m以上の津波が来襲した)」と聞き、安心して避難が遅れたという状況が報告されています。そのため、今後は、初動では、予報値に言及せずに、警報のみを発令して迅速な避難を促すなどの対応が検討されることになります。

<6月12日>宮城県沖地震と東日本大震災
本日は、1978年の宮城県沖地震が発生した日になります。宮城県の防災の日にもなっています。
その後の検証が進み、3月11日に発生した地震は三陸沖が震源でしたが、想定されていた宮城県沖も同時に崩壊していたことが判明しました。
当初、「想定された宮城県沖地震とは異なるタイプの地震だった可能性が高い」との見方が示されていました。東北大学地震予知観測研究センター長 海野徳仁教授によると、金華山に設置した衛星利用測位システム(GPS)の測定値を見ると、地殻は隆起して西にずれていた。宮城県沖地震を引き起こす海と陸のプレート(岩板)境界型とは全く逆の動きだったという。
しかし、詳細なデータを入れ、地面の動きの観測データを基に再度数値計算し、震源域で断層が滑った量を再現しました。
この結果が正しいとすれば、想定された宮城県沖の断層も滑っているはずです。
その上で、計算では断層が滑った量は、想定された宮城県沖地震の3倍以上にもなっっているこことが推定されています。
もともと、三陸沖と宮城県沖が連動するのが最悪のパターンと言われていましたが、今回はそれに加え、福島県沖、茨城県沖などの断層も連動したものになりました。

<6月5日>計画停電について
本日は、地震や津波のお話でなく、その影響についての話題です。今回の地震や津波により、太平洋沿岸部では、原子力発電所だけでなく火力発電所も停止しています。東北電力は2つの原子力発電所と、5つの火力発電所を、太平洋側に設置していますが、その火力発電所の殆どが津波によって甚大な被害が出ました。その結果、従来は2,110万KWの発電力を持っていましたが8月には、1,230万KWまで減少すると考えられます。昨年の猛暑ではピーク時の消費電力が1,480万KWにもなりましたので、足りなくなることが予想されます。実は、電力は需要と供給のバランスをとっていて、それが崩れると周波数が変動し、電気機器が正常に動かなくなり、発電所の設備も故障してしまうなどの障害が出てしまします。そのために、平日の昼間(午後3時頃と言われる)などで需要が高まるときに、供給量を超えないようにしなければなりません。そこで、『計画停電』という方法が考えられています。幸い、東北電力では、まだ実際にこの措置は実施されていませんが、東京などの首都圏ではすでに、行われています。対象エリアのすべての電力が一定時間、例外なく使えなくなるので大変です。計画停電を回避するためには、日常の節電が必要です。エアコン、テレビ、ドライヤーなど、日常の中で節電出来るものがありますので、計画停電の回避に向けて、みんなで努力してゆきましょう。

<5月29日>GPS地震学について
GPSを利用した地震学について、ご紹介します。GPS(衛星利用測位システム)の利点を利用し、地球科学に関連した研究を行う目的で、世界各国にGPSの固定連続観測点が設置されています。固定連続観測点では、毎日24時間連続的にデータを取得しています。わずか1年間観測を続けただけでその観測点の動きがわかります。日本でも、1980年代後半に大学や防災科学技術研究所などが先駆けて連続観測点を設置しました。その後、国土地理院は1993年から日本全国に「電子基準点」と呼ばれるGPS固定連続観測点の整備(「GEONET」という愛称のシステムです)を開始し、現在1,200ヶ所の観測点があります。阪神大震災以降、海溝型地震の研究はGPSによる詳細な地殻変動観測でメカニズムの理解が深まりました。東北地方でも観測が実施されています。その結果、東北沖の日本海溝は、北は「がっちり型」だが、南は「ずるずる型」とされていました。全体が連動する巨大地震は起きないというのが1980年代以降の定説でしたが、今回連動して起きたことになります。

