<12月30日放送> 一年を振り返って
1月13日(土)千島沖地震津波 津波注意報
3月25日(日)能登半島沖地震 七尾市、輪島市、穴水町で震度6強
3月末波浪計が設置
4月2日(月)朝5時40分ごろ ソロモン地震・津波 M8.1
5月12日(土)防災士宮城県支部発足
7月16日(月、海の日)、中越沖地震
7月29日(日)大規模津波の防災総合訓練が気仙沼と石巻で開催
9月12日(水)南スマトラ地震・津波 M8.4津波による犠牲者なし
9月23日(日)第2回 サバ・メシコンテスト
10月 緊急地震速報が開始(まだ、震度5弱以上はなし)
12月 映画「マリと子犬の物語」上映、船越英一郎さんとの対談

<12月23日放送> スマトラ3周年
3日後に26日を向かえますが、スマトラ地震・インド洋津波が発生してから3年が経ちます。
3日、30日、3ヶ月、3年さらには30年という数字は、復旧から復興を考える際に重要なものになります。
最も被害の大きかったインドネシアでは、引き続き地震が発生し、津波による被害も繰り替えされています。パダン市(人口百万都市)の沖には、地震の空白域も残されています。
巨大地震が起こりますと、実は周りの地域の地震活動を活発化します。具体的には翌年の3月にはニアス島地震、マグニチュード8.2、パキスタン内陸地震、また昨年ジャワ島中部、ちょっと離れますけれども、またジャワ島南西沖、またことし9月には南スマトラ地震・津波があって4度地震が連続的に起きました。
タイのプーケット周辺では、いち早く復旧しました。観光へのダメージも大きかったのですが、3年経って、観光客の足も大分もどってきたようです、ただし、防災への備えや被災の経験を忘れない努力は実施されており、今年も南部沿岸6県、2万人以上が参加する合同津波避難訓練が、7月25日に実施されました。
スリランカでは、復興住宅も再建され、元の暮らしにもどりつつありますが、北西部との対立が激化し、緊迫状態が続いています。我々が、現地調査に行った際にも、爆弾テロ時間が起こっていました。大変深刻な状態です。
先日、12月に横浜で、津波・高潮の防災会議が水フォーラム会議の関連事業で開催されました。11月のバングラディッシュでの高潮災害など、残念ながらアジアを中心に被害が続いています。教訓を生かす活動の必要性強調されました。

<12月16日放送> 東南海地震
昭和19年(1944)12月7日、昭和東南海地震が発生。マグニチュード 8.0。震源地は、志摩半島南々東約20キロ沖の海底。この地震による被害地は静岡・愛知・三重の東海三県をはじめ、長野・山梨・岐阜・和歌山・大阪・兵庫などの各府県に及ぶ。1,223人の死者・行方不明者など大きな被害を出しました。家屋被害や死者の多くは津波によります。当時、終戦間近でしたの で、当時の被害状況は一般に報道されず、最近まで実態が分かりませんでした。名古屋大学の研究グループは、翌年の三河地震(1945)も含めて、体験者にヒアリングを行い、記録を残しています。最近、海洋科学機構(JAMSTEC)で海底の調査を行い、主段層の他、分岐断層も存在し、津波を大きくさせた一因ではないかと指摘しています。
  さらに、2年後の46年12月21日、四国沖の南海道地震が発生。海溝型地震である東南海、南海地震は、歴史的に見て100年から150年間隔で、マグニチュード8程度の巨大地震を発生させています。
能登半島、中越・中越沖地震など内陸型地震が起こっていますが、これは、東南海などの海溝型地震の前段階で発生すると言われています。

<12月9日放送>大阪での直下型地震
中央防災会議から先月の11月1日に、上町断層が活動した場合、関西圏で42000人の死者が出るとの衝撃的な発表がありました。
大阪の中心部には、上町断層があります。大阪城を境に、東側は高台、西側は、ゼロメータ地帯も含む平地になっています。この境界に、この断層があります。
予想される最大震度は7になりました。これにより56万棟もの建物が被害を受けます。
以前に首都圏で出された11000人という想定をはるかに上回るものでした。
両者を比較して、首都圏の危険度が意外に低いと思われた方もおられるかもしれません。
地震の種類や揺れが違う点も大きいですが、住宅の古さや区画整理の違いもあります。
大正12年の関東大震災後に、地盤が悪く多くの死者を出しそうな東京の下町が、後藤新平の努力によって区画整理や公園整備が行われ、相対的に危険度が低くなっています。

<12月2日放送> 相似地震
繰り返し起こる不思議な地震があります。
地震動の波形(P波、s波)を描いてみると形が非常に似ているのです。
これは相似地震と呼ばれています。これは東北地域で発見されたものです。
この東北地方周辺では、1年間に約2万回ほどの地震が観測されます。
このたくさんの地震の中から地震波形を指紋のように使い、特徴を整理しようという試みがあります。
同じ断層の活動によって発生した地震波形の良く似た地震、相似地震を探し出すことができました。
例えば、岩手県釜石市沖合いではマグニチュード5弱の地震が、1957年から2001年までの約50年間、約5年ごとに繰り返し起きていたことがわかりました。
この繰り返しが分かりますと予測も出来ます。
この時には、「マグニチュード5弱の地震が99%の確率で2001年中に発生する」と予測されていた通りに、2001年11月13日、この場所で地震が発生しました。
この地震は被害がでるような大きなものではありませんが、地震予測にとっては新しいモデルへの転換点となる重要な地震となったのです。

<11月25日放送> 津波の事典
初めて津波に関する本格的な本が出来ました。
タイトルはズバリ「津波の事典」です。朝倉書店から今月末に出版されます。
この書店は、他にも地震の事典、地震防災、自然災害、地球科学、などの事典を手がけています。事典と言っても、その内容は津波についての知識を体系的に網羅し、専門的な立場から解説しています。
防災や減災についても十分に触れられています。
第一章は、津波各論で、国内外の津波の事例がまとまっています。
2-4章は、津波の調査や物理、被害5-8章は、津波の予測、対策、予警報、最後が国際連携です。
興味深いコラム「津波発生目撃談」、「いなむらの日」などのコラム・逸話も盛りだくさんです。
本書を読まれると、津波の知識は、1970年代くらいから、地震の物理や計算機の進歩によって急速な発展がされたことが分かります。ページ数が、368ページになり、沢山の内容があります。

<11月18日放送> マリと子犬の物語
新潟県中越地震で生まれた感動の実話を元にした映画『マリと子犬の物語』でマリと3匹の子犬の飼い主である山古志村役場の職員を演じる俳優の船越英一郎さんとのインタビューをご紹介します。
被災地長岡で大規模なロケが行われたこの映画、地元の方たちの全面的な協力に感激すると同時に、実在のエピソードを描くという点で難しさも感じた。あらためて地震の怖さを知った。感動と‘生きる元気’がもらえる作品。是非家族で観てほしい!