<5月22日>四川大地震について
四川大地震から3周年を迎えました。中国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で現地時間(CST)2008年5月12日14時28分(JST15時28分)に発生した地震です。震源断層は、龍門山断層の南部で、逆断層、直下型(プレート内)の地震でした。この地震によって道路や電力・水道・通信などライフラインが寸断され、死者は6万人、負傷者は37万人に上り、1万人がなおも行方不明となっている。家屋の倒壊は21万6千棟、損壊家屋は415万棟にのぼっています。中でも学校校舎の倒壊が四川省だけで6898棟、校舎倒壊による教師と生徒の被害が犠牲者全体の1割以上を数え、学校建築における耐震基準の甘さと手抜き工事の横行が指摘されました。地震により避難した人は約1514万人、被災者は累計で4616万人となりました。「対口(たいこう)支援」は四川大地震で用いられた被災地の支援手法です。当時、中国政府は、被災自治体ごとに非被災地の自治体をあてがうペアを決めて法制化し、北京市や上海市などが3年間にわたってきめ細かい支援を継続、復興につなげたと言われています。今回、東日本大震災を受け、日本学術会議はこの対口支援を「ペアリング支援」と名づけ、4月25日に政府に政策としての提言を行っています。

<5月15日>あらためて「超巨大地震」のメカニズムについて
宮城県沖を震源としたマグニチュード9の巨大地震および津波が発生しました。
東北地方太平洋沖地震と気象庁により命名され、我が国での歴史上最大の規模であり、沿岸各地で壊滅的な被害を受けました。
主な断層活動の範囲は、南北約500km東西約200kmであると推定されています。過去、この地域では、三陸沖、宮城県沖、福島県沖、日本海溝沿い、など個別地域でそれぞれ地震が評価されていてきましたが、今回、一気に連動し超巨大地震が発生したことになります。
しかも、宮城県沖M9.0(14:46),三陸沖M7.5(15:08),茨城県沖M7.3(15:15)に加えて、海溝沿いでもM7.4(15:25)と連続して地震が発生していることが特徴です。

<5月8日>東日本大震災復興構想会議について
創造的復興構想会議の紹介をします。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災からの復興に当たっては、被災者、被災地の住民のみならず、今を生きる国民全体が相互扶助と連帯の下でそれぞれの役割を担っていくことが必要不可欠であります。特に、復旧の段階から、単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興を目指していくことが重要です。このため、被災地の住民に未来への明るい希望と勇気を与えるとともに、国民全体が共有でき、豊かで活力ある日本の再生につながる復興構想を早期に取りまとめることが求められています。
このような背景と主旨と目的で復興構想会議が設置されました。会議のメンバーは、五百旗頭(防衛大学校長)、内館牧子(脚本家)、岩手・宮城・福島県知事を含む15名で、その下に検討部会(19名)が設置されています。
すでに週各2回づつのペースで会議が終了しています。
検討の話題としては:
・復興の主体である地域住民の支援
-精神的な支援
-人材支援(ペアリング)
-専門分野・学の支援(専門的情報の提供・支援)
-経済支援(所得税、消費前、特別税、基金、義援金・寄付)
-法律支援(土地規制、税制、特別区)
・特区構想
などがあります。