<11月11日放送> 活断層について
今年は能登半島地震や中越沖地震など宮城県沖地震とは違うタイプの活断層に関係した地震が続いた。
活断層とは活発に動いている断層で数千年から数百年の単位で動くとされている。今から100年近く前、アメリカ西海岸でも地震が多いことで地震を研究していたベリー・ウイルスという学者が将来動く可能性の高い断層を活断層と名付けた。今回はこの活断層について紹介した。

<11月4日放送> 夢みる防災教育
夢みる防災教育について兵庫県立舞子高校環境防災科科長の諏訪清二教諭をゲストに迎え、高校での防災教育の取り組みについて紹介。
防災教育を、人間や社会が将来の夢について語り、さらにその夢を実現していくための機会であると位置づけ、防災教育の新しいフレームワークや、すぐに使える事例集などを解説した「夢みる防災教育」の著者でもある。
「夢みる防災教育」は晃洋書房から今年5月に出版された。

<10月28日放送>中越地震から3年
新潟県中越地震が発生してから、3年が経ちました。10月23日土曜日の夕方でし
た。
本震後も震度6強を複数回観測するなど、活発な余震活動が継続していました。一連の地震のメカニズムは北西-南東圧縮の逆断層型であります。震源地近くのK-NET小千谷観測点では、最大1500ガル、130カインを超える震動を観測しました。連発する余震、崖崩れによりせき止められた川に発生したダムなども形成されました。家屋や社会インフラの被害の他、新幹線の脱線、鉄道や道路の被害、さらには、2次被害として、避難所でのエコノミークラス症候群、温泉地などへの風評被害などもありました。さらに、地震防災ハンドブックでも取り上げたペットの防災、などがありました。
大変な被害を出しましたが、ラジオの重要性が再認識されました。この大震災では、被災地コミュニティfm局であるfm長岡・fm雪国が被災者向けの災害放送を徹底して実施し、コミュニティfm局が被災者のライフラインであることが実証されました.「JFNパパラビジョン」が被災地避難所や災害対策本部に設置され、行政からの情報が文字情報となりリアルタイムに被災者へ届けられました。

<10月21日放送> 南スマトラ島沖地震津波の現地調査
日本時間の12日午後8時10分ころ、インドネシアのスマトラ島南部のブンクルの沖合およそ130キロを震源とする大きな地震でした。地震の規模を示すマグニチュードは8.4、震源の深さは30キロと推定されています。先日10月4日から9日まで、現地の調査を行ってきました。
スマトラ中部地震空白域へ地震活動が続いているように見えます。
インドネシア政府は13日、スマトラ島南部沖のインド洋で12日に起きた地震による被災状況を調べているが、電話網の障害などで情報収集は難航していました。
21人が死亡、約140人が負傷しましたが、地震及び津波の被害の実態はよく分かりませんでした。
今回、東海大学のオメル教授、地元のアンドレス学の先生方と、一緒に現地調査を実施してきました。
連続地震(2004スマトラ地震以降)の被害の特徴、津波警報等の情報と避難の実態、2次的被害の懸念などを調べてきました。

<10月14日放送> 緊急地震速報
緊急地震速報は日本の気象庁が2007年10月1日から国内一般向けに運用が開始いたしました。
地震波のP波とS波の伝幡速度の違いを利用し、いち早くP波をキャッチして、大きな揺れをもたらすS波を推定するものです。
震源に近い観測点の地震計で捉えられた地震波の情報を気象庁へ瞬時に集約しコンピュータの解析処理によりただちに震源の位置及び地震の規模(マグニチュード)を特定して、これらをもとに各地への主要動の到達時刻及びその震度を推定して被害をもたらす主要動が到達する前にこれらを適切な方法で広く一般に知らせる.緊急地震速報を適切に活用することで、地震災害の軽減に役立つものと期待されています。
なお、課題として、速報発表から大きな揺れが到着するまでの時間は震源から各地点までの距離に左右される(殊に直下型地震の場合、震源付近ではP波とS波がほぼ同時に地表に到達する)ため、速報発表が主要動の到着に間に合わないこともあります。
また速報がS波到達以前に発表されても、主要動までの時間は数秒~数十秒しかありません。このため、群衆が非常口に殺到するとか、速報を受けた自動車が急ブレーキをかけて玉突き衝突を誘発するといった懸念もあります。

<10月7日放送>
2006年「日本沈没」の樋口真嗣監督をゲストに迎え東北大学今村文彦教授とともに映画作品をとおして防災について語る。

<9月30日放送>
23日、第2回みやぎサバ・メシコンテストを仙台市ガスサロンで実施しました。
このサバメシは災害時に欠くことのできない「非常食」にスポットをあてた、サバイバルのための食事です。
『サバ・メシ』のレシピを広く公募し、一次審査を通過した16組の参加者が45分の制限時間内で調理をしました。
審査の結果、乾燥スープやタケノコの水煮を材料にした「あんかけ風ホタテご飯」を作った仙台市太白区の玉川佳世さんと長男の大暁(ひろあき)君親子がグランプリに選ばれました。会場には参加者の応援に駆けつけた家族や市民など350人ほどが見守っていました。
このサバ・メシコンテストはよりおいしく、アイディアと工夫を凝らした「非常食」のレシピを考えることで、より積極的に、より身近に、防災に取り組む意識を根付かせることを目的にしています。
なお、16組が調理したメニューのレシピは今後、番組ホームページで公開の予定です。

<9月23日放送> サバメシ当日
日本時間の12日午後8時10分ころ、インドネシアのスマトラ島南部のブンクルの沖合およそ130キロを震源とする大きな地震でした。地震の規模を示すマグニチュードは8。4、震源の深さは30キロと推定されています。
本日、2時から 仙台市ガスサロンで実施されます。
このサバメシは災害時に欠くことのできない「非常食」にスポットをあて、サバイバルのための食事です。この『サバ・メシ』のレシピを広く公募しました。
今年で2回目になります。
よりおいしく、アイディアと工夫を凝らした「非常食」のレシピを考えることで、より積極的に、より身近に、防災に取り組む意識を根付かせることを目的にしています。
中越沖地震で、救援物資が全国から集まっている被災地・新潟県柏崎市の市災害対策本部(柏崎市役所)で、おにぎりなど消費期限が短い食料品が大量に余り、廃棄処分されている。
一方、旧山古志村の住民たちが被災者を豚汁で励ました17組が書類選考をして、いよいよ最終予選です。
1階キッチンパレットで実演 調理スタート(所要時間45分)カセットコンロ1台でつくれるもの試食および審査タイム。味、調理方法、保存性、工夫、値段、などを項目に審査いたします。
セミナー(昨年はトークライブ)もあります。
一人目は、防災科学技術研究所 内山庄一郎さんです。サバイバル飯炊き考案者二人目は、今村で、緊急地震速報の話を紹介します。
会場にはパネル展示も、仙台市消防局、東北大学、日立東日本ソリューションズ、WILD-1など、沢山の展示があります。是非、ご来場ください。

<9月16日放送> とうほく☆地域を守る防災コンテスト2007
とうほく☆地域を守る防災コンテスト地域での防災活動を広く普及することを目的として実施してきた『とうほく防災マップコンテスト』をさらに発展させる形で『とうほく☆地域を守る防災コンテスト2007』を企画いたしました。
今回からは、防災マップに限らず、地域の防災・防犯活動にかかわる様々な活動を一つの成果品としてまとめていただき、それらが一堂に会した発表会及びコンテストにより、東北全体で知恵やアイディア、課題を共有し、新たな発見や気付き、出会いを作り出すことによって、防災・防犯活動の契機になり、また継続的な防災活動を応援する場とすることを目的としております。
幼稚園での津波防災(気仙沼)
「たまご湯 出前足湯」(一関)(うっすらゆでたまごの匂いがして
湯は透明、トロッとした感じがあります)
宮古湾周辺津波防災模型(宮古工業高校)
創作劇「荒れ狂った海」(大船渡)
このコンテストは、カスリン・アイオン台風60周年の記念事業でもあり、本日(9月16日)、一関市(文化センター)で行われます。当日は、市民ミュージカル「伝えよう一関の年輪」が上演されます。