<4月24日・5月1日>東北大学による東日本大震災一ヶ月後緊急報告会について
4月13日、仙台市青葉区のトラストシティ カンファレンス仙台を会場に開催された東日本大震災1ヶ月後の緊急報告会について、2週にわたって紹介します。
主旨:
東日本大震災の実態を把握し、教訓・経験を活かすために、1ヶ月で把握した様々な専門家の視点から震災の実態を報告する。東北大学の英知を結集した活動として位置づける。
主催:
東北大学防災科学研究拠点
東北大学グローバルCOE変動地球惑星学の統合教育研究拠点
東北大学工学研究科都市・建築学専攻・土木工学専攻
プログラム:
1.海野徳仁、2011年東北地方太平洋沖地震(M9.0)について~これまでにわかったこと、まだわからないこと
2.日野亮太・藤本博己・伊藤喜宏・稲津大祐・長田幸仁、海底観測が捉えた東北地方太平洋沖地震の津波波源域における海底隆起
3.源栄正人・大野晋、地震動と建物等の被害
4.石渡 明・宮本 毅・平野直人、3.11巨大地震による仙台付近の墓石転倒率調査結果
【質疑応答】
5.川越清樹(福島大)・風間聡・横尾善之・小野桂介、福島県須賀川市藤沼湖決壊について
6.山川優樹・京谷孝史・風間基樹・加藤準治、宮城県北部の地震地盤災害について
7.森 友宏・京谷孝史・風間基樹・三辻和哉(山形大)、宮城県南部および内陸丘陵造成地の地震地盤災害について
8.箕浦幸治ら、地学的なアプローチ
【質疑応答】
9.今村文彦・越村俊一・今井健太郎・菅原大助、大津波の実態調査と教訓の整理に向けて
10.越村俊一・郷右近英臣・柴山明寛、衛星画像から判明した東北地方太平洋沖地震津波の被害と復興に向けての取り組み
11.真野 明・田中 仁・有働恵子、津波による海岸堤防の被害
12.菅原大助・今村文彦・箕浦幸治、貞観地震津波と今回との比較
【質疑応答】
13.奥村 誠、交通ネットワークの被害と復旧の状況
14.上原鳴夫、災害時の緊急保健医療対応-何ができ何ができなかったか?
15.阿部恒之、被災者のマナー:被災後の生活と治安
16.平川 新、3.11大震災と歴史遺産の被害
【質疑応答】
17.佐藤翔輔・今村文彦・林春男、東日本大震災に関するウェブ情報のアーカイブとその解析
18.平野勝也、復興まちづくりのあり方
19.石田壽一・本江正茂、せんだいスクール・オブ・デザインによる特別プログラム「復興へのリデザイン」
20.増田聡、社会経済的被害と地域再生

なお、現在、東北大学災害制御研究センターのホームページに各報告の詳細な資料がアップされていますので、参考にして下さい。

<4月17日>気仙沼小鯖地区での津波防災の取り組みについて
現地調査の1つを紹介します。
気仙沼市唐桑町小鯖地区は、4年前から、東北大・宮城県・気仙沼市が一緒になり、浸水マップ・避難マップ作りなどのワークショップの開催や、12箇所の避難場所を決めるなど、津波に強いまちづくりをめざした取り組みを進めていました。地震直後、津波の第1波は引き波で、水深6-7m程の港の底まで見えたそうです。その後、押し波で最大の第2波により、55世帯すべてが流失しました。
しかし、いち早くあらかじめ決めていた避難場所に避難したため、犠牲者は最小に留まりました。
毎年6月12日を避難訓練の日として、10年間実施していたことに加え、備蓄品、無線機、電池などの点検も行っていました。
昨年は、地域の小学校と一緒に避難訓練を行っていたそうです。日頃の取り組みが功を奏した良い例といえます。

<4月10日>余震の発生確率について
4月7日23時32分頃に宮城県沖でマグニチュード7.4の地震が発生しました。この地震は、3月11日の巨大地震の余震と見られます。これは、想定される宮城県沖地震とは、位置および地震メカニズム(高角逆断層)が違うようです。
大きな地震が発生した後、小さな地震が多く発生しますが、最初の大きな地震を本震、後の小さな地震を余震と呼びます。この余震の確率がメディア等で発表されるようになりました。
従来は「3月13日10時から3日間以内にマグニチュード7以上の余震が発生する確率は70%、3月16日10時から3日間以内は50%」というように、地震の規模を示すマグニチュードで発表されていましたが、このほど「14日14時から3日間以内で「震度5強以上」が40%、3月17日14時から3日間以内が20%」などと、よりわかりやすい「震度」で発表されるようになりました。
この余震確率は、1995年の阪神淡路大震災後の政府の世論調査で、発生後に知りたい情報として多く寄せられたことから、余震発生の見通しを確率という数値で表すことになったものです。今後も余震活動が長く続く可能性がありますので、警戒して下さい。