<9月9日放送> 非常用飲料水について
本当の非常時に、必要な援助は届きません。周囲からの援助が届くのは災害が起ってから2~3日後です。その間、自力でどう過ごすか、特になくてはならないのが「水」の確保です。
目安としては、1人1日2Lですので、4名家族3日間の場合、24リットルにもなります。
第一は、長期間保存可能な飲用水(ペットボトル)の保存です。通常は、1年から長くて5年です。長期保存の利くものがあれば嬉しいですね。現在、10年間保存できるものがあります。値段は少し高いようです。
第二は、普通の水道水を長期間保存できるタンクです。これは、細菌などの発生を抑制する光半導体不織布の光触媒殺菌力で、水道水を3年間ほど保存させるものです。大きなタンクで沢山保存できればお得です。
第三は、濾過装置です。飲料水にできる濾過装置はありますが、多くは電動式です。非常用ですので、電気が使えるとは限りません。電気や動力等何もなくても、落差だけで浄水出来きるものが市販されています。一件、点滴の装置のようなものです。袋に、塩素などの薬品を入れ不純物を大きな塊にします。そのあと、不純物を濾過できるスポンジを入れた装置を通過させれば、飲料水の出来上がります。
袋(装置)を木などにぶら下げ落差(重力)で水は下がっていきますので、電気は要りません。
1回の作業で5リットルのろ過が出来、10回分、合計50リットルの水が作れるものもあります。手動式で1時間に180リットルの水処理可能なものもあります。
値段は28万円です。
保存期間と量と価格は様々なものがありますので、一度調べてみてはどうでしょうか?

<9月2日放送> 学生さんによるインタービューと防災の日
本日は、2名の学生さんが、東北大学津波工学研究室の訪問記事を書くために訪問されました。徳島大の田邊 晋さん(修士1年生)と大阪大学の松永光示さん(修士2年生)です。半日、研究室のゼミに参加したり、学生にインタビューされました。
さて、昨日は防災の日でした。9月1日は、ご存じのように、大正12年(1923年)の関東大震災が発生した日です。(実は、被害を及ぼした地震は、この日に過去4回も起こっています)
9月1日の11時58分の日中、神奈川西部から相模湾、さらには千葉県房総半島の先端にかけての断層が動きました。強い地震と大火災で、10万人以上の犠牲者が出たのです。
日本の歴史上最悪の自然災害であったので、これを契機に、9月1日を我が国の防災の日にしています。
さて、今年になって、地震や津波が多く発生しているように思えます。
先日も8月16日、日本時間の朝8時14分頃に、ペルー沖で、M8の地震がありました。
強い地震により、多くの建物が倒壊し、500名以上の犠牲者が出ました。
震源は、太平洋側のナスカプレートが南米プレートの下に潜り込むプレート境界(深さ約30キロ)で、逆断層型の地震とみられます。繰り返し、地震の発生している場所です。
PTWCでは16日8時53分に津波情報を発表しています。
この近くでは2001年6月24日にM8。2の地震が発生し、サンタクルスで約50センチ、日本では北海道根室市花咲で28センチの津波を観測しています。

<8月26日放送> 9月防災月間 特別企画
9月には3つの特別企画があります。
●9月16日(日)一関市 とうほく・地域を守るコンテスト2007
●9月23日(日)サバ・メシ コンテスト
今年も開催できることになりました。是非、皆さんのアイディアや経験をお寄せください。
●9月27日(木)チャレンジ防災講座のお知らせ
日本沈没の樋口真嗣監督と名古屋大学の山岡耕春教授に来ていただき、「災害をイメージする~新しい災害映像の企画~」を開催いたします。
昨年放映され、我が国で4百万人もの観客
アジアへの影響:韓国、香港、タイでビデオが販売
日本沈没を予言する博士、民族大移動の策を練る総理、黒幕の老人、悲恋の若いカップル-・メB一億の国民をのせた日本列島がズタズタに引き裂かれ、沈むまでを、日本海溝の異変に始まり東京大地震、富士山大噴火などリアルに迫真をもって描く民族の叙事詩は、当時の観客に大きな衝撃を与えました。
ウエブサイトを開設、13万のビジター。百万回のヒット、300もの質問、120の回答。

<8月19日放送> 東北大学での防災の研究
東北大学での地震学の紹介を行いました。
さらに、工学的な研究をしている附属災害制御研究センターの紹介をしましょう。
センターは、工学部附属耐震構造実験施設(昭和47年度設置)及び津波防災実験室(昭和56年度設置・特別施設)を母体とし、地震・津波が都市に及ぼす災害事象を総合的に検討し、災害研究手法を確立する事を目的として、平成2年6月に創設されました。
平成5年7月の北海道南西沖地震津波、平成7年1月の阪神・淡路大震災、平成7年12月のインドネシア・フローレス地震津波などの国内外の自然災害に対して、詳細な被害の調査・研究を行うとともに、災害対策に関する技術支援・対策提案を行い、災害制御工学の学問分野の発展と体系化を推進してきています。
平成12年4月より配置転換され、新センター(センター名称は同じ)が発足しました。
従来の2研究分野から3分野に拡張され、さらなる災害制御に関する研究に邁進しています。
主な活動としては:
チャレンジ防災講座・公開講座
宮城県沖地震関連行事・定例宮城県沖地震シンポジュウム
自然災害科学東北地域研究集会の開催

<8月12日放送> 中越沖地震から1ヶ月
先月、7月16日に中越沖地震が起こりました。やく1ヶ月が経とうとしています。
いままでの状況を整理したものを紹介したいと思います。
今回の整理のやり方として、現地調査に行くことが出来なかったので、新聞HPにあるニュース特集ページをみました。毎日、記事が出ていますので、その内容と記事の変化も分かります。
これを、3時間、3日間、3週間で整理しましょう。
●3時間に出された記事は少なく、地震があったと言うことだけです。
●3日間には、地震メカニズム、震度分布、緊急地震速報、家屋被害状況、避難所での様子が報告されています今回の特徴は、原子力発電所での被害と、自動車関連会社の被害の影響でした、また、救援物資の受け入れ一時停止や非常食を廃棄したなどもありました。
●3週間になりますと、道路・インフラの復旧状況、仮設住宅・復興住宅、復興基金、余震活動の状況、原子力発電所に関して、安全基準、停止による電力供給、国際機関による査察など、未だ沢山です。
関心の高さが伺われます。1週間後には、自動車も生産開始が出来たようでした、影響はかなりあったようです。

<8月5日放送> ベニスでの会議報告
7月始めに、イタリアなどのでの会議に行ってきました。本日は、ベニスでの会議報告を致します。
ここでは、Coastal structureという会議でした。沿岸での構造物(人工も自然も含む)についてです。
4年に一回開催されています。次回は日本だそうです。会場は、ベネチア映画祭でも使われたシアターホールです。特別講演では、ハリケーンカトリーナについて米国の専門家が報告し、スマトラ沖地震津波に加えて、自然災害の猛威に対する対応が大きなテーマでした。
代表的な観光地の1つ、水の都の代表名ですが、ラグーン(干潟)に建設さてた街のですので、高潮などの被害を受けているところでもあります。
ベニスでは、海抜は1メートルに満たず、しばしば浸水被害に見舞われました。原因は、対岸の工業地帯での、地下水の汲み上げによる地盤沈下。観光化・都市化が進み、建造物等の重みに人工地盤が耐えられなくなった。地球温暖化による海面水位の上昇と集中豪雨です。
旧市街で最も低いサンマルコ広場が水に漬かる被害が年間で80日を越え、さらに上昇する傾向にあります。
ビザンチン文化(13世紀頃)の影響を数多く残すベネチアのシンボルであるサンマルコ寺院を始めとして多くの建築物が塩害に、ルネサンス絵画の傑作も痛みが目立ち、文化的遺産に打撃を与えているというのが現状。
深刻化する水位上昇に対応するために、潟の入り口に可動式の水門を設置して水の流れを制御したり、高波を防ぐ計画です。これも会議の中心でした。

<7月29日放送> 防災総合訓練
大規模津波の防災総合訓練が実施されます。
本日、9時から、メイン会場が気仙沼市気仙沼港、サテライト会場が石巻市石巻港です。
99%の発生確率といわれる宮城県沖地震および津波に対して、地震や津波の被害軽減を目的として、大規模に津波防災総合訓練を実施するものです。
M8.2の地震が発生し、津波警報「大津波」が発表されたという想定です。
情報の提供訓練から始まり、安全な場所への避難、被災者の救助・救急訓練、情報収集訓練、ライフラインの復旧訓練、さらには、炊き出し訓練が実施されます。
スマトラ地震津波の大被害を受けて、第一回は、平成17年に和歌山で、第二回は平成18年に四国で実施されています。

<7月22日放送> 新潟県中越沖地震
先週の月曜日、海の日の朝(10時13分)、新潟県中越沖で地震がありました。
M6.8であり、能登半島地震や、2004年中越地震に引き続く内陸型地震です。
宮城県内でも震度2、3の揺れを感じました。
地震発生後には、津波予報が出され、0.5m程度の注意報が出ました。
緊急地震速報により、迅速な情報が出ています。
中越沖地震は地殻が押されて生じる逆断層型です。
沿岸部も含む直下で起こった地震でしたので揺れも大きく6強を観測しました。
被害も、多数の犠牲者を出し、負傷者も1000人を超えました。
原子力施設での火災や水漏れも問題となりました。
同地震によって誘発されたものではない。海岸線に平行な北東~南西方向の長さ約30キロ、陸側に下がるように傾斜した断層で、陸側が海側に乗り上げるようにずれました。
政府の地震調査委員会は17日、臨時会合を開き、日本海東縁部の「ひずみ集中帯」の一部が関係しているとの評価をまとめたました。
同集中帯では1993年の北海道南西沖地震以降、過去14年間で大きな地震が4回起きたと述べ、調査・観測を強化する考えを示しました。

<7月15日放送> 東北大学での地震学研究の始まり
1907年6月22日に東北学は百年を迎えました。
本日は、この歴史の中での地震学について紹介いたします。明治44年(1911)に東北帝国大学に理科大学が開設され、日下部四郎太(1875-1924)が物理学教室の教授として迎えられました。
この日下部氏は、明治8年に山形県に生まれ、東京帝国大学理科大学の物理学科を卒業し、長岡半太郎のもとで岩石の性質と地震現象についての研究しておりました。その頃の研究室には、先輩に本多光太郎、後輩に寺田寅彦がいました。
1912年(大正元年)に設置された理科大学附属観象所に始まります。仙台市向山に設置され、地震観測を始めとして、気象観測などが開始されました。
1931年(昭和6年)には仙台市八木山に移転し、1952年(昭和27年)には理学部附属地震観測所と名称が改められた。さらに、1967年(昭和42年)には現在地の青葉山に移転し、青葉山地震観測所となりました。1965年(昭和40年)から始まった地震予知研究計画の一環として、秋田地殻変動観測所、本荘地震観測所、三陸地殻変動観測所、北上地震観測所が理学部附属施設としてあいついで発足し、東北地方各地に微小地震や地殻変動の連続観測が始まりました。1974年(昭和49年)には、青葉山地震観測所に隣接して、理学部附属地震予知観測センターが設置さています。現在は、地震と火山で16名もの教員が研究および教育を実施しています。

<7月8日放送> 北海道南西沖地震・津波
平成5年7月12日(同時月曜日)、午後10時17分に、北海道南西沖で地震および津波がありました。15年になろうとしています。
日本海中部地震津波から10年後に、北海道南西方向の奥尻島沖西側で巨大地震が発生しました。
奥尻島に僅か5分で来襲、島内の藻内地区では31mもの遡上高さが記録されました。当時、津波情報が出ましたが地震発生5分後でした。
津波は日本海沿岸各地に津波は来襲し、犠牲者は230名、その内奥尻島では198名を数えます。
奥尻島青苗地区での被災状況ですが、津波の来襲後に浸水域で火災が発生し、大規模な延焼で多くの住宅が焼失しました。津波と火災とを結びつけ難いと思いますが、過去に多くあります。
局所的な地形などが影響してこのような大きな遡上高さを出したと考えられていますが、現在の津波数値計算ではこの値の再現は難しく、研究課題を投げかけた事例でありました。

<7月1日放送> 能登半島地震での2次現象
3月25日午前9時42分ごろ、石川県で大きな地震があり、七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を観測しました。今回、津波注意報は、緊急地震速報を使って、1分40秒で発表できました。
気象庁の観測によりますと、震源地は能登半島沖で震源の深さは11キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.9と推定されました。
津波の発生した場所は能登半島の西側でしたが、裏側に当たる富山湾で、なんと船舶の被害が報告されました。
海上保安庁に入った連絡によると、地震直後に、富山県滑川市沖でプレジャーボートが転覆し、乗っていた4人が海中に転落しました。4人は近くの巡視艇に救助されたそうです。転覆したのは長さ約4メートルのプレジャーボート。かなりの波が発生したと思われます。
救助された人は「2回くらい地震の突き上げがあった感じだった」と話していました。
どのようなことが、なぜ発生したのでしょうか?
現在、漁業関係の方にアンケートを取っています。
まだ、集計中ですが、「海底からもはもはとにごりだした」、「しばらくすると水がにごりだした」「ゴーと音がし、道路の看板が大きくゆれた。しばらくすると水が濁り出した。足元が浮いた様な感じがした。」、「船が震動した。特にスクリュウのまわりにロープがからんだような感じがした。」など、寄せられています。

<6月24日放送> 一日前プロジェクト 
内閣府中央防災会議専門調査会:災害被害を軽減する国民運動の1つです。
「もし、災害の一日前に戻れるとしたら、あなたは何をしますか」と、地震や水害などの被害に実際に遭われた方々に問いかけました結果をまとめています。
日頃、私たちは「自分は大災害に遭うことはない」と漠然と考えています。けれども、近年の大災害を見ても、思いもよらないところで多くの災害が発生していますのです。
「タンスがあんなに簡単に倒れてくるなんて思わなかった。」というお話や、「家族と連絡が取れずとても不安だった。」というような体験談から、私たちはさまざまな事を学びとることができるでしょう。
まとめられた話は、経験された方に集まっていただき、当時を思いでしていただきました。次に、WS方式で意見交換し。最後に教訓を収集しました。
HPでは、沢山のお話を災害の種類・地域。場面で探す事が出来ます。
http://www.bousai.go.jp/km/imp/ (一日前プロジェクト)

<6月17日放送> 防災シンポジュウム 
5月26日(土)に、宮城県・気仙沼市主催の気仙沼での防災シンポジュウムに参加いたしました。
副題が~命を守る防災教育、未来の防災戦士たち~です。
4校(小中校)の発表会がありました。
階上(はじかみ)中学-防災教育の取組 陸猿部隊(救出班)
百瀬(ももせ)中学-未来都市コンテスト、防災だけでなく環境や産業にも 優しいまちづくり、全国優勝、米国で発表
浦島小学校-PTA避難キャンプ、ロープをしっかり使う
中井小学校(旧唐桑町)、防災探検隊、PTAの参加、=>中井防災サミットの開催
いずれもすばらしい発表でした。

<6月10日放送> 宮城県沖地震、前回の発生から29年が経ちます。
平成12年に国の地震調査研究推進本部地震調査委員会から長期評価が発表
当時、30年以内に90%という数字が出来ました。
今年になって、その数字は99%になっています。10年以内で60%程度
連動型(三陸南部海溝より)でも、10年以内で30-40%程度、30年以内で80-90%程度
地震調査委員会では、主要な活断層で発生する地震や海溝型地震について、様々な調査結果や研究成果に基づき、地震の規模(マグニチュード)、一定期間内に地震の発生する確率などを長期的な観点で評価しており、これを長期評価と呼んでいます。
宮城県では地域防災計画があります:
昭和53年宮城県沖地震を契機に、震災対策編を設け、想定調査を実施
平成6年に第一次地震被害想定調査を実施
平成9年に第二次を実施 4章64節 200ページ
平成12年に国の地震調査研究推進本部地震調査委員会から長期評価が実施
平成16年に第三次 5章73節 269ページ