<4月3日>応急危険度判定について
応急危険度判定は、大地震により被災した建築物を調査し、その後に発生する余震などによる倒壊の危険性や外壁・窓ガラスの落下、付属設備の転倒などの危険性を判定することにより、人命にかかわる二次的災害を防止することを目的としています。
その判定結果は、建築物の見やすい場所に表示され、居住者はもとより付近を通行する歩行者などに対してもその建築物の危険性について情報提供することとしています。3種類の判定ステッカーがあります。
また、これらの判定は建築の専門家が個々の建築物を直接見て回るため、被災建築物に対する不安を抱いている被災者の精神的安定にもつながるといわれています。
なお,この判定は,余震等に対する安全性(施設の使用,立ち入りの可否)を判定するものであり,復旧可能性(補修・補強による修復が可能か,改築が必要か)については,より詳細な調査(被災度区分判定)が必要になります。ご注意下さい。
現在、県内で危険と判定された建物は800棟以上に及ぶそうです。

<3月6日>NZ クライストチャーチ地震について
ニュージーランド南島の中心都市クライストチャーチ市で地震が発生しました。
2月22日に発生したマグニチュード6.3の地震。強い揺れで建物崩壊や液状化が発生し、甚大な被害が出ました。特に、建物倒壊による死者や行方不明者が多くなりました。今回の地震のマグニチュードはそれほど大きなものではありませんでしたが、クライストチャーチ中心の直下で発生し、しかも、震源の深さが5kmときわめて浅かったため、揺れが大きくなったと考えられます。郊外では、液状化や地下水の上昇で水浸しになった住宅街もあります。また、街自体が河口に位置し、固い岩盤でなく柔らかい堆積層の上に位置するため、揺れも増幅しやすくなったと思われます。
ニュージーランドは、日本と同じように地震国であり、耐震技術や基準は高いものがあります。ニュージーランドは太平洋プレートとオーストラリアプレートの境界に位置しており、地震が起こりやすい場所なのです。しかし、南島は北島に比べ、頻度は低く、この市周辺では過去に大きな地震も活断層も指摘されていません。そのため、多くの煉瓦造りの古い建物が残っており、今回大きな被害を受けました。
クライストチャーチでは去年9月にマグニチュード7の地震があったばかりです。今後、余震も多く観測されます。一日も早い行方不明者の救出、復旧・復興を祈っております。

<2月27日>津波痕跡データベースの公開について
東北大学では、原子力安全基盤機構からの受託を受けて「津波痕跡データベース」の作成検討をしています。昨年12月24日に、データベースの一部が公開されました。
本日は、実際に作成作業を手伝っていただいている、芳賀弥生さんと佐藤雅美さんに来ていただきました。
1600年代から現在にいたる国内の津波約200事例に対して、約2万件の痕跡情報をコンピュータ上に入力しています。この2万件のデータの内、歴史津波は2800件あり、割合は少ないですが、大変貴重なものとなっています。ただ、昔の記載や調査方法には、様々な検討が必要です。
第1に、文献の信頼性であり、オリジナルのものか、公文書や私文書か、編纂したものか、偽書であるかなどを専門の先生方に検討していただき判断しています。
第2に、痕跡情報に関するもので、津波としての信憑性、位置情報の確からしさ、測定誤差の程度などを基準に、A―Dの判定をしています。
さらに、データは、現在の電子地図に表示されたり、元の文献をPDFファイルで閲覧 できるようになります。これにより、利用し易くなると期待されています。
実際の業務内容としては以下のように多彩な内容があります。
(1)文献・資料などの収集
(2)データの入力
(3)津波痕跡データの確認及び信頼度評価
(4)現地確認調査の支援
(5)システムの運用・利用
(6)津波痕跡データベース検討委員会の実施
こちらからアクセスできます。