<6月3日放送> 宮城県の防災HPを紹介します。
まず、危機対策課、防災関連情報が満載です。
さらに、災害発生情報としてリアルタイムでいま起きている情報をお知らせします。また、県庁内での災害・防災関連譲歩のリンクもあります。今年の3月23日に、宮城県防災・危機管理ブログを楽天(株)との協定により開設しています。最新の情報が、週3回程度提供されています。本日現在でアクセス数は9011件、一日150件にもなります。もう1つは、土木部の防災砂防課です。このHPでユニークなのは、防災カレンダーがあり、月別に、過去の災害事象と主な防災関連行事予定が掲載されています。このカレンダーは各防止月間が定められており、5月は津波災害、6月は土砂災害、7月は地震災害対策 土砂災害防止に関する絵画・ポスター・作文の表彰もあり、宮城県から8作品が国土交通省に応募され、内1件が事務次官賞を受賞されたそうです。涌谷町立涌谷中学校3年の作品で、ダイナミックな土砂の動きを描いています。

<5月27日放送>  5月後半の地震・津波
1960年5月22日19時世界時間 日本時間で23日朝3時頃、チリ沖で巨大地震が発生
一日かけて津波が伝幡し、5月24日の早朝、日本沿岸に来襲
最大級の地震800kmもの断層 M9、チリのコラールで8.5-10m、太平洋全域に
被害、ハワイ、米国西海岸でも被害。1日かけ日本へ被害、当時、津波警報は
出せなかった。5年後に環太平洋津波警報センターが設立。日本では2-5mの津波が来襲しました。
死者行方不明者は139名、岩手62名、宮城54名。志津川での被害が大きい。

5月26日(1983)日本海中部地震津波
秋田沖で、M7.5の地震が発生しました。
その後、津波も生じ、日本海沿岸を襲いました。
104名もの犠牲者が出て、そのうち100名が津波により亡くなられました。
しかも、小学生13名、港湾工事従事者35名、釣り人30名以上であり、多くの犠牲者は、沿岸に住んでいる住民ではありませんでした。
この地震は、地震の空白域で生じたと言われています。

5月26日(2003)三陸南地震
三陸南地震では、地震発生から12分間も、津波に関する情報が出ませんでした。最大6弱が観測され、大変大きな揺れでした。多くの住民が津波を心配されていましたが、これに関する情報が遅れたのです。これは、提供作業が手間取ったのではなく、多くの地点で震度3以上の記録を観測したために、震源・震度情報を出している時間がかかってしまい、肝心の津波に関する情報が最後に放送されたのです。

<5月20日放送>  ドイツ訪問
4月の末にドイツを訪問しましたので、紹介します。
ヨーロッパ特に、中部東部は、地震も少なく津波も滅多に起こらない場所ですので、これらに関する研究はあまり活発はありませんでした。しかし、2004年のスマトラ地震・インド洋大津波以降に関心が高まり、また、観光客として訪れていたドイツやスエーデンの方が多く犠牲になったということもあり、現在、大きな研究プロジェクトが動いています。今回の会議開催の場所は、ハノーバー、ブレーメン、ハンブルグです。いづれもドイツ北部の沿岸に近い都市です。4月の下旬は異例な暑さで28度を超えた日もありました。3つの大きな研究テーマがあり、1つは、インドネシアでの早期津波警戒システムの構築です。海底圧力センサーによる津波のリアルタイム観測やGPS観測による地殻変動記録を用いて、迅速に津波の波源を推定し、予測しようというものです。スマトラ中部のパダン市を中心にシステムの開発を行っています。2つめは、大型水槽実験による津波波力の評価の研究です。長さ200m。高さ5m幅3mの大型水槽があり、原寸大の津波を発生し、波の伝わる様子や波の力を計ろうとしています。このような規模の実験は世界で他に2箇所しかありません。最後は、津波も含めた地球規模自然災害の観測です。衛星データやレーダーを使って、広い地域での状況をいち早くキャッチして、情報提供しようとしいます。津波の会議でしたが、多くのドイツ人研究者や、米国、ヨーロッパ、アジアの国々から参加されました。

<5月13日放送>  防災士会 発足
2003年10月に発足した防災士は2004年3月末日当時、1581名が防災士の認証を受けました。宮城・福島ゼロ、岩手4名、現在は、全国で、17,259名になりました。宮城県では305名です。
防災士は地域社会において最新の科学、防災、救助等の知識を持った人材として、大災害の際に公的救援組織が到着し機能するまでの間、地域社会のリーダーとして活躍することが期待されています。
この防災士の活動を活発化するのが防災士会です。いままで、個々に活動を支援する組織がないため、会員同士が連携する機会も少なかっのです。
http://www.bousaisikai.jp/
全国の会員が4,185名なりました。宮城県では65名の防災士会メンバーが誕生しています。(H19、4月現在)先日、12日(土)に、宮城県支部結成総会を開催いたしました。沢山の方が集まり、「地域防災と防災士の役割」をテーマに、初代の仙台市地震防災アドバイザーを務めた京英次郎さんらとパネル討論いたしました。
5月24日から防災講座が始まります。
5月24日 連携した防災教育
6月21日 防災とボランティア
7月18日 宮城県での防災教育を考える
9月27日 災害をイメージする
10月25日 災害情報と認知 エルパーク仙台5階セミナーホール
津波研究室のホームページで申し込みはこちら
津波防災シンポジウム~命を守る防災教育、未来の防災戦士たち~
平成19年5月26日(土) 気仙沼中央公民館 詳しくは、宮城県土木部防災砂防課HP

<5月6日放送>  1847善光寺地震
本日は,5月に発生した地震を紹介します。
1847年5月8日(旧暦弘化4年3月24日)、信州(現長野県長野市)の善光寺平を震源とし直下型で発震、付近に多大の損害をもたらしました。マグニチュードは推定で7.4折から善光寺如来の開帳の期間にあたり、諸国から参詣客が群集し、当日の市中は最も混雑していました。
その夜8時をわずかに過ぎたころ、地震が発生参詣客が宿泊していた旅籠(はたご)街を中心に数箇所から火の手が上がり、市中では家屋の倒壊焼失。
焼けた建物2,094軒、震災を免れたものわずかに142軒でした。
善光寺の如来堂、鐘楼、山門は倒壊しただけで焼失を免れました。
死者は市中のみで2486名に達しました。この地震のために生じた断層が長野市西部に残っている。
中でも犀川右岸の岩倉山の崩壊はさらに大きな悲劇をもたらせました。
まず、崩壊した土砂が50メートルもの高さをもつ巨大な堤防となって河川の流れを変え、ふもとの岩倉村・孫瀬村の両村に川水を招き入れ2村は完全に水没させました。
さらに地震から20日後の同年5月28日の夕方、今度は先述の巨大堤防が大崩壊をおこし、急流と化した水は川中島まで押し寄せ、31ヶ村に浸水被害をもたらせました

<4月29日放送>  噴火実験
最近、体験・実験できる防災教育の教材が紹介されています。
耐震関係では、ぶるるくん、液状化実験は、あんま機を利用したものなどあります。
本日は、その中でも火山噴火を紹介しましょう。
秋田大学教育学部の林信太郎先生が考案したものです。
著書「チョコやココアで噴火実験 世界一おいしい火山の本」
そのテーマは、キッチン実験です。
まず、チョコレートマグマで潜在溶岩ドーム実験、 牛乳でできる火砕流実験、 コンデンスミルクでカルデラ実験、 麩(ふ)を使った降下火山灰実験。 最後が、アイスクリームとごはんで調べる融雪型火山泥流です。
身近な素材を使って、なじみの少ない噴火現象を楽しく学ぶことが出来ます。
噴火も繰り返し発生します。一旦起きると影響は大きく甚大な被害をもたらします。
しかし、通常の火山はやさしく、様々な幸(温泉、火山灰土、風景)をもたらしてくれています。
我々は正しく現象を知って、共存しなければならないのです

<4月22日放送> 余震発生確率
 大きな地震が発生した後、小さな地震が多く発生しますが、最初の大きな地震を本震、後の小さな地震を余震と呼びます。
この余震の確率がメディア等で発表されるようになりました。例えば、「3日以内にM5.5(ところによって震度5強)以上の余震が発生する確率は10%」です。
これは、1995年の阪神淡路大震災後の政府の世論調査で、発生後に知りたい情報として多く寄せられたからです。98年9月岩手県内陸北部地震で初めて出され、今回の能登半島地震で9回目になります。
先日の能登半島地震では、気象庁が26日午前10時から3日以内にマグニチュード(M)5以上の余震が発生する確率は70%、M6以上は10%と発表。
最近、認知されつつある情報ですが、この数字をどのように捉えたり、自分の行動に役に立てたらよいか分からないという事があります。現在、そのような事に気をつけるべきかを付け加えて情報が出ています。
例えば、「余震によって家屋の倒壊や土砂崩れなどさらに被害の拡大する恐れがあります。」「こんのところ続いた大雨や今回の地震で地盤が緩んでおり、崖崩れなどが発生しやすくなっています。」
さて、この余震確率ですが、これは、2つの根拠に基づいて推定されています。
1つは、余震の発生数が時間と共に短調に減少していくこと。もう1つは、大きな余震は少なく、小さな余震は多いと言うことです。前者を使って、例えば、現在から3日先までに発生する余震の数を推定します。その内、大きな余震(例えばM6以上)の数も求めてあげれば、確率(または割合)が求まります。被害が出始める震度は5弱ですので、これを目安に考えます。

<4月15日放送> 津波防災カルタ
 昨年10月に防災いろはカルタを紹介しました。、子どもからお年寄りまで「防災」について楽しく学べる「防災いろはカルタ」をつくりました。、仙台市中野小オリジナル「防災伊呂波歌留多」があります。、「わらDEの地震防災カルタ」を作ることになり、中野小の子どもたちが、読み札(防災標語)の言葉を冬休みの宿題で考えましたそうです。
今回は、津波防災カルタです。これは、津波小説家の山下文男さんによって発表されました「津波いろはかるた」がもとになっています。このかるたをベースに宮古市の小学生が現代版のかるたを作りました。
防潮堤のない地区の鍬ヶ崎小学校の子どもたちが考えたもので、半分以上改めています。今年の3月3日(昭和三陸地震津波)に新聞等で紹介されています。さらに、田老第一小学校6年生の皆さんも作成しています。

<4月8日放送> ソロモン地震・津波
 日本時間の4月2日朝5時40分ごろ、世界時間にすると4月1日になります。
地震は、オーストラリアプレートと太平洋プレートとの境界面付近で発生しており、M8.1長さ約180キロメートル、幅約60キロメートルの断層が約7メートルずれたと推定されます。
米国の太平洋津波警報センターはソロモン諸島のほか、周辺のオーストラリア、パプアニューギニア、バヌアツなど南太平洋沿岸国に一時、津波警報を発令しました。幸い日本への影響はありませんでした。
ソロモン諸島に津波のエネルギーが拘束された事になります。太平洋全体に波及することはありませんでした。震源は地震の多発海域として知られ、周辺のバヌアツ沖でも3月25日にM7・2と6・0の地震が発生しています。
東北大学の越村俊一準教授の津波数値解析結果によると、発生した津波の規模はソロモン諸島沿岸部で最大約6メートルに達しています。
ソロモン諸島は100ほどの島からなり、人口約48万人。英国が1900年までに保護領とした後、42年に日本が一時占領。78年に独立しました。

能登半島地震
25日午前9時42分ごろ、石川県で大きな地震があり、七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を観測しました。
今回、津波注意報は、緊急地震速報を使って、1分40秒で発表できました。
気象庁の観測によりますと、震源地は能登半島沖で震源の深さは11キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.9と推定されています。
犠牲者1名、重軽傷者267名、住宅被害(全壊76棟、半壊253棟、一部破損1031棟)に及びました。
亡くなった女性は、輪島市の自宅庭で灯籠の下敷きになり死亡されました。
歴史的には、能登半島周辺では1600年以降、M7を超える地震は知られていません。一方、M6級の地震はたびたび発生しています。沈みこむ海のプレートに押され、列島にひずみがたまっている場所です。震源付近でみつかった、北東から南西に延びる長さ約20キロの海底の逆断層の一部がかかわった可能性もあります。
この地震では石川県穴水町などで、周期1-2秒の地震波が強く観測されたことが報告されています。
建物は、その種類や高さにより特に揺れやすい周期(固有周期)があり、木造家屋は通常0.5秒以下です。
しかし、木造家屋が壊れ始めると固有周期は1秒前後に延び、周期1秒前後の地震波で壊滅的被害を受けることになります。
この地域では、過去、地震津波が発生しています。1993年2月7目22時27分能登半島沖深さ25km M6.6 m=Oがありました。輪島で震度5、石川県珠洲市を中心に地震被害あり、重傷1名、軽傷28名、観測された津波の最大全振幅:福井港26cm、金沢港32cm、輪島港51cm

<4月1日放送> 防災教育
阪神・淡路大震災以降、大規模災害に対する危機管理が高まっています。各自治体は被害を最小限に防ぐため、防災思想の普及に力を入れておりまして、学校などにおける防災教育もその一環として行われています。しかしながら、人材や教材が無い等の運営上の問題や教育効果が明らかとなっていないといったことから、一部の積極的な学校のみが救急救命講習や災害時における生活とその対応に関する学習などを実施しているに留まっています。
避難所運営を想定した防災教育を実施しました仙台市立西山中学校・仙台市立鶴谷中学校・気仙沼市立階上中学校の3校の協力を得まして、アンケート調査から教育効果を探り、効果的な防災教育の構築のための研究を紹介します。

能登半島地震
25日午前9時42分ごろ、石川県で大きな地震があり、七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を観測しました。
今回、津波注意報は、緊急地震速報を使って、1分40秒で発表できました。
気象庁の観測によりますと、震源地は能登半島沖で震源の深さは11キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.9と推定されています。
犠牲者1名、重軽傷者267名、住宅被害(全壊76棟、半壊253棟、一部破損1031棟)に及びました。
亡くなった女性は、輪島市の自宅庭で灯籠の下敷きになり死亡されました。
歴史的には、能登半島周辺では1600年以降、M7を超える地震は知られていません。一方、M6級の地震はたびたび発生しています。沈みこむ海のプレートに押され、列島にひずみがたまっている場所です。震源付近でみつかった、北東から南西に延びる長さ約20キロの海底の逆断層の一部がかかわった可能性もあります。
この地震では石川県穴水町などで、周期1-2秒の地震波が強く観測されたことが報告されています。
建物は、その種類や高さにより特に揺れやすい周期(固有周期)があり、木造家屋は通常0.5秒以下です。
しかし、木造家屋が壊れ始めると固有周期は1秒前後に延び、周期1秒前後の地震波で壊滅的被害を受けることになります。
この地域では、過去、地震津波が発生しています。1993年2月7目22時27分能登半島沖深さ25km M6.6 m=Oがありました。輪島で震度5、石川県珠洲市を中心に地震被害あり、重傷1名、軽傷28名、観測された津波の最大全振幅:福井港26cm、金沢港32cm、輪島港51cm