<2月20日>宮城県第4次地震被害想定調査中間報告について
2月1日に、第2回の宮城県防災会議地震対策等専門部会が開かれ、被害調査の中間報告が審議されました。これは、2004年に実施された第3次被害想定の結果を踏まえて、地震動・液状化の被害想定、津波の被害想定を行うものです。あわせて、国の中央防災会議が掲げている地震防災戦略に対応する目的もあります。(たとえば、人的被害経済被害をこの10年で約半分にする、290人→160人、1兆3千億→9.9千億円)
約6年が経過する中で、地下のボーリング、陸上の詳細地形など、詳細で信頼性の高いデータが入手できるようになりました。さらに、評価手法も改善され、より精度の高い推定が可能になっています。今回の中間報告では、いくつかの結果が報告されました。
登米、石巻、東松島各市の一部で、震度予測を3次調査で想定した「6弱」から「6強」に引き上げられました。一方、県内の広い地域で地盤が固いことが確認されたとして、震度予測を下方修正した場所もあります。まだ、途中の評価段階ですので、今後、結果は精査されていきます。
また、津波は「単独型」「連動型」「明治の三陸地震津波」を基に想定しています。連動型での予想波高は、気仙沼市本吉町の10.6メートルが最も高く、同市唐桑町の8.4メートルが続いています。明治津波の場合はそれを上回る値もあります。河川への遡上は、連動型の場合、北上川(石巻市)が河口から約1.2キロまでさかのぼると推定されています。
今後は震度や津波の予測に基づき、建物、ライフラインへの被害のほか、農林水産業などの経済被害も評価されます。
第4次想定調査は2011年度中に策定する予定です。

<2月13日>積雪時での地震被害及び対策
今年の冬は、日本海側で積雪が多く、道路での渋滞や生活への影響が出ています。
先月の段階で雪下ろし中に住宅の屋根から落ちたり、雪を捨てようとして川に転落し40名を超える死亡者が出ているようです。(1月中旬NHK調べ)
さて、このように冬季に積雪がある場合での地震について紹介したいと思います。
1666年2月1日(旧暦1665年12月27日)越後西部地震発生、M6程度 高田(いまの上越)を中心に強い揺れがありました。
積雪14-15尺(約4.5m)で地震。高田城も大きな被害でありました。
特に、武家屋敷700余り、民家などの倒壊が多かったと言われます。
これは、屋根にたまった積雪が荷重を増してことも原因。
さらに、夜になって火災が発生。逃げる場所も限られた住民が多く犠牲になりました。
死者1,400-1,500名にも及びました。注意したい項目になります。
冬季には、積雪により道路の幅が狭くなること、凍結などにより斜面で車も人も動き辛くなることが指摘されています。幹線道路の積雪や凍結による寸断で被害の拡大が考えられます。対策として、ロードヒーティングなどの凍結防止施設、消雪パイプ、流雪溝などの融雪・流雪施設の設置も重要になります。

<2月6日>防災学習DVDビデオ
消防庁は、地震などの災害に備えるために、平成20年から3つの防災学習ビデオを 作成しています。
>>総務省消防庁のホームページはこちら

平成20年度 防災学習DVDビデオ『地震だ!その時どうする?』
平成21年度 防災学習DVDビデオ『ふせごう‐家具等の転倒防止対策‐』
平成22年度 防災学習DVDビデオ『津波から生き延びるために-知る・行動する-』
いずれもHPで見ることが出来ますし、DVDとして入手も出来ます。
時間は8分程度などで、コンパクトで要 点がまとまっています。
先日、津波編の作成に協力させていただきました。
テーマは、津波から生き延びるため「知る、行動する、続ける」です。
「知る」では、どうやって発生するのか、恐ろしさはどこになるのか?
「行動する」では、前兆・状況を察知する。適切に行動する(避難場所・経路、臨機応変な判断・行動)
「続ける」は、津波の記憶を風化させない、地域防災力の向上に努めるなどです。
国内外の映像、ジオラマ(これは寄贈いただき、いま、東北大学にあります)を使った説明 をしています。是非ご覧下さい。