<3月25日放送> 災害から文化財を守る
災害発生時に家屋や建物が被害を受けますが、同様に文化財も同じです。
被害を受けた後、復旧や復興していかなければなりませんが、人命と同じに、文化財の修復や復興は不可能になります。特に、多くの文化財が焼失するようなことがあれば、千数百年の歴史を有する文化の復興はもやは不可能になります。京都・奈良以外にも文化財は日本全国に保存されています。
多くの文化財の防火対策は進んでいますが、それらの対策が大地震時にも機能を維持していることが肝要であり、この点に関しては多くの技術的な問題があります。このような問題点を克服して、世界の遺産としても位置づけられているような多くの文化財を地震による災害から守り、後世に伝えるのは現代の私たちの責務になります。
現在、このような視点に研究教育を実施しているのが、立命館大学にあります。
21世紀COEプログラム文化遺産を核とした歴史都市の防災研究拠点ここでは、2つの柱があります。1つは、文化遺産を核とした歴史都市の防災。2つは、文化遺産の防災に関する国際協力。イラン(2003年12月26日城塞都市遺跡バム遺跡「アルゲ・バム(Arg-e-Bam:Bam Citadel)」80%倒壊)、中国、インドネシア(ヒンドゥー教寺院の遺跡、プランバナン寺院群)ペルーなど
一方、県内にもあります。宮城歴史資料保全ネットワークです。
2003年7月26日に宮城県北部連続地震後、損壊した家屋の取り壊しや建て直しに際して、古文書を始めとする多くの歴史資料が処分される危惧されました。
幕末~大正期の古文書が多くあったそうです。
幕末の御用留や旅日記、明治から昭和の証文類などの古文書のほか、御膳などの民具類などが確認されています。ネットワークに方々により、江戸時代に矢本宿で旅籠屋を営んでいた宅の資料整理作業をおこなわれました。また、古川市にある橋平酒造店においても歴史資料の緊急レスキュー活動されています。

<3月18日放送> GPS波浪計
この3月に宮城県の牡鹿半島沖と岩手県釜石沖にGPS波浪計が浮かぶ。
GPS波浪計とは何か・・・
GPSセンサーを搭載した海上に浮かぶブイのことで、簡単に言えば、カーナビや携帯電話についているGPS機能が”浮き”についているもの。
波の上下とともにブイも上下することによって、波の高さや位置を測っている。
普段は、波の高い・低いを観測しているが、当然、津波が発生すると津波をキャッチできる。
さらに、沖に浮かんでいるので、津波がやってくる前に、どのくらいの津波が発生したのかを確認できるので、海岸やその周辺に居るみなさんに、より早く情報を提供できるはずである。
2003年9月の十勝沖地震、このときGPS波浪計の試験機が大船渡沖に置いてあり、沖合での津波の観測に成功した。
牡鹿半島の南東約16kmに浮かんで、宮城県沖の海溝寄りで地震・津波が発生した場合には、沿岸に津波が到達する10分程度前に津波の規模をチェックできると考えられる。
ちょうど仙台湾の入り口に位置する形になるので、仙台湾に入ってくる津波をチェックするのに最適。
但し、私はGPS波浪計開発に直接係っていないので、機械そのものの詳細は知らない。
<即時浸水予測システム>
津波は沿岸に近づくほど高さを増すので、沖合いで計った津波の高さ=沿岸での津波の高さには繋がらない。
また、同じ高さの津波でも、どのぐらいの高さの防潮堤があるか、どのぐらいの人が海岸沿いに住んでいるか・・・など、地域の状況によってその被害の様子が違ってくる。
沖合のGPS波浪計が観測したデータを使って、地域にどんな津波がやってくるのかを分かりやすく見せてあげるシステムが、このシステムです。
「分かりやすく?」ってどんなものかというと、みなさんの地域でハザードマップなどを作られていると思うのですが、どこまで津波で浸水するのかをハザードマップ(浸水予測図)として表示してあげるシステムです。
実際に起きた地震や津波に対応して、この浸水予測図がリアルタイムで表示されることによって、どこまで逃げればよいか、何をすればよいか・・・を判断できるようになると考えています。

<3月11日放送> 東松島市での講演
2月7日1ヶ月前、防災講演会を実施
平成15年の連続地震、7月26日で大きな被害
平成15年7月26日(土)宮城県北部(鳴瀬町、矢本町、河南町周辺)を震源とする地震が発生した。
前震、本震、余震と見られる震度6以上の地震が連続3回襲いました。
この地震は今後発生が懸念される宮城県沖地震(今後30年以内に発生する確率98%)
とは別のもので、内陸部の活断層が数回に分けて崩壊したものと見られています。
この地震の特徴は、本震と思われた強い前震の後に、さらに強い揺れの本震が発生したことです。
震源は「旭山撓曲」とよばれる推定活断層の直下にあり、この断層が活動したのではないかと地表踏査が行われたが、地表の震源断層は確認されませんでした。物被害は全壊320棟、半壊1、606棟、一部損壊6、638棟(火災3件)、重傷26人を含む651人が負傷し、自主避難も含め避難者は一時3,059人に上ったけが人675名、避難数3千人、住宅被害5千棟、ブロック塀の倒壊、斜面崩壊、河川堤防の亀裂、北村小学校の被害などがありました。

<3月4日放送> 昭和三陸地震津波
3月3日はひな祭りですが、昭和8年の三陸地震津波の発生した日でもあります。
1933年(昭和8年)3月3日午前2時30頃 おひな様、桃の節句の日に発生しました。
地震の発生した場所は三陸はるか沖、プレートの沈み込み帯よりさらに向こうの場所です。
強い揺れだけではなく津波も伴い、死者行方不明者併せて三千名を上回りました。
宮城県内でも3百名を超えました。沿岸各地で震度5以上を記録し、明治地震津波の際の揺れとは大きく異なります。
当時、明治地震津波の経験により、弱い揺れの際に、津波が大きくなる。
逆に、強い揺れの際には津波は小さくなると思った方も少なからずいたようです。
この地震のメカニズムは正断層と呼ばれるもので、プレートの折れ曲がり地点で発生したものであり、
プレート地震の自重により引っ張られ、ちぎれた破壊で発生したものです。
今年1月13日の千島沖地震と同じメカニズムです。
津波は三陸全域に来襲し、最大28.7mのところまではい上がりました。
明治29年からわずか40年あまりの出来事でした。

<2月25日放送> 地震動の周期について
地震動(地震による揺れ)は、いろいろあります。上下(縦揺れ)・左右(横揺れ)、強い・弱い、継続時間が長い・短い、ゆっくり・早い、などの表現があります。今日は、長い・短いの話をしたいと思います。これは周期と言われるものです。地震動の周期帯は次のように呼ばれています。
極短周期  : 0.5秒以下、短周期  : 0.5~1秒、やや短周期 : 1~2秒
やや長周期 : 2~5秒、長周期   : 5秒以上
これらは、地震の規模、発生位置(深さ)、されに表層地盤の状況(堅いや柔らかいか)
ゆったりした揺れ(長周期地震)は、地震の規模が大きく、震源がプレート間の場合や表層地盤が軟らかい場合です。一方、短い周期は、地震の規模が小さく、震源がプレート内の深い地震の場合や表層地盤が固い場合であると言われています。
長周期地震動は、関東平野、大阪平野、濃尾平野などの堆積盆地で発生が危惧されていて、実際に観測もされています。
建物が大きくい揺れるかどうかは、地震の周期と建物が持つ固有周期の関係にあります。両方が一致しますと、共振現象が起こり、大きく揺れるのです。
建物の固有周期は、RC造アパートで0.3秒、木造住宅で0.5秒、10階ビルで1秒程度、高層ビルで3-5秒、そうすると、長周期地震動の場合には、高層ビルが揺れやすいということになります。