<1月30日>「防災ドラマ・コンテスト」優秀賞発表!
>>「防災ドラマ・コンテスト」ホームページはこちら

本コンテストは2010年6月より募集が開始され、11月30日で募集を締め切りました。期間中、全国各地から、ドラマ(音声)部門32作品、脚本部門25作品、合計57作品のご応募がありました。1月17日の阪神淡路大震災16周年記念日に優秀作品が発表され、本日30日午後、東京国際フォーラムでシンポジウム・表彰式が行われます。中でも、中学・高校の放送部の皆さんの活躍が注目されました。その中から2つの作品を紹介します。
(1)江戸川女子中学校放送部「壊れる物、壊れないもの」
このドラマは学校が舞台です。地震に対して無知な中学生の心の葛藤を表現しました。ガヤノイズや地震の効果音も生徒達で作られており、リアリティーがある作品になったと思います。日々の生活の有り難さが伝わると良いです。
ドラマの概要:「学校なんて失くなればいい」などと部活中に話していた時地震が発生し、帰宅困難となってしまう。その時偶然残っていた生徒達は協力して家に帰れる準備が整うまでの一週間を過ごす。そして地震に対する準備をしていなかったことを激しく悔やむと同時に自分達が普段退屈だと感じていた「日常」が、かけがえのないものだったのだと再認識する。
(2)千歳高校放送局「妄想の先に」
4分弱の作品の中で主人公の妄想を通し、防災について再認識できるような作品にしました
ドラマの概要:何事もプラスに考える主人公倉谷和也は、緊急地震速報により、あと数秒で地震が来る事を知る。そこで、和也は様々な思考を巡らせるが、持ち前のプラス思考で、防災のはずが妄想に変わってしまう。最後まで解決策の見つからなかった和也は、タンスの下敷きになり、家も倒壊してしまう。
現代の高校生が妄想という設定の中で、避難行動などの災害対応をシミュレーションするという表現手法が非常に斬新。こうした表現手法を用いた高校生向けの防災ワークショップへの発展が期待できる点を評価した。また、高校生が持っているドラマづくりの技術とノウハウを地域の方々にも広く提供して、地域の事情を反映したドラマづくりに発展していくことも期待される。

<1月23日>沿岸域での津波による列車への影響評価について
津波が陸上部に浸水すると様々な場所や施設に影響を及ぼします。沿岸部に沿った鉄道・列車への被害もその1つです。2004年のインド洋大津波では、地震発生から2時間後に来襲した津波により、スリランカの南西沿岸部を走行していた列車が浸水・横転し、1000名以上の犠牲者が出ました。首都コロンボからゴール市に移動する途中でした。震源から1700km離れた地域だったため、揺れも感じませんでした。また、近年津波被害もない地域だったため、警報も発令されないまま、津波の来襲を受けたことになります。
日本では、過去、鉄道への浸水や漂流物などによる被害は受けていますが、列車への直接の影響は幸いありませんでした。しかし、現在JR各社は、地震発生時に、津波の発生が懸念される場合の対応を以下のように実施しています。まず、揺れの程度により、列車の停止が行われます。次に、津波警報や注意報が発表される、または津波等の被害が予想される場合には、運転の規制が実施されます。規制には、津波危険予想地域(注意区域)への列車抑止(入らない)、運転停止、津波危険区域外への移動などの措置があります。その後、津波警報等が解除された後に、線路等の点検を行い、安全を確認した後に、運転規制の解除が行われます。昨年2010年2月のチリ津波の際には、津波警報が出されたため、各地で運転規制が行われました。
現在の課題としては、列車の在線が津波危険予想地域(注意区域)内か否かを如何に早く把握するか?乗客などの避難が必要な際には、どのように対応すればよいか?津波により浸水した後の点検の方法や安全を確認する方法の検討などがあげられています。