<2月18日放送> 千島地震津波の避難状況
昨年11月15日と今年1月13日に発生した地震の際、津波警報に伴い避難指示・勧告が出されました。
総務省消防庁の調べで、このの対象となった自治体で、実際に避難した住民は1割程度にとどまっていたことが分かりました
警報が出された22市町村について、避難指示・勧告の対象となった住民のうち、学校など公的な避難所に避難したのは昨年11月が13。6%、1月は8。7%だったことが判明
2005年5月の三陸南地震の同様に調査したのですが、避難行動をとれたのが1割でした。
なぜ、このように低い数字なのでしょうか?
まず、どこにどのタイミングで逃げたらよいのか、確認していない。
避難場所や経路など確認していない場合がほとんど。
津波によってどのような被害になるのか?わからない、など多くの課題があると思います。
指示と勧告の言葉の受け取り方、も違いがあります。勧告の方が強制力が強いと思われる方が多いのです。
11 月15 日の避難率が25%以上の市町村は、全て避難対象地区を選別して避難指示・勧告を発令。
避難率が25%未満の市町村の中には、全域に避難勧告を発令した7市町村が全て含まれていました。
津波の浸水する危険性がある地域を的確に選定し、避難指示・勧告を発令することも必要であります。

<2月11日放送> 2月の地震
以前、地震歴というカレンダーを紹介しました。
被害を生じたマグニチュード6以上の地震が、いつ起きたか、暦の上に示されています。
これで月別の地震の数を数えるとこの2月が少ないことが分かりました。
19回です。平均が36回で、最も多い8月は48回ですので、大分少ないです。
この2月に発生した地震の代表格が、1666年2月1日に発生した越後西部地震です。
M6程度 高田(いまの上越)を中心に強い揺れがありました。
積雪14-15尺(約4.5m)で地震。高田城も大きな被害であったが、さらに武家屋敷700余り、民家などの倒壊が多かった。これは、屋根にたまった積雪が荷重を増してことも原因。 さらに、夜になって火災が発生。逃げる場所も限られた住民が多く犠牲になりました。
死者1,400-1,500名にも及びました。
もう1つの代表格が1605年慶長地震です。
これは、海溝型の地震で規模も大きくM8以上です。場所は、東海から南海沖です。
ここは、1944・1946昭和東南海・南海、1854安政、1707宝永と100年程度に1度大地震が起こっている場所です。発生した津波は、房総から九州まで影響し、被害も大きかったと言われています。
しかし、報告された震度は最大で4、多くは2-3程度でした。いわゆる津波地震と言われている地震です。

<2月4日放送> 千島東北沖地震および津波
今回地震は、昨年11月15日地震で発生した場所に近い、の沖で発生した正断層でした。
大変めずらしい地震です、代表的な地震は昭和8年の昭和三陸地震・津波です。正断層なので、海底の地盤変動分布が、昨年11月と逆になります。
今回の観測された我が国の津波規模は、今のところ11月より小さい傾向がありました。
各地で観測された津波の初動も逆の所ありました(例えば、釧路)日本へ影響する、直接波、境界波、散乱波(海山での反射波)の影響は今回も考えらます。父島の津波波高は、現段階で最高値です。
境界波、散乱波の予測は難しく、気象庁の予報も難しいです。
前回の経験もあり、時間帯も良かったこともあり、避難率は高くなったと思いますが、地域によって差もありました。また、津波(被害)はなかったという、住民の意識は残るでしょう。

<1月28日放送> メタンハイドレードによる津波
メタンと水分子からなるガス水和物の一種であるメタンハイドレードは、火を付けると燃焼する低温高圧で安定する構造をもつシャーベット状(氷状固体物質)です。
将来資源開発が可能とみられるメタン総量は、 7.4兆立方メートルとも言われ、これは国内の天然ガス消費量の約100年分にも及ぶと見られる。エネルギー資源として注目されている一方、地球温暖化を加速させたり、災害をもたらす事もあります。
まず、地球温暖化は、メタンが大気中に放出され、メタンが二酸化炭素の四〇倍以上もの温室効果をもつことが知られています。また、シャーベット状から液化して大気中に放出される際に、海底地滑りおき、津波が発生することもあります。
現地で生き残った人に話を聞くと「津波が来襲する前に強い臭いがした」「津波が熱かった」などの証言があった。実際、火傷を負った人もいました。普通の海底地震による津波では考えられない状況です。
過去、ノルウー沖、ニュージーランド沖で、メタンハイドレードが発生し、海底地滑りなどが起こり、津波が発生したことが解析さえています。確かにこのような現象で津波も発生することは分かりましたが、いつ、どこで、どのようにして起こるのかは、予測できません。

<1月21日放送> 年末ヒロでの会議
この会議は、オレゴン州立大学のHarry Yeh 教授が、12月26日のスマトラ沖地震・津波のメモリアルの日に設けた会議であり、津波現象の研究を深める目的で開かれました。米国の研究者24名を中心に、日本から5名、ドイツ・デンマークから各1名という、小さな規模のものでした。
3日間行われ、1960年チリ津波の被害とその後の学問に与えた影響、津波による土砂移動、さらには、津波による波力などです。
日本から海岸工学の創始者と言われる堀川清司先生が、チリ津波の現地調査、帰国途中にハワイに寄られて当時の被害の様子を調べられたこと、復興計画の支援日本の研究者も加わったことなどが説明されました。我々にとって大変貴重な歴史です。
会議の中では、ヒロのダウンタウンにある太平洋津波博物館を訪問しました。これは、1994年8月に設立されたNPOが、津波に関する展示、啓発企画、教育・研修を行う拠点として、昔の銀行の建物を改造して作られました。このヒロは1946年4月1日、および1960年5月23日に2度大きな津波災害を受けています。

<1月14日放送> 明日から神戸で国際会議開催
1月15日と16日に神戸で国際会議
1993阪神淡路大震災から12年、 2004年スマトラ、2005年パキスタン地震からそれぞれ2、1年が経ち、それぞれの地域での復興について話し合う機会です。現在の被災地域での復興の支援と共に、将来の災害軽減に対応できる復興のあり方、を議論する場です。
国際的に防災支援は我が国でも大きな柱の1つで、以下のような機関が神戸に設立されています。
1990年代に十年間、国際防災十年(IDNDR)が始まり、世界的な協力の中で大きな成果が生まれました。
1995年にジア地域における多国間防災協力を推進して、神戸にアジア防災センターが生まれました。
2005年1月に神戸国際防災復興協力機構(IRP)が設立、兵庫行動枠組(Hyogo Frame Work for Action)が提案されました。
さて今回の会議では、被災国での経験・教訓の共有化と復興への支援(目標)3つの課題(1)住居の復興、(2)生活・営みの復興、(3)国際的な支援と調整、を話し合ってきます。

<1月7日放送> 2007年度新春を迎えて
本日は、今年予想または予定される防災の動きを紹介したいと思います。3月までに2機GPS波浪計・津波計が設置される。緊急地震速報もより普及するようになると思います。災害情報がより充実していくと期待されます。さらに、総合的な避難訓練が実施されます。地震・液状化・津波など一連の災害過程を考慮して、防災担当機関、企業、ボランティアなどと、連携して行われると予定です。
今年は、チャレンジ防災講座などの継続的な活動や海外での防災対策の支援を行って行きたいと思います。