<1月16日>ハイチ地震から1年
阪神淡路大震災も含めて2つの地震の共通点を紹介しながら振り返りたいと思います。双方伴に、震源が浅い典型的な直下型地震(内陸地殻内地震)になります。そのために揺れも大きくなりました。地滑りや液状化などの2次被害もおこりました。しかし、横ずれタイプの地震で殆どが陸上部でしたので、大きな津波は発生しませんでした。ただ、余震活動は非常に活発で、ハイチでは余震によって亡くなった方も報告されています。このように、2つの地震は共通する部分が多くありました。
一方、大きな違いもありました。それは被害の規模と復興の状況です。ハイチ地震では、死者20万人以上、負傷者は31万人にものぼると言われています。しかも、首都が壊滅的被害を受けたため、復旧や復興の指令塔が無くなりました。地震から1年が経ちますが、復興は依然として進まず、100万人以上の被災民が100箇所以上のキャンプ場で暮らしています。その多くは、被災時に貸家に住んでいたり間借りしていた地方出身者です。故郷に戻っても、食料や仕事が無く生活が出来ないからです。さらに、衛生状態が良くないため、昨年10月頃からは、コレラなどの感染症が広がり、昨年12月現在で、2000人以上が死亡、9万人以上の感染者が出ているということです。
復興には、まだまだ時間と支援が必要です。JICAも生活再建支援などの復興支援緊急プロジェクトを5月から開始していますし、多くの民間団体でも、募金や支援を受け付けています。少しでも何か出来ることがあればと思います。
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<1月9日>「防災ラジオドラマコンテスト」について
昨年度、新しい防災活動の1つとして、「e防災マップコンテスト」が実施されました。これは、つくばの防災科学技術研究所が企画したものですが、その第2弾として、「防災ラジオドラマコンテスト」が企画されました。
脚本部門と実際のラジオドラマの2本柱で、いづれも7分程度の内容です。
目的は、防災ラジオドラマづくりを通じて、地域の自然災害特性を理解し、地域の様々な主体が新しい絆を形成しつつ、防災力を高めること主旨です。
防災ラジオドラマには、地域固有の防災上の課題や対策の知恵が反映され、放送を通じて多くの方々と共有することができると期待されます。
まず、自然災害の種類と特徴を理解し、必要な資料を集めることからスタート
ステップ1 被害の程度を見積もる/ステップ2 時間経過で対応策を考える
ステップ3 ドラマの骨組みとあらすじをつくる/ステップ4 脚本を書く
ステップ5 ラジオドラマを収録する
第1回にして、全国から沢山の応募がありました。
1月17日にNHKラジオで受賞者の発表が予定されており、1月30日には記念シンポジウムも企画されています。

<1月2日>2011年を迎えて
過去に起こった地震・津波を紹介します。
400年前の1611年(慶長16年三陸津波)12月2日に発生、M8,20mを超える津波も発生。100年前の1911年(明治44年奄美大島沖地震)6月15日に発生、M8、津波も発生、詳細な規模は不明ですが、津波の高さが8mを超えたという伝承もあり。奄美・沖縄地方では最大の規模のものでした。
次に、今年の予定・活動などを紹介します。
1月17日阪神淡路大震災から16周年、この日に、防災ラジオドラマコンテストに関する番組を行う予定。
2月28日2010年チリ中部地震津波から1周年、チリでの津波警報およびその有効利用についての共同プロジェクトを立ち上げたいと思っています。
6月12日、宮城県沖地震から33年を迎えます。現在、宮城県危機対策課では、第4次の被害想定を行っており、結果が公表される予定です。調査データやより精度の高い解析手法により、被害などの予測を実施します。
9月頃、第6回のサバメシコンテストを実施する予定。さらに今年は、仙台以外の国内外でも開催する予定。
9月インドネシア、パダン市での津波避難計画の支援(津波避難公園、ペデストリアン避難場所)を本格的に始動。